年に一度の庭師さん

 本日は年に一度の庭師さんに来てもらって、樹木の剪定と草取りなどをする

ことになりです。当方のところはこの場所に住んで45年ほどになりますが、両親

が育てていたイチイやもみじ、ツツジなどがあることから、両親が懇意にしていた

庭師さんに引き続きで作業をお願いしています。

 とにかくかなり思い切って強い目の剪定をしてもらっても、翌年にはひどいこ

とになってしまいます。本日の作業後は、一年で一番すっきりとして、見られる庭

となります。この状態を維持するために、これからも草取りなどに励まなくては

いけませんです。

 当方の庭作業は午前中だけにして、午後からはうとうととしながら本を読んで

過ごすことにです。本日にネットをみていましたら、岩波文庫から新刊ででた荷風

の「日乗」がよく売れていて東京堂では一番という写真があがっていました。

当方は、まだ手にできていないのですが、当方は全集で日乗は揃えているので

文庫を買わないかなと思っています。東京堂のベスト5には、「百年の孤独」が

あって、もう一冊はなんであったのかですが、四番目にちくま文庫の「シベリア

物語」があがっていました。これにはびっくりです。堀江敏幸さんの人気が後押し

しているのでありましょう。

 本日にウトウトとしながら読んでおりましたのは、図書館から借りているもの

でありました。ずいぶん前から借りているのですが、なかなか時間がなくて読む

ことができずにおりました。

 明治期から敗戦まで鉄道現場における女性職員の現実であります。

 著者は1967年生まれ歴史、乗り物ライターとあります。

 なんとなく本の表紙からも女性が鉄道現場に進出するのは、戦時下においてと

思ってしまいますが、明治期には踏切手として女性がいたようですし、大正末の

路面電車の車掌には女性がいたということです。

 これを裏付けるのは当時の新聞でありますが、鉄道現場での状況がどうなって

いるかを新潟鉄道局管内の新聞でチェックするということについて、次のように

書いています。

「新潟鉄道局に着目するのは、依拠する新聞資料の残存状況を考えてのことであ

る。地方紙は戦時下の新聞統制で一県一紙体制になったが、全都道府県の新聞

紙面がすべて残存しているわけではなく、また、どこでも閲覧できるという状況には

ない。しかしそのなかにあって『秋田魁新報』『山形新聞』『新潟日報』『信濃毎日

新聞』の四紙は、欠号がないか、あっても非常に少ないという、比較的良好な状態

で現在マイクロフィルム化され、国立国会図書館で閲覧可能な状態にある。

そしてこの四県紙の購読地域を合わせれば、新潟鉄道局の管轄地域に相当する。

つまり新潟鉄道局に限っては、管轄地のほぼ全域をカバーするだけの新聞資料に

恵まれているのである。」

 なるほどな、戦時下新聞資料ということに関して新潟鉄道局は調査に恵まれた

環境ということがわかりました。これは、この本を読んでいての収穫の一つであり

ますね。

 

 

「ちくま」8月号届く

 本日に「ちくま」8月号が届いておりました。

 手にして後ろにある広告ページをながめてから、目次に戻ることにです。

 金井美恵子さんの「重箱のすみから」、斎藤姉妹の連載など楽しみなもの

が多しです。

 それに加えて、今月は「ぼくらの『シベリア物語』」というマーサ・ナカムラ

さん(詩人とあります)の文章がありまして、まずはこれを読んで見ることに

です。

 書き出しのところをすこしだけ引用です。

「私が初めて『シベリア物語」を手に取ったのは、2013年の秋、大学四年生

の時である。今回の文庫版の編者である堀江敏幸先生が講義で扱ったこと

がきっかけだった。大学生協でも都内の書店でも手に入らなかったが、神保

町の古書街で、カバー欠品の薄緑色の背表紙が手垢で黄ばんだ本を発見し、

意気揚々と講義に持参したのだった。」

 最初に手にした薄緑色の背表紙本というと、これは1974年にでた旺文社

文庫のことであるようです。ほんと旺文社文庫は貴重なものを収録していた

のですよ。

 先日に筑摩書房のなにかのXを見たら、筑摩からこれまでに刊行となった

「シベリア物語」二冊をならべてありましたが、旺文社文庫講談社文芸文庫

もありますから、これをあわせてパチリとしてみました。

シベリア物語 右から元版、旺文社文庫、文芸文庫、ちくま文庫

 現在に「シベリア物語」として流通しているのは、ちくま文庫の堀江さんの解

説にもありますように、元版にいくつか足して、タイトルを変更しての「作品集」に

収録したものが底本となっています。作品集の「シベリア物語」が、その後の全集

でも踏襲されています。

 ちくま文庫では、最初に次のように書かれています。

「本書は『長谷川四郎全集』(晶文社)の第一巻(1976年1月刊)、第二巻(1976

年3月刊)、第十巻(1977年7月刊)、第十三巻(1978年2月刊)を底本とし、ふり

がなを適宜加除し、明らかな誤字を訂正しました。また『シベリア物語』(旺文社

文庫、1974年/講談社文芸文庫、1991年)も校正にあたり適宜参照しました。」

 このようにあるのは、とっても参考となることです。

 これに続いて「鶴」もちくま文庫にはいるとのことで、ほんとファンとしては

うれしいことであります。

 

あれから一年かな

 昨年の7月24日は、突発性難聴の治療のために入院した日でありました。

そのすこし前から違和感ありでしたが、近くの耳鼻科に通いましたら、大きな

病院に紹介するけども週末に入ったので、休み明けに紹介ということで、24日

月曜日に紹介状をもらって大きな病院へと行き、そのまま入院となりです。

残念ながら片耳の聴力は戻らずでありましたが、プルースト「失われた時を

もとめて」の岩波文庫版を三冊くらい読むことができて、プルースト読書のた

めの時間となりました。

 あの入院がなければ、いまだに「失われた時」の終わりにたどりついていな

かったかもしれずでありまして、意義ある入院でありました。

 本日は図書館入れ替え日ということで、先日の新聞読書欄「夏に読みたい

三点」に取り上げのあった本を借りてくることにです。

 一冊は借りる人がいないようで、閉架にあったものをだしてもらいました。

新聞では増補となった平凡社ライブラリーのほうが紹介されていましたが、図

書館にありましたのは元版のほうです。

 今回、新聞読書欄を見て、この本のことを初めて知ることになりました。西川

さんの「古都の占領」を読んでから、西川さんの著作リストなども目にしていた

のですが、スルーしておりました。

 この本のなかほどには、京都新聞文化面に連載されたものがありまして、これ

は住まいをめぐるブックガイドにもなっていて、これをまずはつまみ読みしてみま

しょう。

 もう一冊も、これまで図書館書架で目にしているはずなのに気づかなかった

もの。

 最近は乗代雄介さんの文庫新刊がでましたら、購入するようにしているの

ですが、これがでていることは知りませんでした。小学館文庫はあまりなじみ

がなくて、佐藤正午さんのものくらいしか、最近は買っていないからな。

 「パパイヤ・ママイヤ」で図書館にあったのは元版(黄色の本)でありまして、

これは読むことができるでありましょうね。

 プルーストを読み終えたら、次は「戦争と平和」にとりかかるといって、新潮

文庫で二冊確保してあるのですが、これはさっぱり前に進んでいませんです。

夏に読む小説というと「戦争と平和」なんだけど、どうなるでありましょう。

 

何度か読んでいるはずだが

 先日に安価で求めた文庫本でありますが、これは元版が出た時に購入し、

文庫となった時にも購入しておりました。たぶん、その都度読んでいるはずで

ありますが、最初の版は1979年で、文庫化は1986年で、ずいぶん昔のこと

であります。それからも繰り返し読んでいるといいたいところですが、そんな

ことはなかったようで。

 今回安価で買った本を読むと、ほとんど内容を忘れていることもあって、

初めて読んだ時よりも面白く感じることです。紹介されている本によっては

こちらが年齢を重ねたことによって、興味がわくものもあるようです。

 ということで、種村季弘さんが紹介している文章を引用してみましょう。

「小説を読んでいて、百科辞典を引くようなことは滅多にない。しかしそのとき

だけは例外で、百科辞典の地名索引のところを一つ一つ当たってみた。

問題の文章というのは次のようなものである。

『この話に出て来る但馬市には河があって、庄川日野川が醒ヶ井平野を

流れて来て合する点に但馬市があった。』・・・

 あらためて手元にある平凡社百科辞典の『日本地図』の索引を当たって

みると、・・」

 種村季弘さんの「書物漫遊記」にある「わが闘争」という文章の冒頭です。

種村さんが、このエッセイで紹介している但馬市が話題になる小説は吉田

健一さんの「流れ」という短編でありました。

 1980年頃には、吉田健一さんの「交友録」とか「書架記」を読んでおりま

したが、小説までは手が廻っていませんでした。それに吉田さんの小説は

30代の若者が読んで楽しめるものではなかったですね。

 この本での種村さんの「流れ」についてのエッセイを読みますと、これは

なんとかして吉田健一さんの短編小説集を入手しなくてはとなります。

検索をしてみましたら、なんと、お誂え向きで昨年に中公文庫から、吉田さん

の「短編小説集成」が刊行となっていました。これはありがたいで、早速に

この中公文庫を確保することにです。

 吉田健一さんの短編小説、当方が年を重ねたことですこしはうまく読むこと

ができるようになってはいないかな。

先日の読書欄に

 当方が購読している新聞読書欄(7月20日付)は、「書評委員の『夏に読み

たい3点』」という特集でありました。19人の書評委員に、担当記者二人のあ

わせて21人ですので、63冊があがっていました。

 友人からは乗代雄介さんの本があがっていたねと連絡があったのですが、

これは見逃していました。あがっている本で、当方の読んでいるものは少なく、

手元にある本もわずかでした。

 そんななかで、これは読んでみたいと思ったのは、記者さんがあげている次の

ものです。

 西川祐子さんは、今年の6月12日に亡くなられました。新聞で報じられていた

のですが、あまり大きな扱いではありませんでした。もともとは仏文系の学者さん

でありましたが、それにあわせてジェンダー系の業績がありまして、今回あがって

いたのは、そうした一冊。

 当方が西川祐子さんの本を読んだのは、図書館から借りた「古都の占領」で

ありまして、これが世にでたときの西川さんは80歳でありましたので、びっくり

した記憶がありです。

 この方のほかのものも読んでみたいと思いながら、ここまでその機会がなかっ

たのですが、思いがけずに「夏に読みたい3点」にあがっていて、これをさがして

みようと思っていました。

 そう思っておりましたら、本日の新聞一面の「折々のことば 鷲田清一」さんが

西川さんの「増補 借家と持ち家の文学史」から、次のくだりを引用していました。

「家の内部と家族のありようについて、くりかえし書きつづけたのはむしろ男の作

家たちであって、女の小説家ではない。」

 これを引用した鷲田さんは「佐田稲子から宇野千代まで、女性の作家たちは

むしろ、父の家、夫の家からの脱出や、『家』の枷を外した家族の多様なありよ

うを描いたと、文学研究者・女性史家は言う。」

 上に続いては、次のようにありです。

「同様に、戦後大学を卒業しても活動の場がすぐにない女性たちは進んで海を

渡った。」

 たまたまですが、西川祐子さんの孫の世代に近い、社会学者の朴沙羅さんの

ヘルシンキ 生活の練習」が今月にちくま文庫に入りまして、これを読んでお

りました。朴さんは国内でも研究職につけていたようですが、「ふたりの子ども

と海を渡った」のであります。

 西川祐子さんが切り開いた道は、このように朴沙羅さんの世代に受け継がれ

ているのでありますね。

 

最高気温は26.8度

 本日はお天気よろしとなりました。

(昨日は夕方にかけて海霧が発生し、見通しがきかなくなりました。)

お昼すぎに、本日の最高気温26.7度を記録です。窓をあけても風が

はいってこないので、扇風機を取り出してきて、夕方からはまわして風を

送ることにです。

 猛暑の地域からすると10度くらいは低くて、本日は湿度も80%くらいでし

たから、からっとしてすごしやすいことです。このお天気でありましたら、熱中症

になることもないでしょう。

 住みにくい猛暑の地を離れて、北国へと移住したらよろしいのにと、強く思う

ことであります。食べ物もおいしいし。

 本日は朝起きてと夕食後に残っていた磯崎憲一郎さんの「日本蒙昧前史

第二部」を読んでおりました。なんとか最後のページにたどりつきました。

 蒙昧なんて言葉は、ほとんど日常で使うことはないですね。会話のなかで

君は蒙昧な人だねなんて、いったらたいへんですものね。思っても使えない

ことで。

 前史でありますからして、作者は現状の日本のなかに蒙昧なところを見出し、

50年前の現象のなかにその起源をさぐろうという小説でありますね。

 本日に読んでいたほとんど最後のくだりに、次のようなくだりがありました

です。

「それは結果的にではあるが、太平洋戦争敗戦から今日にいたるまでの78年

の間で、たった一度だけ発せられた、アメリカへの従属に日本があからさまに

逆らう内容の、公的告示ともなった。」

 へえーそんなことがあったのかです。1970年代の初めの話で、これがどんな

局面において起こったことなのかです。

 最近の世の中の動きを見ていましたら、なんでもありになっていて、タガが

外れているようにも感じますが、こういうのは蒙昧ということで理解してもいい

のでしょうか。USAの大統領をめぐるあれこれも、信じられないことで、このま

ま従属していて大丈夫かと思ってしまうこと。

 この「日本蒙昧前史第二部」について、「文學界」で乗代雄介さんが評を

書いているとのことです。これはのぞいてみなくてはです。

 

皆さんどうされているのか

 磯崎憲一郎さんの「日本蒙昧前史 第二部」を読みついでいます。

朝起きてからふとんのなかで読んで、その勢いでいきますとすぐに読み終えて

しまいそうなので、いつものように庭仕事をして、そのあとトレーニングへといく

ことになりです。

 磯崎さんの「蒙昧前史」は、ちょっと不思議な仕掛けのある小説でありまして、

この小説を読んでいる作者(1965年生まれ)と同年くらいの方は、どのように

楽しんでいるのかなと思ったりです。

 この「蒙昧前史」は、固有名詞がまるででてこないのですね。特に、人名はまっ

たく記されていないはずです。1970年代の事象とかに詳しい方は、この話は

あの人のことなのだなとわかるのですが、そうでない人は、これ誰のどのよう

なエピソードかなと首をかしげるはずです。

 第二部に登場する人物は、次のように書かれています。

 「新潟の牛馬商の息子の政治家」70年代ですから、新潟の政治家といえば、

これはわかりますよね。

 それじゃ、当時の外務大臣ですが、この方は「四国香川の西端、三豊郡和田村

の生まれ」とあります。こちらのほうはすぐにはでてこないかな。

 この時の官房長官は、「テレビのニュース番組で観るのと同じ、銀髪のオール

バック、太い眉、下瞼の窪んだ大きな瞳」の方だそうです。   

外務大臣官房長官について、検索せずにわかった60年代生まれの方は、ちょっ

とすごいかもです。

 このあとには、芸能ネタがてくるのですが、そこにでてくる人は、このように表記

されます。

 「日本一綺麗な女優さんと、日本一の美男子が結婚した」とあります。70年代

にこのように話題になったのは、どなたでしょうね。

 これに続いてでてくるのは、美男子とつきあっていた「神楽坂育ちの舞台女優」、

「東大医学部卒の純文学作家」、「役者たちの気の置けない付き合いの中心には、

年配の喜劇女優がいた、京都の芸妓の私生児として生まれ、ジャズ歌手や時代劇

の脇役として食いつないできた苦労人だったが、今では大晦日紅白歌合戦

紅組の司会をまかせられるほどの大物」などなどでありまして、こうした一人一人

について、モデルというのか対応する人物が存在するのですね。

 たぶん、上に引用した文言で、検索したら、その人物に行き当たるようになって

いるのでありますよ。それがあたっているのか、いないのかも含めて、検索を必要

とする小説であります。

 そういえば、1970年代に半世紀前といえば、大正時代のことでありまして、

その時代の小説は注がなければ、背景がわからなかったものなと思うことです。