あれから19年か

 近所の本屋へといきましたら、フェルメールの絵画を表紙にした雑誌が

いくつか目に入ってきました。ちょうど先日のNHK教育日曜美術館」で

東京で開催中の展覧会を取り上げていましたので、これはいくことができ

ないかもしれないなと思って見ていましたら、この展示は、年が開けたら

大阪に会場を移して継続という案内があって、これは見物にいくことが

できるかもしれないにかわり、本屋で目に入った「サライ」11月号を購入す

ることになりです。

サライ 2018年 11 月号 [雑誌]

サライ 2018年 11 月号 [雑誌]

 

  今回のフェルメールの展示は、これまでよりも作品数が多いのが売りであり

まして、日本で初めて公開となる3点を含み、これまでの最多9点が来ているの

だそうです。

 そうでありますか、この調子でいきますと世界各地に点在するフェルメール

作品35点(37点ともいわれる)のすべてを国内で見られるかもしれないことで

す。

 前回にあった大規模な展示は2008年に東京都美術館であったもので、その

時は7点が集まったのだそうです。たしかこれは足を運んだはずと、古い写真を

確認したらいっておりましたです。

 「サライ」のページには、次のようにありです。

「実は、日本で初めて『フェルメール展』が開催されたのは2000年。それも

大阪1会場でのことだった。大阪市立美術館で開催された『フェルメールとその

時代』展は、約三ヶ月の会期でおよそ60万人もの動員を果たし、日本における

フェルメール・ブームの火付け役として今も語り種となっている。」

 1998年から関西に再び縁ができて、2000年にはちょうどフェルメール展の

開催時期に関西へと行くことができ、すごく混んでいるよというふうに聞かされて

いたのですが、天王寺駅から大阪名物 青空カラオケ店がならぶ通りを美術館

へと向かったことが思いだされます。(もうだいぶん前のことになりますが、大阪

青空カラオケ店を強制排除するといって、ずいぶんニュースで取り上げられ話

題となりました。)

 上に引用した文章には、「ブームの発信基地となった大阪市立美術館」とあり

まして、当方にとってのフェルメールも、この時がスタートでした。それから何回

フェルメール作品を含む展示を見たのか、記憶ははっきりしないのですが、渋谷

東急文化村にも見にいきましたね。

 来年の3月から4月にかけて、すこしこちらがあたたかくなった時に、久しぶり

大阪市立美術館へと足を運んでみることにしましょう。

古い写真を探してみましたら、2000年4月21日に訪れた「フェルメール」展の

様子がわかる写真がみつかりました。ラッキーなことに当方がいった日は、あま

り混んでいなくて、ゆっくり作品を見ることができたのです。

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知らない札幌

 一応は札幌生まれということになっていて、結婚するまでは本籍も札幌中央

区に置いておりましたが、住んでいたのはずいぶんと昔でありますし、住まいは

山の中とか、りんご畑のなかでありましたので、札幌といえば祖母の暮らす街と

いうことになりますね。

 当方のなじんだ札幌は、街のなかを馬車が行き交う(もちろん観光用では

ありません)ところでありました。そういえば、その時代のことは花森安治さんが

「札幌」という文章にして発表していました。「暮らしの手帖」73号 1964年

2月に掲載のもので、その後「一銭五厘の旗」に収録されています。

「このいくつかの小さい話は、中央政府に捨てられた北海道、そしてこの札幌の

町が、まがりなりにも、今日ここまでのびてきたのは、なんであったかをはっきり

教えてくれるのだ。

 それは、もちろん政府の力でもなければ、道庁の力でもない。北海道をいい

カモにした内地の大資本の力でもなかった。

 名もなく、権力もなく、財力もないこうした人たちの根性である。この人たちに

は、仕事はちがい、言葉はちがっていても、その底に共通した、ひとつの精神が

あった。

 それはクラークがいった、あのみじかい言葉に流れていたものと、おなじもの

であった。

 それは、開拓使本庁の八角塔の上で風に鳴っていた、あの旗の指さしたもの

と、おなじものであった。」      

 花森さんは、北海道に流れる開拓者魂をほめているわけですが、これに続い

て「東京と札幌のあいだにできた目に見えないコンベアーにのって、金が、仕事

が、人が、東京から札幌へ流れてゆく。」と現状を記しています。

「『理想』なき人間が、したり顔で国つくりをいい、人つくりを説いている。

そして、札幌は、いま泥まみれの盛装に飾られ、花やかな挽歌につつまれて、

東京のご都合主義の指さす道を、歩こうとしているのだ。」

一戔五厘の旗

一戔五厘の旗

 

  50年前に「東京のご都合主義の指さす道」を歩こうとする札幌といわれ

ているのですが、はたして現状はどうでありましょう。

 こんなことを話題とするのは、最近に「ブルータス」の「札幌の正解」という

のを特集した号を入手したからであります。「ブルータス」でありますので、

一般のガイドブックとはちょっと違った角度から、札幌のトレンドを紹介する

というものになっているのですが、ここで取り上げられるのは、ほとんど当方

に縁がなく、知らない札幌の一面であります。そして、あったりまえながら

花森さんが記していることは、問題にもなっていませんです。

BRUTUS(ブルータス) 2018年 11月15日号 No.881 [札幌の正解]

BRUTUS(ブルータス) 2018年 11月15日号 No.881 [札幌の正解]

 

 まあ札幌からすれば、国内外のあちこちから遊びに来てくれて、お金を

落としてくれればそれでいいのかもしれません。

 そう思っていたところに、目に入ったのは北海道で生まれ、現在は長野県立

で教鞭をとっている人の、次の本でありました。 

 なかをぱらぱらと見ましたら、次のようにあり。

「明治政府による北海道の開拓は、日本の人口増の受け皿の一翼を担って

きたが、戦後の鉱業都市の衰退や産業構造の転換などによって、札幌市以

外は軒並み厳しい状況となっている。」

 花森さんがいうところのカモにされないことが、地方には大切ということ

でしょうか。

なんといってもこれが

 先日の新聞土曜版に作曲家の宮川彬良さんが登場して、スコアを書く時

にっているシャープペンシルのことを紹介していました。最近の作曲家は、

ほとんど皆がコンピュータソフトをつかってスコアを書いているとのことです

が、宮川さんは今も「ステッドラー社のMARSーMICROGRAPHF」に太さ

0.9ミリ2Bの芯を入れたものを愛用とのことです。

 宮川さんは、製造中止となってから、この製品を30本ほど買って、それを

使っていたのだそうですが、いよいよそのストックも残り少なくなってきたと

ありました。あまり壊れないのだけど、よくなくすものだからとのことですが、

ほんと愛用のシャープペンシルをなくすと、しばらくはショックで立ち直れ

ないのでありますね。

 当方も一時期これを使っていたことがありました。当方は筆圧が強いの

で、細いシャープの芯では、すぐに折れてしまうことから、会議などでメモを

とるときには、ノートに太い芯のシャープでなくてはだめでした。

 それにしても太さ0.9の2Bというのは、ノートが真っ黒になってしまいま

すので、芯が折れないのはいいが、やはり、いま一つということで何種類もの

シャープを使ってたどりついたのが、現在も使っている次のものであります。

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 ぺんてるのGRAPH1000であります。これに0.7ミリのHBまたはBの芯を

いれてつかっています。とにかくがんがんと書くのに適しています。握った感じ

もとても良くて、ノートにメモを取りながら話を聞かせてもらうときには、いつも

これが活躍です。

 写真に写っているシャープは、これが販売中止になったまとめて何本か購入

したうちの一本で、ほとんど未使用であります。ノートを取りながら人の話を聞く

なんてことは、もうないだろうと思っていましたが、このところまたぼちぼちと

やるようになって、やっぱり何本か確保しておいてよかったと思ったことです。

 最初の宮川さんの話に戻りますと、スコアを手書きする理由です。

「僕ら作曲家は、曲を書くのではなく、聞こえてくる音を写し取る。ほとばしる

音を忘れないうちに書き写さないといけない。勢いが大切なんです。楽譜全体

の印象を譜面(ふづら)と言いますが、音符の空き加減とか密度とか、譜面が

かっこいい絵に仕上がったら、必ずいい曲になる。それには手書きでないと

無理なんです。」

 「譜面がかっこいい絵」だと「いい曲」にというのが、フリーハンドで書いた

楽譜ならでは表現でありまして、こういういいまわしは職人さんのようでありま

すね。

こんな本が図書館に

 図書館の新着資料の棚に、どんと鎮座して表紙を見せている本が目にはい

りました。なんだこの厚さと豪華な本のつくりはであります。手に取ってみまし

たら9月にでた青土社の新刊とのことです。青土社の広告は、新聞とか雑誌で

目にしているはずですが、このようなものがでていたとは知りませんでした。

世界で最も美しい12の写本 ―『ケルズの書』から『カルミナ・ブラーナ」まで』

世界で最も美しい12の写本 ―『ケルズの書』から『カルミナ・ブラーナ」まで』

 

  本についての本というのは、当方の好みのジャンルでありまして、その昔であ

りましたら、購入も検討するような一冊ですが、正直図書館に入っていてよかった

こと。税別6900円はなかなか手がでない。

 さて、「美しい写本」であります。

 写本でありますから、これは元があって、それを写したとなりますね。ものによって

は元が失われて写しだけが残るということもあるのでしょう。写字生という人たちが、

ひたすら間違えのないように書き写して、副本をつくるわけです。

 これは洋の東西を問わずでありまして、紙にプリントしたものが綴られるようにな

るまでは、書籍はえらく貴重で、高価なものでありました。

 その昔でありましたら(印刷本が出回る前のこと)、当方のようなものには書籍を

所有するなんてことはできなかったでしょう。その時代には、貴重な刊本を一晩借り

て、自分で写したなんてことが普通にあったようです。

 借りてきたのは「美しい写本」を見るために世界の図書館を訪ねて歩くという話

であるようです。そう簡単には見せてもらえないものばかりですから、どのようにして

見ることができたのかとか、どうしてそこに収蔵されているのか、そもそもどのように

して作られたのかとか、いろいろと想像をたくましくであります。 

 取り上げられている写本は12冊で、最後までいくと630ページほど、まずは図版

を見るだけでも楽しいか。

二ヶ月たったか

 ちょうど当地を震災が襲った時に、はてなダイアリーのインポートが終わり、

それから二ヶ月が経過しました。こちらのブログにもすこしは慣れてきたかな

と思うのですが、こちらのブログはアクセス解析機能などもあって、こういうの

を目にしますと、もっとたくさんの人に見てもらえるように工夫したらいいので

はないかと思ってしまったりです。グーグルにはアナリティクスなんていう無料

のサービスがあって、こちらのほうに登録をしましたら、どこからどのくらいの

人が立ち寄ってくれているかなんて、こともわかるしかけで、売上を伸ばすた

めには、もっとがんばりましょうと言われているような気分になりです。

見なきゃいいだけの話でありますが、ちょっと見ると気になって、本日のPVは

昨日よりも少ないなとか、この日に他の日の倍もあるのはどうしてかななん

てことが頭をよぎります。ほんとほっといてくれであります。

 ダイアリー時代からお立ち寄りいただいている古くからのおなじみさんは、

今も来ていただけているのかなということとともに、ブログになってからありが

たくも読者登録して、足を運んでくださっている皆様に感謝しながら、まずは

自分のペースでやっていこうと思っています。

 昨日は図書館から平凡社東洋文庫版「周作人読書雑記」を借りてきたの

でした。本当は最初の一冊から翻訳者さんのあとがきを読んでみたいものと

思っていたのですが、読書雑記の1、2が見当たらずで、3、4を借りてみまし

た。

 この本の凡例を見ましたら、次のようにありました。

「日本書については、すでに木山英雄氏編訳の『日本談義集』(2002年

東洋文庫)に収録されたものは重複を避けたので、当該書をご覧いただき

たい。」

 昨日話題にした冨山房百科文庫のあとがきは、木山英雄さんのものであ

りましたので、当方が見たいと思った翻訳者のあとがきは、「読書雑記」の

ものというよりも、この「日本談義集」のほうであったようです。次に図書館へ

といったときに、こちらをチェックしてみることにいたしましょう。

日本談義集 (東洋文庫)

日本談義集 (東洋文庫)

 

 

3増2減

 返却期限となった本を返すために図書館へといってきました。借りていて

読むことができないものを再度借り出ししたりして、二冊返して三冊借りると

なりました。結局は3増2減でありまして、これからの二週間で、すこしでも

読まなくてはです。

 借りてくるのは、新刊の棚にあるものが中心でありまして、本日はこのとこ

ろ入厠読書でなじんできている周作人の「読書雑記」を借りてみることにしま

した。

 周作人の書くものに惹かれるのか、それともこれを翻訳しようとする人たち

に興味を感じているのかわからないことでありまして、最近ちらちらと読んで

いる冨山房百科文庫「周作人随筆」の巻末におかれている木山英雄さんに

よる「整理の後に」という文章が興味深いことです。

 これの書き出しは、次のようになりです。

日中戦争が終わるまで、周作人の翻訳・紹介がほとんど故松枝茂雄先生ひ

とりの手でおこなわれたことを知る人はよく知っているけれども、半世紀も経っ

た今、訳書は滅多に目に入らなくなった。」

 これが書かれてから20年経過でありますので、周作人の存在すらも知られ

てなく、ましてその翻訳者のことなどであります。

この百科文庫版が刊行される前年の1995年に、翻訳された松枝さんは亡く

なってしまい、生きているうちに刊行できずで残念と「整理の後に」にはありま

した。

 1984年くらいに企画されたものが、どうして刊行までに12年もかかった

のかというのが、木山さんの文章に記されています。

「その企画は、1984年の暮れにもちあがり、なぜかそれっきりになっていたの

を、ほかのいきさつにより私が脇からせっついて、88年の夏ごろ再び動きだした

のであった。こうして、先生と文庫主任の佐藤康之さんの間で収録作品のリストが

具体的に協議され、訳文の手直しなどの実際的な作業も始まったものと、そう

私は承知していた。ところが、それから1年近くも経ったころ、突然先生の方から

この話をご破算にしてしまわれた。どうやら、昔の訳文に対する編集の注文が

かましく、その遣り取りのなかで先生がむかっ腹を立てられたということの

ようであった。温厚と謙譲の徳にかけては君子の鑑みたいな人を怒らせるとは

よほど熱心な編集者なのかもしれんぞ、と私は思わぬでもなかったが」

 結局は木山さんがとりなして、松枝先生は編集者と復縁して、これの刊行に

むけてすこしずつ動きだすのですが、それからも編集者と翻訳者の間で激論が

続き、しかも編集者はあれこれとたくさんの企画を抱えていたことから、遅れに

遅れたとのことです。

 結局のところ、編集者佐藤さんは、これが冨山房での最後の仕事となった

とのことです。

「 たまたま本書の仕事を限りに書肆を辞するという佐藤さんの善戦を讃え、

前途の充実を祝したい。」

 こんな骨っぽい編集者はどういう人かなと思って、佐藤康之さんで検索を

かけてみましたら、当方もこの方が担当した冨山房の本の世話になっている

ことがわかりました。今は三陸書房という版元をお一人でなさっているようです。

この三陸書房のページにご本人が書いたものがあり、それを見ましたら、

なるほどこういう人であったのかと納得がいきました。

小社について|三陸書房
 

周作人随筆 (冨山房百科文庫)

周作人随筆 (冨山房百科文庫)

 

 

付き添いでブックオフへ

 知人からブックオフ塩野七生さんの「ギリシア人の物語」を見つけたら、

教えてねといわれていて、それを見つけたよと連絡したら、その店に案内し

てよといわれました。ブックオフ初心者の知人にとっては敷居が高かった

ろうか。

 というわけで彼は「ギリシア人の物語 1」を購入し、当方は均一棚から

一冊抜いてきましたです。

戦時児童文学論―小川未明、浜田広介、坪田譲治に沿って

戦時児童文学論―小川未明、浜田広介、坪田譲治に沿って

 

  山中恒さんといえば、児童むけの小説をたくさん発表していて、一番有名なの

は映画「転校生」の原作となった「おれがあいつであいつがおれで」でありますね。

この映画は小林聡美さんと尾美としのりさんのデビュー作でもありまして、大林監

督の尾道三部作の一作目で、とても評価の高いものです。

 その一方で、戦時下の子どもの日常をとりあげた大作「ぼくら少国民」シリーズ

があります。いつか読もうと少国民シリーズは購入しておりまして、このブログでも

話題をいただいたことがありました。

 今回購入した「戦時児童文学論」は、少国民シリーズをまとめるときに、収集し

た児童書の読んで、文学者の時代的な気分を書いたものとなります。

 本日はUSAでは中間選挙の日でありまして、熱狂的な大統領支持者の集会

の様子が映像で流れましたが、これなど見ると、ひどく危ないものを感じますが、

この世の中、敵か味方の2つしかないわけではないでしょうに。

 戦争が終わったら、次の戦争への準備というか、戦前が始まるということで

ありますね。