本日の午前に郵便屋さんが岩波「図書」と「ちくま」を配達してくれました。
当方が定期購読している出版社PR誌で、いつもでありましたら最初に届く
「ちくま」が、おしまいに届く「図書」と同着でありまして、これは「ちくま」に
なにかのわけがあったのでしょうか。
本日はバラ祭りの来客がありまして、当方もお相手をつとめることになり
です。その前に終わった花や、雨でだめになった花を摘むことにしましたが、
雨の影響で頭を落としているバラの木もありまして、起こすのには濡れない
ようにかっぱを着用して作業をしました。
来客の到着を待つ間は、先日からの岩城宏之さんの「九段坂から」を
手にして読んでおりました。なんとか、巻頭におかれた表題作のエッセーは
読むことができました。今から40年前の入院記録ですが、現在も岩城さん
と同じ病気でありましたら、このような頭と首を固定するための一種のギブ
スを装着するのでありましょうか。
この本の半分ちょっとを読んだだけでありますが、興味深く読んだのは、
自動車事故に関わるものでありました。
「ぼくは、自動車事故を四回経験している。四度のうち、自分の名誉のために
言っておくが、ぼく自身が起こした事故は一回だけである。・・・・・ぼくの運転
免許証は、ウィーンでとったものである。」
1963年頃の話ですが、ウィーンに住んでいた岩城さんのところに、旧知の
日本の音楽プロモーターがきて、これからドイツの主要都市をまわって、日本
に招聘する音楽家のところに営業に行くといわれた岩城さんは、ちょうど仕事
がなかったこともあって、運転手をかってでて、二人でベンツの高級車を借り
て旅にでることとなりました。
この時代は、日本の運転免許は、国際免許に認められないということで、
岩城さんがもっぱら運転したとあります。
事故はその道中のアウトバーンで起きるのですが、とにかくアウトバーンです
から、事故を起こしたら大変なことになりです。
「アクトクがギャーギャーわめくので、ぼくはイライラしたが、国道では忠実に
制限時速を守った。横で、もっとスピードを出せと、アクトクは怒鳴りっぱなし
だった。
しかし、アウトバーンに入ると、ぼくの運転は一変した。時速220キロまで
アクセルを踏み込み、全部の車を追い越した。そのころアウトバーンでは、
制限時速がなかった。国道に入る。再びぼくは、80キロ制限を守る。」
このようにアウトバーンを走っているときに、ノロノロした車を追い越そうと
しているときに、ブレーキをしたせいで車のおしりがふれて、それで操作でき
なくなり、事故を起こしたのですが、ブレーキのせいで100キロ台のスピード
にはなっていたものの、無事であったのは、車が高級車であったからでしょう
か。
本日に届いた「図書」に掲載の小川待子さんの文章にも、自動車事故が
話題になっていました。こちらは1975年アフリカのオートボルタ(現在は
ブルキナファソ)での話ですが、ランドクルーザー風の日産車でのこと。
(日産に1975年くらいにそのような車はあっただろうか。海外向けかな)
「調査を終えてワガドゥグーへの帰り道で、私達の車は道路のあちこちに
ある、コリントゲームと読んでいた無数の穴のひとつに落ちて大きくバウンド
し、道路脇の大木に正面からぶつかったらしい。村人に助けられたらしく、
地面に横たわった状態で意識を回復した。車の6気筒の前方部は、ぐしゃり
とつぶれていたが、私達は生き残った。」
この事故で、小川さんは五ヶ月、連れ合いの川田順造さんは三ヶ月パリに
移送され入院することになったとのことです。
岩城さんは、ドイツアウトバーンで、小川さんはアフリカの道での事故です
が、50年以上も昔の話となりです。












