そろそろ箱は閉まるか

 本日は参議院議員選挙の日であります。今回も投票率は相当に低いよう

であります。投票してもしなくても、世の中には期待していないからななんて

ことをいうことなしにしましょう。とはいってもあと締め切りまで5分くらいで

ありますので、これからだと投票に間に合わないか。信頼していたのに、

裏切られたとか、だまされたなんてこと言わないように。

 図書館から借りている本の何冊かは先週末が返却期限でありましたが、

休み明けまで勝手に延期して、あわてて読むことに。

 まずは「ホスピス病棟の夏」川村湊さんであります。 

ホスピス病棟の夏

ホスピス病棟の夏

 

  二部構成で、前半は奥様が聖路加病院ホスピスで亡くなるまでで、後半は

おひとりさまとなった川村さんが、奥様を失った淋しさと、そして自らの病の受け

入れとなります。

 結局、慢性腎臓病から人工透析となり、それを機に北海道に移って、お一人

暮らしの妹さんのところに身を寄せてからの日々が綴られています。

 奥様が健在の頃は、千葉の我孫子市で暮らしていましたが、ここから病院へ

と通うのが難しくなり、病院近くにアパートを借りて、半年ほど過ごしたところで、

入院となり、あっという間に亡くなったとあります。

 奥様が亡くなった時には、川村さんは精神的にも肉体的にも、そうとうに病んで

いて、とっても奥様と一緒に暮らしたところに戻って、一人でいることには耐えられ

ないということから、北海道札幌で暮らすことになったとのことです。

 お一人さまとなってからのことを、次のように書いています。

「自分がそうした身の上になったからか、妻に先立たれた夫の書いた本が目に

付くようになった。川本三郎の『いまも、君を想う』がそうだし、江藤淳の『妻と私』

西部邁『妻と僕』、城山三郎『そうか君はもういないのか』、徳岡孝夫『妻の肖像』

永田和宏『歌に私は泣くだらうな』などだ。」

 同じ境遇にならなければ、あまり読むこともない著作家のものでも、こうした縁で

読むということがあるということがわかります。上に続けて、「読んだあとの索漠たる

孤独感は、やはり同じ境遇の人にしかわからないものだろう。」とありました。

 できれば、縁がナシで終わりたいものです。

 もう一つ後半で目をひいたのは、川村さんの蔵書についてであります。

「3・11の大震災で、自宅の敷地に建てた二十畳敷の書庫は惨憺たる有様となった。

壁に作りつけた書棚は、何とか大丈夫だったが、スチール製の本棚は、ドミノ倒しと

なって倒れ、並べていた本が全部飛び出して、”書籍流”となっていたのだ。

倒れたスチール本棚は、歪み、ねじれ、本の山の中に埋もれている。・・・・

3・11後、五年が経っても、六年がたっても本の山はそのままだった。」

 この書庫にあった何万冊かの本をどのように整理・処分するのでありましょう。

埋もれている本を片付けなくては、資料として活用することができませんし、

体調がよろしくない現状では片付けもできないしということで、これは資料を活用

しての仕事を継続するのは困難となります。

 それにしても、2011年の大震災、2015年には奥様の病気が見つかるのです

からして、川村さんの60代は、ひどく大変なものとなりました。

ひさしぶりの太陽

 おひさんがでたのは、いつ以来のことでありましょうか。バラの季節に雨は

ほしくないと思っていたら、ここのところずっと雨ですこし遅れて見頃をむか

えたバラたちは雨のために、花がすっかりだめになってしまいました。

雨のなかバラの花をつむのはたいへんでありますので、雨があがって、水滴

が葉から落ちるのを待っておりました。おひさんのおかげで、本日の午後から

は花を落としたのですが、20リットルの大きゴミ袋一つ分くらいになりました。

すこしすっきりとしたのですが、もうすこしゆっくりと花を楽しみたかったこと。

 庭仕事の合間に図書館から借りている「冗談音楽の怪人」を読んでおり

ました。

冗談音楽の怪人・三木鶏郎 :ラジオとCMソングの戦後史 (新潮選書)

冗談音楽の怪人・三木鶏郎 :ラジオとCMソングの戦後史 (新潮選書)

 

 当方が生まれたころにラジオ番組で活躍された三木鶏郎さんですが、子どもの

ころは、いまだ三木さんの影響力が大きかったと思うことです。三木さんが育てた

人たちが活躍するのは、ちょうど小学校に入ってからくらいですものね。

 当方の子ども時代は、家族だんらんの時に聞いていたのはラジオでありました

から、中村メイコとか楠トシエさんの番組はとっても楽しみにしていたのですよね。

特に中村メイコさんの人気たるやであります。紅白歌合戦の司会を1959年から

3年連続で担当したということですが、中村さんの前年は黒柳徹子さんで、これが

あまり評判がよろしくなかったはずで、それだけに中村さんの株が高かったといえ

るでしょう。

 最近は美空ひばりの回想番組くらいでしかお顔をみることができない中村メイ

コさんでありますが、あのようなタレントぶりを、現代の子役あがりの人は見せて

くれるかな。

 当方の好きなメイコさんの役柄としては、「新宿芸能社」シリーズの森繁久弥

奥さんを演じたものがあります。森繁はすべてに出演しているようですが、中村

さんは最初の作品だけのようです。

 三木鶏郎さんの本を読んで、当方に一番なじみの出演メンバーは中村メイコ

さんであったかなと思うことです。

 著者の泉さんは1956年東京生まれでありまして、同時代で三木さんの世界に

ふれることのできたぎりぎりの世代。このような著作を残してくれてありがとうで

ありますね。これにまとまった文章が連載されていたのは「新潮45」とのこと。

これがあっさりとなくなってしまったのは、やはりもったいないことでありますね。

慣れてはいけない

 昨日に京都で放火があって多くの方が亡くなり、今も多くの方が入院されて

いるとのことです。亡くなった方々のご冥福を祈ります。

 どうしてこのような無差別殺人が続くのか、まるで理解できないことです。

このような事件があると、あちこちのTV局のワイドショーが取り上げ、

コメンテーターがしたり顔で解説するのですが、これはほとんどなんの意味もな

いことではないかと思います。他人の不幸を商売の道具にしてしまうというのは、

マスコミの宿命であるかもしれませんが、節度をもってでありますね。このことを

三面記事的に知りたいと思っている人と同じくらい知りたくないという人もいる

はずであります。知りたくない人はテレビなど見ないわけですから、知りたい人に

向けられる番組つくりはいきおい熱くなってしまう。

 こういう番組を見て、こんなに騒がれるのであれば、自分はもっと大きなことを

してやろうなんてことを思う人がでなけれりゃいいと思うことです。

 大きなことをしたいとか、もっと受けたいとか、注目を浴びたいというのは、現

代病なのかもしれませんが、当方のブログはできるだけ受けを狙わず、地味に

続けていくことにいたします。

 本日は、このあと図書館から借りている本を読むことにします。

冗談音楽の怪人・三木鶏郎 :ラジオとCMソングの戦後史 (新潮選書)

冗談音楽の怪人・三木鶏郎 :ラジオとCMソングの戦後史 (新潮選書)

 

 

最近のテレビ番組から

 このところのテレビ番組で楽しみにしているのは、朝7時台のNHKBSで

ありまして、「おしん」で始まって「こころ旅」までであります。

 「おしん」はとても有名な朝ドラでありますが、見るのは今回が初めてで

しょうか。このところ見るようになったのは、当方がひいきにしていた今福

将雄さんが登場しているからであります。(以下のところから3日ほど60年

近くも昔のことを記しておりました。)

vzf12576.hatenablog.com

 今福さんの代表作といってもいいのでありましょう。今福さんが登場する

シーンがなくなりましたら、このドラマも見なくなるのかな。

 それにしても、昔のドラマの役者さんたちは雰囲気があることです。

放送されていた1983年ということで、現在放送されている時代設定は1920

年くらいですから、ちょうど65年ほど前のことをやっていることになります。

 とこのドラマを見てから、そのあとに続く「なつぞら」というのを見ていました

ら、やはり65年くらい前の時代設定となるドラマなのですが、なんとも違和感

ありです。新宿あたりのことはともかくとして、北海道帯広郊外の牧場は、当方

の子どもの頃の記憶と照らすと、あまりにも綺麗すぎることでありまして、最近

のドラマでは、汚いというのはだめであるようですね。

 その後にある「こころ旅」は、今週で春の旅は終わりですが、旅の締めは二週

続けての北海道で、本日は遠軽町へといってました。いまは清瀬市に住む女性

が、故郷遠軽町瞰望岩を訪ねてほしいというリクエストに応えての自転車旅と

なります。

 以前に北海道は広いと記したことがありますが、当方は遠軽町には言った

ことはなく、しかしこの瞰望岩は小説で取り上げられていたこともあって、一度

見てみたいと思っておりました。今回、このような形で目にできるとはありがた

いことでした。

vzf12576.hatenablog.com 松家仁之さんの「光の犬」の舞台になっていると思われる町が遠軽であり

ました。上の引用に岩の上から下にひろがる町を見下ろしたら、駅に入って

くるディーゼルカーのくだりがあるのですが、ちょうど「こころ旅」のシーンも

そのところをうつしていました。

 ドラマのディレクターも松家さんの「光の犬」を読んでいたろうか。 

光の犬

光の犬

 

つらい読書なり

 図書館から借りている川村湊さんの「ホスピス病棟の夏」を走り読みする

ことになりです。(返却日が近づいているからですね。)

ホスピス病棟の夏

ホスピス病棟の夏

 

  当方と同じ年に生まれた川村さんがやっかいながんにかかった同じ年の

奥様の聖路加ホスピス病棟での一ヶ月について記したのが第一部で、奥様が

亡くなって札幌へと転居して、次は自らの慢性腎臓病から人工透析に移行し

て、その日々を綴ったのが第二部となります。

 特に奥様の最後の一ヶ月を記したところは、読んでいて辛くなることでありま

す。こういう立場に立たされたときに、自分はどうであろうかと、近年に妻をガン

で亡くした知人のことを思うことです。

 川村さんは、次のように書いています。

心療内科を受診した。死を待つだけのような亜子のそばにずっと付き添ってい

る私も、精神状態がおかしくなっている。不安と怖れ、悲哀、不眠、食欲不振、

便秘など、体調もすこぶる悪い。緩和ケア科のドクターに頼んで、心療内科

予約を取ってもらった。・・たまたま一人のドクターの空いた時間があるから、

その時間に診察してくれるという。ずっと病院にいるのだから、こちらの都合は

いくらでもつく。」

 川村夫人が入院していたのは聖路加病院でありますので、療養の環境として

は、たいへん恵まれたものではありますが、ご本人はともかくとして、ご家族に

とっては、亡くなっていく過程を見守ることでありますから、精神的にはよほど

大変なことになりです。

 奥様の闘病生活に付き添うこともあって、自分の慢性腎臓病治療があとまわ

しとなって、そのことが人工透析につながっていくのですが、川村さんとすれば、

自分は透析となっても、奥様にはもっと生きて欲しかったのでありましょう。

 本当に身につまされることであり。

本日の図書館で

 連休明けであります。当方の住むまちの市立図書館は、指定管理者が運営

していまして、休館日がえらく少ないのです。運営しているのはTRCであります

が、もうすこし休んでもいいのではないかと思うくらいです。他の市の施設は、

祝日は開館して、その翌日は振替で休館しているのですが、図書館は指定管

理者の意地で開けているようなところがありです。働いているスタッフは消耗す

るでありましょうね。本日に開館しているのは、あまり知られていなくて、本日は

いつもより利用者はぐんとすくないはずです。

 本日に図書館に足を運んだのは、先日に借りた本の冒頭で言及されていた

シュテファン・ツヴァイクの「書痴メンデル」を読んでみようと思ってです。この

小説はどこに収録されているのかと思いましたら、かってみすず書房からでて

いた「ツヴァイク全集 3 目に見えない コレクション」に入っているのが

わかりました。この全集は図書館にありますので、それじゃまずはこれを読んで

みようと思って借りにいったわけです。 

 1974年でありますので、これは当方が就職した年にでたのでありますね。

この全集の何冊かは購入したのですが、これはまったくマークしていませんで

した。手にしてみましたら、えらい活字(この時代でありますので、文字通り活

字を使って印刷されたもの)が小さくて、かっての文庫本に使われていたよう

な活字が、新書判ほどの大きさのページにぎっしりとつめ込まれています。

思わず、腰がひけてしまったこと。 

 この本を手にしてから、なにか新刊のところに面白そうなものはないかなと

思ってみましたら、こんなのがありました。

私のイラストレーション史

私のイラストレーション史

 

 へえー亜紀書房から南伸坊さんの新刊か。亜紀書房のページに連載した

ものが一冊になったとあって、70年代の亜紀書房のイメージしかない当方は

ちょっと驚き。

 南さんが中学2年の時に魅せられた和田誠さんへの感謝を一冊にしたもの

ですが、その感謝を記するのに、イラストレーション自分史という形をとっていま

す。

 あとがきから引用しますと、次のようになりです。

「試験に落ちつづけなかったら、木村さんにも赤瀬川さんにも出会わなかった

のだし、長井さんにもつげさんにも出会わなかっただけでなく、水木さんにも、

澁澤さんにも種村季弘先生にも松山俊太郎先生にも、巌谷國士先生にも会え

なかったのだった。

 私は横道にそれてそれて、結果、最短距離でいまの自分のところに来てい

た。」

 高校の受験に失敗し、その後に入学した工芸高校を卒業して東京芸大

落ち続けて、その時に受け入れてくれたのが「美学校」であったのですが、

ここに入ったことで、その後の南さんにつながっていくわけです。

 災い転じて福というか、万が一順調に東京芸大に入っていましたら、今の

南伸坊さんはなかったろうなと思わせる書きっぷりになっています。

これに元気づけられる人もいるでしょうし、だけどもやはり才能がなければねと

思う人もいるでしょうね。どっちにしても、楽観的に生きることが一番重要なの

でありましょう。

まだ読んでました

 いつまでかかっているのかといわれそうでありますが、藤原辰史さんの

「トラクターの世界史」をいまだに読んでいます。さすがにそろそろ終わりに

近づいていますが、たぶん、この本で当方に一番うけたのは、次のくだりで

あります。

「ヤンマーは宣伝力にも長けていた。1959年6月、『ヤン坊マー坊天気予

報』の放送がスタートする。同年二月に完成した『ヤン坊マー坊の唄』と

ともに、お茶の間に流れヤンマーのイメージアップに貢献した。

ヤン坊マー坊の唄』の作詞は弘報課の能勢英男で、作曲は『りんご追分』

『三六五歩のマーチ』で有名な米山正夫であった。

 さらに同じ作詞作曲のコンビでヤンマーはもう一つ印象深い歌を残す。

1979年に発表された、小林旭が歌う『赤いトラクター』である。

 トラクターの世界史のなかで、エルヴィスに対抗できるのは、日本では

アキラをおいてほかにいない。『マイトガイ』と呼ばれ銀幕で一世を風靡した

小林旭の高めの歌声に乗って、ヤンマーのトラクターは日本中に普及した。」

 このくだりは、ほとんど終わりのほうにおかれたエピソードでありますが、

この文章のなかに「トラクターの世界史のなかでエルヴィスに」とあるのは、

そのまえのところで、エルヴィス・プレスリーとトラクター(ジョン・ディア製)の

つながりのことが記されているのでした。

エルヴィス・プレスリーは、高級車と高級バイクの蒐集家として有名だが、

実はトラクターに乗ることも趣味であった。1967年の初めにはエルヴィスが

購入したミシシッピの牧場で、ジョン・ディアの4010型に乗っていたという

記録もある。この4010型は、彼が休暇を過ごしたグレイスランドでも使われ

ており、現在グレイスランドにあるエルヴィス・プレスリー自動車博物館に修復

されたものが展示されている。」

 農場などを持っていれば、トラクターを所有していても不思議ではないこと

でありませんね。2006年に当時の日本の首相が、ここを訪問しているのです

が、自動車博物館を見学したかどうかはさだかでありません。

 それにしても、エルヴィスと小林旭をトラクターでつなぐのは、大瀧詠一さん

好みの話題でありまして、このところを読んだだけでも、この本はありがたい。

 ついでに、小林旭の「赤いトラクター」まで聞いてしまった。


赤いトラクター