2012-08-01から1ヶ月間の記事一覧
本野亨一さんの「文学の経験」を読んでみますと、「はじめに」で苦戦をして しまっています。これについては松田道雄さんが「本野君もまた文学の発表について 妥協をするところがありませんでした。」とありますが、これまで見たところで、 すこしは納得です…
「六枚のスケッチ」は、大学の講義ノートのようなものであるのかもしれません。 もちろん、この内容で講義をしたということではありません。 最初の講義は、森有正さんの経験についてであります。タイトルは「求道者の 経験」となります。35ページほどで、「…
本野亨一さんの「文学の経験 六枚のスケッチ」を話題としています。 これの「はじめに」を読むだけでも悪戦苦闘です。学生たちから突きつけた根源的 な問いかけに対して、考えるヒントを与えてくれた文学者六人をとりあげ、その スケッチを発表しているので…
「私は、まるで文学を食べて生きているとでも言いたそうな重苦しい自分の顔付きを 思い浮かべ、そのような文学に対する嗜癖は『根源的』にはいったい何なのか、という 問いをその顔にむかって投げつけます。あの架空の読者たちが不可解なエネルギーの 充溢に…
本野亨一さんの「文学の経験」というのは、「私にとっての文学の経験」となるの でありますが、カフカ、小林秀雄、森有正などを取り上げているのですから、一筋縄 ではいきません。 「文学の経験」の「はじめに」から引用を続けます。 「文学はなにかある種…
本野亨一さんは、当方が学生の時にドイツ語の教えを受けた先生であります。 たぶんなんとか出席をして単位をもらったのだろうと思うのですが、この授業で印象 に残っているのは、本野さんが授業中につぶやいた一言でありまして、そのつぶやき は、前に紹介し…
本野亨一さんの「文学の経験」の「はじめに」からであります。 「書くというがいったい誰にあてて何を書くのかという自問自答」であります。 ここのところが、うまく突破することができないようでありまして、結局のところ具体 的な読者が想定されないのでし…
松田道雄さんは、本野亨一さんについて「編集者たちは、彼の文章の硬質にたじろ いだのでした。彼の文章が本として残らないのは私どもには残念です。」と記して います。 昨日に「文学の経験」で本野さんがとりあげている六人の文学者の名前を記しまし たが…
「六枚のスケッチ」というのは、本野亨一さんの初めての著書「文学の経験」の 副題であります。文学の経験―六枚のスケッチ (1974年)作者: 本野亨一出版社/メーカー: PHP研究所発売日: 1974メディア: ? クリック: 4回この商品を含むブログを見る このような著…
松田道雄さんの「幸運な医者」を手にして、四十年ほどまえに一般教養の外国語で 教えを受けた本野亨一さんの名前を眼にしました。 本当にお恥ずかしい怠学生でありまして、出席しなくてはいけない外国語というの は、どのようにして単位を取得したのかもはっ…
松田道雄さんは、「安楽に死にたい」という本をだしていて、この本は自宅の どこかにあるのですが、すぐにはでてこないものですから、内容を確認することが できません。 安楽に死なせることができるはずというのが、松田道雄さんの晩年のテーマで あったよ…
「幸運な医者」は松田道雄さんの遺著となったものですが、その前の著作のタイトル は「安楽に死にたい」というものでありました。 「幸運な医者」におさめられている、自らの奥さんをおくったときのあいさつには、 次のようにあります。 「昨年でしたか、私…
40数年前に一年ほどドイツ語の教えを受けた先生について書かれた松田道雄さんの 文章を話題としています。ドイツ語の本野亨一先生とは個人的なお話をする機会は なかったのでありますが、この松田道雄さんの文章を読んでみて、その昔に「自分を 偉そうにみせ…
松田道雄さんはドイツ文学者 本野亨一さんが亡くなったときに、弔辞をかいたと あります。 「 本野亨一という人物を友人として私がどうみているかを弔辞にかいた」ということ です。いま本野亨一さんを検索しますと、カフカの翻訳と甲南女子大に残した蔵書の…
松田道雄さんはドイツ文学者 本野亨一さんと旧制中学以来の友人と書いています。 「彼とはクラスはいっしょにならなかったが、一中、三高と、学校の庭でよく話をし た。京大はドイツ文学科にいったので大学時代はほとんどあわなかった。NHKに 入って京都…
松田道雄さんが亡くなったときは90歳になっていたようですが、十分に長命では ありますが、晩年に書かれたものは、すこし弱さが感じられるようです。これは やむを得ないのことでしょう。(97歳まで現役であった吉田秀和さんは、すごい ことであります。その…
松田道雄さんの遺著「幸運な医者」(岩波書店 1998年10月刊)を話題にしていま す。松田さんは、98年6月に亡くなっていますので、亡くなるすこし前までに発表され た文章などを収録しています。( 書名となっている「幸運な医者」は岩波の「図書」に 亡くな…
当方が学生であった頃、松田道雄さんは小児科医で評論家という二足のわらじで、 そのどちらでも大きな影響力を持っていました。 「革命と市民的自由」とか「私が読んだ本」、そして「ロシアの革命」などを読んだ 世代は、子育てをするようになると当然のよう…
本の片付けのことばっかし話題にしていても、元気がでないことです。 本は片付けるよりも、読むよりも、買うのが一番楽しであります。本を買う のは気晴らし法のひとつであるとすれば、お金はできるだけかけないほうが、 気分はよろしですから、ブックオフ系…
本を整理するとなると、まずは雑誌からでありましょうか。壊れかけた段ボール 箱にはいっている雑誌類がありましたので、これなどは捨てるとなると、真っ先に 候補となるものでしょうか。 とにかくこれまでほとんど処分をすることなしにきているのであります…
我が家は建築してから三十年を経過して、あちこち不都合が生じてきましたので、 思い切ってリフォームに着手いたしました。改装は水回りが中心となりますが、 居間なども壁紙の張り替えなどをしましたので、あちこちの片付けが必要となり ました。一番頭が痛…
阪田寛夫さんの本のことを話題にしているうちに、以前にも高橋一清さんの名前が 登場するところを引用しておりました。今回、高橋一清さんの「編集者魂」を手に していて、過去の阪田寛夫さんを話題にしているところをチェックして気がつきま した。 高橋一…
昨日に記した阪田寛夫さんが芥川賞を受けた夜における庄野潤三一家との電話の やりとりのことは、庄野さんの「文学交友録」にあったものでした。(拙ブログで たしかに引用をしておりますが、細部をほとんど忘れていました。) 昨日は、庄野さんから電話をし…
賞取りレースというと、まるで競馬の話のようでありますが、文学賞をとると いうのもそれに近いものがあるのかもしれません。芥川賞とか直木賞というのは、 クラシックレースでいうとダービー競争のようなものでしょうか。 ジョッキーと馬と調教師(それにオ…
阪田寛夫さんが朝日放送をやめたのは、文学に打ち込むためでありましたが、 放送や音楽の分野でひっぱりだこになり、その世界では多くの賞を受けていま した。阪田さんに仕事を依頼する放送局やレコード会社は、賞をとることをもく ろんでのことであったよう…
高橋一清さんは、「阪田寛夫さんと出合ったことが、私の編集者生活を決定づける ことになる。」と記しています。 それは文芸春秋社に入社して、すぐに担当した作家であるということと、自分が執筆 依頼して完成した作品によって、作家が芥川賞を受賞すること…
本日に手にしていたのは、昨日に行きつけの本屋で購入した次の文庫本であり ます。 編集者魂―私の出会った芥川賞・直木賞作家たち (集英社文庫)作者: 高橋一清出版社/メーカー: 集英社発売日: 2012/07/20メディア: 文庫 クリック: 4回この商品を含むブログ (…
本日は久しぶりに行きつけの本屋に立ち寄りました。もともとは、そこそこの書店で ありましたが、最近はずいぶんと元気がなくなって書棚もさびしくなっています。 このようなところで、佐伯泰英さんの岩波書店から刊行されたものを見かけましたら、 私が買わ…
西新宿のスナック「火の子」の開店の何周年かを記念して「火の子の宇宙」という 冊子が刊行されています。これの入手に失敗して、現在にいたっていますが、古本屋 では、そこそこ高い値段がついていまして、これからも縁がなく終わりそうです。 この「火の子…
当方は新宿西口にあった「火の子」という店には、たった二回しかいったことが ないのでありますが、ここは山口組(といっても神戸のではなく、山口昌男さんと お仲間のこと)のたまりの一つであったことで有名であり、いろいろな人がこの店の ことについて言…