どろなわクッキング

 ほぼほぼ朝食の用意は当方が行っておりますが、たまには家人の助けを

借りることになります。基本は、当方でもできるもので組み立てるのでありま

して、スムージーを作る、コーヒー豆をひいてドリップする、野菜サラダの用意

(この時期であれば、酢キャベツにトマト)、卵料理を作る(オムレツ、目玉焼き、

ゆで卵など)、パンを薄くスライスするというのが、一連の作業となります。

 今朝は、先日に安価で購入した小林カツ代さんの本にありました「ポテト

サラダは永遠です」に影響されて、ポテトサラダを作ろうとなりました。それで

家人の助けを借りることになったのですが、どろなわクッキングというのは、

ポテトサラダを作ることにしてから、やおらマヨネーズを作り始めるからで

あります。

 このところ家人は、マヨネーズは自家製に限るとなっていて、週に一度くら

いの頻度で、オイルと卵をブレンダーで混ぜてマヨネーズを作るのですが、

以前はオイルと卵が分離してドレッシング状態で、往生したものの、このとこ

ろは、卵を温泉卵状態にしてからオイルとまぜる方法に変えましたら、そこそこ

安定して、失敗しなくなったようです。

 できあがりの写真を掲げればよろしいのでしょうが、まあそれほどのもので

もありませんので。

 ということで、先日に購入した小林カツ代さんの本は、次のものでした。

 小林カツ代さんの本に手が伸びるようになったのは、津野海太郎さんの

影響です。以前にも、そのことを記していますが、津野さんの「歩くひとりもの」

のなかで、取りあげられていたことによります。

歩くひとりもの

歩くひとりもの

Amazon

 「歩くひとりもの」には、小林カツ代さんを話題にする文章が二本収録されて

いて、当時津野さんは独身で日々の食事作りに頭を悩ましていたのであります

が、その頃の津野さんが手にした料理の本についてです。

「丸元氏もそうだが、江原恵さん、津村喬さんといった男たちが日常の食につ

いて書いたものは、しばしば突っこみがラジカルすぎ、たしかに読む者の背筋

をピンとさせてはくれるが、そのぶん人をのびのびさせる力に欠ける。」

 これに対して、津野さんが書く、小林カツ代さんのスタンスです。

「彼女は、あたえられた条件(たとえば旨みのないかつお節)を決定的なものと

してとらえない。決定的と見えるものをカラカラと笑いとばし相対化してしまう

智恵について語る。だから、どこまでいっても話がドラマチックに盛り上がること

がない。」

 このように書いた後に、小林カツ代さんの本が男たちに手に取られることが

ないのは残念と書きます。

「丸元氏、江原さん、津村さんたちの本が一般書として売られ、男女の別を問わ

ない多くの人々に読まれているのにくらべると、小林カツ代さんの本は料理実用

書のコーナーに押し込められ、ほとんどの男にとっては存在しないも同然の状態

におかれている。」

 今回当方が購入した本は、元版は2003年刊行の「実践 料理のへそ」という

タイトルでしたが、小林さん没後の2015年に文春新書カラー版として生まれ代わ

り、新書棚に並ぶことになりました。

 ちなみに、新書版の「お料理入門」でのポテトサラダは、まず紹介されるのは

「マヨネーズを使わないポテトサラダ」でありました。ポテトサラダにマヨネーズは

必須ではないのですね。

知らないではなく、忘れましたです

 当方の昨日の記事に対して、コメント欄にqfwfq様から、書き込みをいただき

まして、中公文庫から刊行となっている金井美恵子さんの「カストロの尻」の

ところを見るようにとありました。

 どれどれとリンク先を見てみましたら、なんと中公文庫版の「カストロの尻」の

表紙カバーには、昨日に当方は知らない人と記した岡上淑子さんのコラージュ

が使われているではないですか。

https://www.chuko.co.jp/bunko/2024/02/207481.html

 当方は「カストロの尻」の元版が出た時に、購入していて、ほとんど読まずに

ほっていたこともあって、文庫になった時には値段が高いこともあり、購入する

ことが出来ずになっていました。

 当方のところにある元版の表紙は、このようなコラージュは入っていないの

でありました。

新潮社「カストロの尻」2017年5月刊 (もちろん「カストロの尼」のもじり)

 この「カストロの尻」の帯には、「無数の記憶がコラージュされる」と

ありまして、連作短編には岡上淑子さんのコラージュにインスパイアされた

作品が収録されていて、岡上さんのコラージュが提示され、それに引き続い

て、金井さんの小説が始まるようになっています。

「カストロの尻」から「呼び声、もしくはサンザシ」 右ページに岡上淑子「呼び声」

 こんな仕掛けになっていたとは、まるで知らずでありまして、これは読んで

いないからでありますね。

 この「カストロの尻」の5年前に金井さんは、「ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・

トールド・テールズ」という作品集を刊行しているのですが、そういえば、あれの

表紙には、へんてこな絵(?)が使われていたなと思って、「カストロの尻」と一緒

に取り出してくることになりました。 

「ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・ トールド・テールズ」新潮社 2012年刊

 この表紙に使われているコラージュが岡上淑子さんのものであったのですね。

  この本の「あとがき」には、次のようにあります。

「本書を美しい謎のように包み込んでいる岡上淑子さんのフォト・コラージュは、

本書の装幀者の姉が偶然(というか必然的にと言うべきでしょう)彼女の写真

集(DROP OF DREAMS , 2002 Nazraeli Press)を見つけ、一目でその写真

に魅了されたことがきっかけで、私の本に月の光のような輝きを加えてください

ました。1950年代にまだ年若い少女だった岡上さんは、エルンストのコラージュ

を知らずに独特のコラージュを制作していたのですが、長い間、多くの人々には

知られることのない存在でした。時間をこえて、私たちに与えてくれた岡上さん

の作品の美しい衝激(ショック)の波が、また新しい小説を書くことへ誘い込む

ようです。」

 なんと、こんなにも書いていてくれましたか。この「あとがき」の日付は、

2011年12月26日となっていますので、この数年後から岡上さんのコラージュ

にインスパイアされて、「カストロの尻」に収録される連作が発表されるように

なりました。

 さすがにの金井姉妹でありまして、これらの本を購入していて、それにまった

く気づかない当方もなかなかのものであります。

 それこそ、昔の軍隊でありましたら「知りません」ではなくて、「忘れました」と

いわなくてはいけない話で、国会に証人に呼ばれたのであれば「記憶にござい

ません」といわなくてはです。

 こちらも元版の表紙絵とは、変わっていましたです。版元が新潮社から中公

に変わったことも関係あるのかな。

知ってる 知ってる 知らない

 このところ手にしている図書館本「装いの翼」(行司千絵 岩波書店)で取り

上げられて三人の女性のことであります。

 登場する順で、いわさきちひろ(知ってる)、茨木のり子(知ってる)、岡上淑子

(知らない)ということになります。知っているといっても名前を知っているとか、

代表的な仕事を目にしたことがあるという程度のものでありますが、岡上淑子

さんについては、これまで名前を目にしたこともないのではないかと思われる

ほどで、その名前の読み方さえもわからずでありました。

 行司さんが取り上げている三人に共通するのは、趣味の良い服装をしている

写真を残していて、少なからず自分の着用しているものを自分で制作している

ということがあげられます。

 もちろん、いわさきさんは画家、茨木さんは詩人ということになるのですが、そ

れじゃ岡上淑子(おかのうえ としこ)さんという方は、何をされていた人なの

でありましょう。

 行司さんの「はじめに」にあります、一行紹介では、このように書かれています。

 「1928年生まれ、現在は高知に暮らす美術作家」

 美術作家というのは、どういうことだろうです。そんなことで、本文を見てみまし

たら、次のようにありました。

「東京・白金台にある東京都庭園美術館で2019年、『幻のコラージュ作家』と

呼ばれる岡上淑子の作品展が開かれた。幻のといわれる所以は、1950年代の

数年間に約百四十の作品を手がけた後、さまざまな事情が重なり、美術界から

長らく姿を消していたからだ。コラージュが生み出された期間は、彗星の流れの

ごとく一瞬だった。」

 活動期間が当方が生まれた頃の数年間で、その後はひっそりと高知で暮らして

いたのですから、世間から忘れられるのを望んでいたみたいなところがありです。

 行司さんがこの方に注目したのは、この作品展に「服を縫うために自ら線を引い

たという、型紙があった。ことからです。「ひとめ見て、本格的なテーラー技術がない

と縫えない複雑な構造だとわかる。淑子もまた、服をつくるひとだったのだ」と続き

ます。当方は、とりあえず「服をつくるひと」よりも、コラージュ作家のほうに興味があ

るとです。

 岡上さんが「はじめて服を縫ったのは、敗戦の翌年に入学した恵泉女学園高等

部のとき」とありますが、この恵泉女学園高等部では、もう一つ出会いがありました。

「電車で通学するうちに、ひとりの同級生と親しくなった。おなじ家事科に通う若山

浅香で、美術や映画の話題で盛り上がり、ふたりは『トンコ』『アサカ』と呼び合う

親友になる。若山はおしゃれで、どんなスタイルでも上手に着こなした。」

 この若山さん演劇の道に進み、後に若い作曲家と結婚して武満となるのですが、

岡上さんが若山さんにコラージュを見せたところ、その作品に魅力を覚え、若い

作曲家武満徹に紹介することになり、武満もまたその作品に感銘を受けて、

美術評論家の瀧口修造に作品をみてもらうようアドバイスをし、後に武満は岡上

さんを伴って瀧口修造のところを訪ねることになります。

 ほとんどわらしべ長者のような話でありますが、こちらは実話であります。

瀧口さんの年譜をみたのですが、岡上さんは登場しないものの、瀧口さんが企画

と人選を任されていた「タケミヤ画廊」での展示はでてきました。

 この「タケミヤ画廊」での個展を終えて、まもなくして岡上さんは結婚し、そのま

まコラージュ作品は、中断してしまったようです。

 再び光を浴びるようになったのは1996年とのことで、この時の展示は、タケミヤ

画廊の個展から約40年ぶりであったとのことです。

 それからは徐々に岡上さんの情報も多くなってきたようでありますが、それでも

当方には届かずでありました。行司さんのこの本を手にしなければ、岡上さんの

ことは知らずに終わったでありましょう。

oralarthistory.org

thethirdgalleryaya.com

 

大通りサーガ

 札幌に住む従兄弟から千葉に住む親戚のお姉さんが帰省していて、

会うことになったが、でて来るかいと連絡をもらっておりました。

 その約束の日が本日でありまして、お昼の電車に乗って出かけることに

なりました。

 お姉さんたちは亡父の従兄弟であるのですが、年齢が離れていることも

あって、ほとんど自分たちの従兄弟でもあるように受け止めていて、お姉

ちゃんといったり、下の名前で読んだりでありました。

 戦争がはじまるすこし前くらいに旭川近郊から、札幌に住む親戚を頼って

移り住んで、大通りといってもほとんど下町のゴミゴミとしたところの半径で

いくと50Mくらいのところに親戚三軒(父方の祖母とその弟、妹家族)が寄り

添って暮らしていて、貧しかったこともあって、この三軒の結束は強かったです

ね。お正月には田舎に住んでいた当方のところも札幌の家にいって、親戚を

めぐってお年玉をいただいたり従兄弟たちに遊んでもらったり、学校の夏休み

には、当方のところが夏の家のようになって従兄弟たちが遊びに来たりです。

 今から70年近くも昔の話でありまして、そうした昔話ができるのも、本日に

集まった四人の他には、あと一人いるかどうかとなりました。

 今は創成イーストなどとしゃらくさい名前で呼ばれたりしていますが、その

頃はほんと下町でありまして、家と家の間の人一人がやっと通れるすき間を

いったりきたりした「大通りサーガ」であります。

 本日に集ったのは85歳女性、82歳男性、81歳女性と75歳の当方で、一番

上のお姉さんにはほとんど遊んでもらった記憶はないことで。 

 大通りサーガの一番良い時代は1955年くらいであったでしょうか。ちょうど

国の経済も右肩上がりになって行くころでありました。

 本日の集まりでの、楽しみの一つは千葉のお姉さんから参加している「女性

の日記から学ぶ会」の様子を伺うことでありました。

先日まで読んでおりました「人びとの社会戦争」のなかでも、この「女性の日記

から学ぶ会」のことが取り上げられていて、あとがきでは著者益田肇さんが、

今年にある30周年記念の集まりには参加する予定とありまして、そのことも

聞いてみたいなと思っていました。

 そもそも「人びとの社会戦争」を読もうと思ったのは、益田さんがこの「女性の

日記から学ぶ会」の業績に言及しているからでありまして、お姉さんたちの活動

はこのように評価を受けるようになったかと感慨深いものがありました。

 以心伝心でありましょうか、千葉のお姉さんの当方へのお土産は、今年の七月

の「女性の日記から学ぶ会 三十年の歩み」という記念誌でありました。

女性の日記から学ぶ会 三十年の歩み 2026年7月刊

 これはうれしいことです。寄稿されているのはほとんど無名の会員さんに

よるもの(そのなかには親戚のお姉さんのもあり)でありますが、そのなかに

は「人びとの社会戦争」の著者である益田肇さんのものがあり、益田さんが

影響を受けたという吉見義明さんのものがあることです。

 今は亡き西川祐子さんが会の20周年記念に寄せた文章も掲載されてい

て、ここで西川さんの文章に出会うとは思いませんでした。
 それにしても、こうした地道な活動が続くことには敬意しかないことで、当

方も見習わなくてはと思うことであります。

 

昨日に引き続きで

 本日の午前はトレーニングへと行くことになりましたが、その前にパンの

仕込みをすることにです。パン作りは昨日に引き続きでの作業となります。

自家製天然酵母のパンですが、ぶどう(今回はデラウエア)で酵母液を作り

ますと、酵母種が850gほどできますので、それで2斤の山型パンを3本と、

今回はミニバケット2本を焼き上げることにです。(粉は3種類を気分で

ブレンドして)

 昨日は山型パン二本(プレーンのもの、レーズン入りのもの)焼いて、

本日は山型パン一本(全粒粉の配合を少なくして、ちょっと食べやすくした

もの)とミニバケットです。(天然酵母に、すこしのドライイーストを加えて、

発酵を助けています。)

 仕込みから焼き上がりまで、ゆっくりと時間をかけて10時間の作業となり

ましたが、本日の出来はまずまずでありましょうか。

2斤山型パン(ハルユタカブレンドと全粒粉ミックス) ミニバケット(タイプER)

 これは冷凍庫でストックすることにです。いまはロールパン、ライ麦パンもあり

ますので、二週間ほどは焼かなくても大丈夫となりました。

 昨日に引き続きといえば、読書もそうでありました。これまでの時間では、「伝説

の出版社 博文館」を手にしておりました。

 トレーニングを終えて、パンの発酵具合を見守りながらの読書となったの

ですが、午後の時間はどうしても本を読んでいるとウトウトとしてしまいます。

これはいかんことで、なんとか本日中に100ページまではたどりつこうと思って

いるのですが、はてさてどうでありましょう。

 本日読んでいたところでは、博文館を起こした初代の大橋さんは、新潟長岡

の出身で、その関係で長岡人脈が博文館を支えたとあります。

「(長岡)出身で、東京で名を挙げていた医学士に小金井良精という人物が

いた。日本の解剖学の草分け的存在であり、人類学者としても知られている。

この小金井は、<米百俵>を売却して教育費にまわした件の小林虎三郎の

甥にあたる。そして東京帝国大学では森鷗外の一年先輩、後に鷗外の妹の

喜美子を二度目の妻に迎えた人物でもある。SF作家・星新一の祖父にあたる

といえば、現代ではよりイメージしやすいかもしれない。」

祖父・小金井良精の記

 当方の若い頃は星新一さんは人気作家でありました。ショートショートと

言われる作品の他に、上に掲げたようなものがあったのは承知しておりまし

たが、この時期に博文館関連で小金井良精さん、そして星新一さんの名前

を目にするとは思いませんでした。

 ちなみに博文館という会社名は、大橋さんが伊藤博文にちなんでつけた

のだそうで、その昔でありましたら伊藤博文といえば、お札の人でありました

が、もうずいぶんと昔のことで、伊藤博文のお札といわれても、ぴんとこない

人が多いでしょうね。

さて、今月は

 本日から9月となりました。当方のところはすっかり秋の雰囲気となって

おりまして、日中でも半袖でなくてよろしです。

 図書館から借りている本の返却日を迎えましたので、本日の午後に図書

館まで出かけることになりました。予約してありました閉架書庫の本もご用意

できましたとありますので、厚手のバッグに本を詰めて行き、二冊戻して、あわ

せて7冊借りてくることになりました。

 借りるのは簡単でありますが、読むのはそこそこ大変でありまして、本日に

借り出しの延長をしたものには、4週間ほど借りているのに、一度も手にして

いないなんてものもありまして、これはなんのために借りているのかわからん

ことであります。

 ということで、9月の最初に読むのは、これでありますね。

 ちょうどNHK朝ドラは、明治中期くらいを話題にしていますので、時代的には

「博文館」と重なることであります。ドラマのほうは、かなり気をつけて見ていな

くては、明治何年くらいを話題にしているのかわからなくなるのですが、それでも

大きな出来事などがあれば、これは明治27年くらいであるかなと思うことです。

 当方の父方の祖父は明治17年生まれでありますので、日清戦争が起こった

ころには、十歳くらいになっていて、登場人物に重ねてしまうことにです。(もち

ろん、画面のなかの登場人物は垢抜けてスマート過ぎるのですが)

 そういえば、朝ドラには作家志望の青年なども登場するのですが、あの方が

小説の連載を夢見た新聞というのは、何がモデルであったのでしょうね。

 博文館といえば、当方にとっては、今年から使い始めた5年連用日記の版元

となります。当方のなかではいろいろな日記帳を出している会社という認識で

ありますが、それは博文館新社の仕事でありまして、明治までさかのぼれば、

様々な先進的な出版に取り組んでいたとのことです。

 本日は「はじめに」から冒頭の章のところを読んでみることにします。

「今をさかのぼることおよそ百四十年、東京本郷区の六畳二間に産声を上げ

た、小さな出版社がある。彗星のごとく現れるとたちまちにして出版界の巨星

となり、日本の近代出版界を牽引、後に一大コンツェルンへと発展を遂げた

この出版社を『博文館』という。創業当時は明治の半ばで、出版界も揺籃期

だった。そのため、出版物は今よりもずっと少なく高価で、一般の人々にはなか

なか手が届かなかった。」

 「はじめに」の書き出しから引用でありますが、「一般の人々」というのをどの

ように受け止めるかですが、士族とかの子弟であれば、ともかく識字率が低いの

でありまして、小学校にも満足に通うことが出来ていない時代の話ですから、

誰が本を購入したのかですね。(福沢諭吉の「学問のすゝめ」はずいぶんと売れ

たので、本を購入して、読む層というのは一定いたことはわかるのですが。)

8月の終わりに

 今月は、「人びとの社会戦争」、「笹まくら」など、戦時下をテーマにする本を

読んでおりました。

 「笹まくら」は、主人公が徴兵拒否をして、全国をめぐるのですが、それじゃ

これに徴兵検査とか招集礼状のことが登場しただろうかと、まるでそのことは

頭に入っていないことです。

 このことを調べるとすれば、それこそメモを取りながら読まなくてはできない

ことですが、パラパラとページをめくっていたら、主人公が終戦後に、出奔した

実家に戻り、父親と語るところに、次のようなくだりがありました。

(父との話題は、自分が徴兵拒否をしたことで迷惑をかけたということでした。)

「『いいさ。気にするなよ。おれが辛かったのは毎年一回だけだったよ。あとは

平気でいた』と父は言った。

『毎年一回?』

『うん、区役所の兵事係へ行ってまだ帰らないと報告をする。あれは厭だったな』」

 主人公の父親は、町医者という職業でありますので、そんなこともあって、あま

りひどい嫌がらせを受けなかったのかなとも思えます。

 現在は、まったく知られることもなくなった兵事係の仕事が、ここにでてくること

にです。

 かっての兵事係の仕事は、敗戦時、真っ先に関係書類を処分せよという指示が

でて、ほとんど残っていませんので、知られることが少ないものです。

 全国には極めて少ないもののそうした書類が焼却を逃れて、現在に伝わって

いるものがあり、そうした資料とそれを残したかったの兵事係員の証言を中心に

して書かれた本が、「赤紙と徴兵」でありました。

 この本のなかに「笹まくら」に通じる文書が引用されていました。

 それは「徴兵事務ニ関シ市町村当事者ニ対スル希望並連絡事項」というもの

です。ちょっと、読みにくいのですが、原文のママ引用してみます。

「聖戦五年、国民総力ヲ挙ゲテ戦イツツアルトキ、所在不明ノ為徴兵終結処分ヲ

終ワラザルモノアルハ洵ニ遺憾ニ堪ヘズ、然ルニ従来当事者ノ労ニ依リ発見シ

タル人員ハ極メテ少数ニ属ス。之等所在不明者アルハ自己市町村ノ恥辱ト心得、

常ニ各種機関ト連絡スルハ勿論、百方手段ヲ講ジテ捜査ニ努力シ、此種終結処

分未済者ノ絶滅ヲ期サレ度。」

 この本の著者は、「『絶滅ヲ期サレ度』という言葉に、軍官僚機構の所在不明者

に対する憎悪ともいえる感情が表れている。」と書いています。

それこそ、軍官僚機構としては、徴兵拒否はあってはならないこととなりますね。

 そういえば、今月に何度目かの再放送があった「刑事フォイル」は、戦時中の

徴兵忌避がテーマでありまして、地域の有力者の息子が「良心的徴兵忌避」の

申立をして、裁判でそれが認められるのですが、もともとその息子にはこの忌避の

対象になる信仰心などはなく、親が裁判官に賄賂を送って忌避し、息子は事件(?)

を起こして収監された警察で、警官に暴行を受け、それを苦に自殺するという

シーンがありました。

 英国でも、徴兵忌避への道のりは厳しかったのだなと、そう思いましたです。