もうだいぶん前から寒くはなっているのですが、ここに来て食事を終えて
台所で洗い物をしていたら、洗うのにお湯を使うせいもあって、その後に
手ががさがさになるようにです。これまでよりも洗い物の水温をあげている
のが、原因でありましょう。終わったらすこし手にワセリンを塗らなくてはです。
午前には、すこし気温があがったので、庭にでて花が終わってしまった秋明
菊などをカットしてしまうことにです。今週の予報をみたら、週末まであまり
お天気は良くないようで、ちょっとでも片付けに手をつけておいたほうが、
いいかと思ったもの。1時間ちょっとの作業でしたが、がっちり着込んでいた
こともあり、汗ばむことになりました。大きなゴミ袋(40リットル)に二つの
収穫でありました。
先月に、当方のところにも墓じまいの連絡がありまして、そんなこともあり、
今月に届いた岩波「図書」の「『家』なき時代のお墓を考える」を興味深く
読むことになりました。
この文章を書いたのは辻井敦大という方で、この方は9月に岩波新書から
「お墓はどうなる」という本を出しているのだそうです。1993年生まれとありま
すので、当方の子どもよりもずっと若い人です。
「図書」の書き出しは、次のようになっています。
「大学の講義で『家』の話をすると、たいてい学生たちには通じない。ここでいう
『家』とは、家業や財産、社会的地位や先祖の祭祀を代々受け継いでいき、その
永続を志向した団体のことである。戦後の民法改正で制度としては廃止された
が、その後も生活のなかで根強く残ってきたものを指している。」
家制度でありますね。北海道は、当方で渡ってきて四代目でありますが、それ
からも転々としていたことから、土地と結びつく社会的地位なんてものはなく、
どうぞどこでも好きなところでお暮らしなさいであります。(当方の長男が関西で
学校を卒えて、そのまま関西で就職をしたとき、彼の友人たちから地元に戻って
家を継がなくてもいいのかと言われたそうです。)
そもそも、当方の曽祖父(なんと長男であった)にあたる人が、富山は宇奈月
近くの集落から新天地に夢を抱いて移住して来たのですから、相当に変わりもの
であったのかもしれません。
曽祖父は大正6年に、祖父は大正11年に亡くなっていますので、その墓のこと
など意識したこともありませんでした。そういう意味では、彼らは「家」を残すこと
はなかったといえるかもです。
先月に降って湧いたような墓じまいの話は、富山の親戚から旭川近くに住む
亡父の従兄弟宅に連絡が入り、そこから伝わってきたものです。話としては、10月
30日に富山の寺の墓じまいをするのでということで旭川からと、札幌から当方の
兄が富山へと行って、墓じまいに立ち会うこととなりました。


北海道の常識でありましたら、古い墓じまいはどうぞ勝手にやってくださいと
いうところですが、富山の方々は義理堅いことで、北海道に渡ってきた初代が
お参りをしてから移住してきたであろう墓を廃するには、北海道に居住するその
縁者(元々は、家の跡取りの子孫たち)にも連絡する必要があるという認識なの
でしょう。
富山の方々も、これまでは家に縛られてきていたのでしょうが、今回のご先祖
たちの墓じまいで、すこしは家と土地から自由になれるのかもしれません。















