トレーニング・分館・お茶会

 13日の金曜日でありますが、本日の午前はトレーニングからスタートです。

 大汗をかきながらクロストレーナーをやっておりましたら、後ろから声をか

けられることにです。今年になって初めて一緒になりました。けっこう来ている

のだが、いつも午後からとのこと、同じところを利用していても、時間が合わ

なくては、出会うことはないことです。また午前に会いましょうと別れたのです

が、本日は良い日でありました。

 トレーニングから戻って一休みをして、いつも足を運ばない図書館分館へ

と赴くことにです。こちらに架蔵の本を借りていて、それを返却するためにな

ります。もちろん、どこの分館で返却してもいいのですが、この分館にある本の

チェックも兼ねてであります。

 本日は一冊戻してから、この分館架蔵の本を二冊借りることにです。

 一冊は坪内祐三さんの「酒日誌」で、こういう本があるのは知っておりました

が、坪内さんのこのシリーズは、あまりフォローしておりませんので、未読のもの

がたくさんありです。読むものに詰まったときには、このような本はよろしです。

酒日誌

酒日誌

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 坪内さんは、「本の雑誌」に毎月日録を書いていたのですが、それとは趣の

違うものを「ダ・カーポ」に連載(2003年2月から)していたとのこと。

連載の初回に次のようにありです。

「四年前から私は『本の雑誌』に『読書日記』という連載を持っていて、その連

載と内容がかぶってはいけない。だから、昼の記述が中心である『読書日記』に

対して、こちらは夜の部で行こう。・・・夜の部といっても、酒の時間を中心で行こ

う。」

 検索してみたら、マガジンハウスからは、この一冊できりで、続編からは講談社

へと移ったようです。それこそ、ゴシップ満載で楽しみなこと。

 もう一冊は、こんな本があったのかというものです。

 長田弘さんの遺著ですね。2015年5月に亡くなって、刊行はその年の8月と

なります。帯には、次のようにあります。

「単行本未収録のエッセーを中心に、著者自らが厳選、改稿、構成した最後の

メッセージ」

 これを借りたのは、目次を見ていたら、中井正一とか中江丑吉とあったこと

によります。最近、津野海太郎さんの「編集の明暗」を手にしていて、晶文社

編集スタッフといえば、長田弘さんもそうであったことから、それもあってです。

 この本の最後に置かれれているのは、「カササギの巣の下で」という2008

年の文章で、ここで取り上げられる本は網野菊さんの「雪晴れ」でありますが、

この随筆にカササギがでてくるのでありました。

カササギは、佐賀と長崎福岡の一部をのぞくと日本にはいないのだが、意外

な話が、作家の網野菊の1945年の随筆に記されている。網野は志賀直哉

師とした作家だ。」

 志賀直哉は、カササギを放し飼いをしていたとあります。

「昭和の戦争の最後の年、『暗夜行路』の作家が放し飼いをしてたというカサ

サギは、その後どうなったのだろう。・・・いま、ソウルの冬の木々の梢のあいだ

カササギの巣を見上げながら、カササギのいない国にとって幸福というの

は、何だろうということを考える。」

 カササギに反応したのは、2008年に日本ではごく一部にしかカササギ

いないと言われていたのに、当方の住む街には1980年くらいからカササギ

生息するようになって、現在では猛烈に繁殖しているのです。我が家の周りに

もたくさんの個体がいて、他の地域からきた知人などは、あの鳥はあまり見か

けないが、なんだということになります。

 こちらのカササギは、ロシアからの流れのようで、朝鮮半島とは違った型と

のことです。カササギには国境はありませんです。

何日遅れとなったのか

 本日の午前遅くに、買い物へとでかけましょうと思って出ようとしたところに、

電話があって家人が取り置きをお願いしていた雑誌が、入荷しましたとの連絡

でありました。 

 先日に行きつけの本屋へと行ったときに、家人がこの雑誌は入りますかと

問い合わせしたら、定期では一冊入荷ですとのことだったので、それの取り

置きをお願いし、入ったら連絡しますねとなったものです。

 発売日は2月5日ということで、首都圏などではその何日か前には店頭に

並ぶようでありますが、こちらは発売日から2日遅れくらいで入荷かなといつも

のように思っていましたら、ちょっと東北地方の雪害で、鉄道貨物が遅れていま

すとのことでした。

 できるだけ行きつけの店で買うことのできるものは、そこで買いましょうと思っ

て、特に他での確保に動くこともなくじっと待つことにです。

その雑誌が、本日に入ったとのことですから、まずはその行きつけの本屋から

本日の買い物はスタートすることにです。

 本日の買い物です。

 表紙にどーんと宮本浩次さんでありまして、これはファン雑誌のようでもあり

ます。中は小さな字でたっぷりのインタビュー記事となるのですが、宮本さんの

ファンの皆様(エビバディさん)は、文字を読むのを苦にしないようであります。

 ついでながら、この号には、二階堂和美さんの記事もありまして、当方はおこ

ぼれで、それを読ませてもらうことにです。

 街の本屋さんと付き合うというのは、このような不便さも我慢するということ

になりますが、これを我慢することができないという人が多くなっているので

しょうね。我慢の出来ない人は地方で住むのは難しくなるようです。

 せっかく行きつけの本屋へと来たのでありますから、なにか買うものはない

だろうかと思って、新刊文庫を中心に見ていましたら、次のものが目に入りま

した。

 先日の新聞広告で出ることを知ったのですが、もちろん元版は晶文社

ありまして、当方が学生の頃には、あちこちの古本屋でも見かけたもので

す。最近手にしていた津野海太郎さんの本のどこかに、これについての記述

があったように思うのですが、これが見つからずです。(「編集の提案」には、

この「仕事」元版の書影が、巻頭に大きく置かれていました。)

 当方はいまだ読んではいないのですが、今では聞き取りものの古典となっ

ていて、これまで入手は大変であったようですから、文庫になって喜んでいる

人も多いことでしょう。

 買うことは出来ていないけども気になる文庫といえば西村賢太さんの

「日乗」であります。分厚い二冊本が角川からでて、これで日乗は完結との

ことです。当方は、「日乗」には手を出さないようにしようと思っています。

本の雑誌」に連載のものは、そのときに一応目を通しておりますし。

本日は祝日で

 今と比べると戦前は祝日が少なくって、もちろん祝日が飛び石で続く

とか大型連休なんてのは、戦後もずいぶんとたってからの話となります。

戦前の祝日で、最後に復活したのが紀元節でありましたが、これが祝日と

なったのは1966年の祝日法改正で、祝日初回は1967年2月とあります。

それから60年でありますか。なんとなくすわりの悪かった2月11日であり

ますが、今はあまり問題とする人はいないのかな。それでいきますと、

今年は2686年でありますよ。

 祝日の朝に、TVを見ていましたら、NHK総合で「病院ラジオ」をやって

いました。サンドウィッチマンが車に機材を積んで病院へといって、患者

さんから話を聞いて、リクエスト曲をかけるという番組(元ネタはベルギー

の放送局のものだそうです。)

 本日の病院は埼玉がんセンターでありますので、登場する患者さんは

すべてががん患者さんたちで、なかにはお若い方もいらして、そうとうに

つらい内容であります。こういう番組をなんとか進行させるのがサンドの

お二人でありまして、やはりすごいこと。

 この番組でリクエストとなるのは、つらい闘病生活を支えてくれている

曲になるのですが、本日流れた曲で一番新しいものは、昨年に大きな話題

となったものです。


www.youtube.com

 この曲は昨年の2月にリリースされたもので、アニメの主題歌として書か

れたものですが、サカナクションの山口一郎さんが、これを発表にいたるま

でに、病気が悪化してほとんど音楽活動ができなかったこともあって、

「怪獣」には内なる病気も込められているのかなと思うことです。(ちょっと

違うか)

 そして、本日登場の若い男性もまた、内なる病気との戦いのときに、この

歌に励まされたのでしょう。

 このTVを見たせいではないでしょうが、午後からは久しぶりにすこし若い

友人を訪ねて顔を見ることにです。数年前から体調不良で、一時期は仕事を

休みがちであったのですが、いまはだいぶん回復はしているというものの、

なにかの具合で眠れなくなったり、食欲がなくなったりで、体重もずいぶんと

落ちたとのことです。

 彼と対面したのは、4ヶ月ぶりくらいでしょうか。思ったよりは元気そうで

あって安心したのですが、彼は「怪獣」を聴いたらどう思うでありましょうね。

このことは話題にはしませんでした。

 外出から戻りましたら、夕方になりました。このところ日が長くなっています

ので、5時になっても明るさが残るようになりました。18時を過ぎた頃から気

温は氷点下に下がってきて、30時間ほど続いたプラス気温は終わることに

です。

 夕方からは本を手にして過ごすことにです。まずはガートルード・スタイン

の小説から、本日はあまりページを稼ぐことができていないので、これから

すこしがんばらなくちゃ。

 

「本に読まれて」へ

 本日の午前は、昨年からの持ち越しとなっていたいくつかの書類を上げ

て郵便局に持ち込むことにです。郵便局では年賀はがきのお年玉くじで

当選した切手シートを受け取ることにです。切手シート、昨年は一枚もあたら

なかったのに、今年は複数枚でちょっとうれしいこと。

 戻ってからは、ここのところテーブルの上に置かれている本を手にすること

にです。富岡多恵子さんの本を読んでいた時に、そういえば、富岡さんといえ

ガートルード・スタインで、当方もその昔にスタインの本を確保していたの

だよなと取り出してきて、テーブルの上においてあったものです。

 ガートルード・スタインが、彼女のパートナーであった女性の自伝という形式

で、1907年からのパリの文化シーンを描いています。タイトルにパリで会った

天才たちとあるように、その後にビッグネームとなる芸術家の無名時代の様子

を知ることができます。

「さてすべてのひとがあらゆることに馴れっこになっているいまでは、その頃の

お客が壁に懸っているこれらすべての絵をはじめて見たときに感じた不安な気

持ちを、うまく説明するのはたいそうむずかしいのです。けれどもとにかく、その

当時はあらゆる種類の絵がありました。もっともその後、セザンヌルノワール

マチスピカソだけしか懸っていなかった時代、そしてそのもっと後にセザンヌ

ピカソだけという時代もありました。しかしその当時マチスピカソルノワール

セザンヌがじつにたくさんありました。」

 今から百年ちょっと前のガートルード・スタインのアトリエに懸っていた絵を

説明しているところですが、口絵写真にもその当時の室内風景の写真がありま

すが、いたって無造作に、こうした絵が懸っていたことになります。

 もちろん、若き芸術家たちは、まだほとんど評価されていない時であります。

 ピカソの絵などは、当方は今でも良くわからないのでありますが、この本では

次のように語られています。

「そうね、ただピカソの絵だけがひどいもので、ほかの絵はそうじゃなかったわ。

そのとおりよ、と彼女はいいました。それはパブロが前にいったことだけど、ない

かものをはじめて創りだすとき、その創り方があんまり複雑なものだから、出来

上がり必ず醜くみえるものだわ。ところが誰かがもうやってしまったあとでその

真似ばかりする人たちは、創り方の心配をする必要がないでしょう。だから小綺

麗な作品を創れるのよ。そして人はみんなその人たちの作品が好きになれるわ

けね。」

 これはなかなかおもしろいぞと思い、この本は文庫かなにかになっているのか

と思って検索をしましたら、今も流通している(?)のは、かっての筑摩書房版だけ

であるようです。(当方のは1981年筑摩叢書版)

 これはもったいないなと思って、検索であがっていた他の項目をみましたら、

「本に読まれて」とあることで。これはもちろん須賀敦子さんの著書のタイトルで

ありまして、ということは、この本のなかで話題にしているのかなです。

 そんなわけであわてて須賀敦子さんの「本に読まれて」を手にしてみることに

です。(本日は、近くにありました「須賀敦子全集」第4巻 河出文庫版)

 これに収録されている文章は「『アリス・B・トクラスの自伝』を読む」という

もので、1988年6月の「ちくま」に掲載されたものとありました。

この小説を原作とした映画「月の出をまって」を紹介されて見に言ったという

話から始まる短文です。

 この文章は「ちくま」で読んでいるはずですし、単行本でも読んだはずだけど

まったく頭に残っておりませんでした。筑摩叢書版も「ちくま」も、どちらも1980

年代の話で、40年も昔ですから、忘れていても不思議ではないか。

次の返却本は

 図書館から借りているもので、数ヶ月を経過したものは、どこかで諦めて

返却しなくてはいけないことです。ちょっとでも読めるところは、そこを覗いて

ここにメモをすることにです。

 とにかく読んでもすぐに忘れてしまうのでありますからして、メモしておか

なくては手にしたことも忘れることにです。

 そろそろ返さなくてはと思っている一冊を本日は手にしておりました。

 皆川流のブックガイドでありますが、面白いのは文学修行とか文学賞への応

募の思い出のところで、そういうところをまず先に目を通しておくことにです。

「四十数年前、私が書き始めたころ、やはり、小説は作者が体験した事実に基づ

け、とそういう声が強かった。中間小説誌の新人賞を受賞して、書くようになった

のですが、そのときの選考委員のお一人がおっしゃいました。『作者は主婦だそう

だ。ならば、なぜ、主婦の話を書かないのか。』当時、純文学系の作品を書いてい

た知人(女性)は、『男性の視点で書いてはいけない。女性には男性の気持ちは

わからないのだから』と担当の編集者(男性)から言いわたされていました。」

 2018年くらいに書かれていますので、その40数年前の話でありまして、今は

そんなことはないと思いますが、それでも、次のようなことは、どうでありましょう。

「二十年前、『死の泉』というナチの施設を舞台にした長編を書いたとき、日本人

が登場しない外国の話を、日本人が書く必然性があるのか、という評を受けまし

た。」

 2000年くらいのことですから、そのときには、辻邦生さんの「背教者ユリアヌス」

はとっくに発表されているのですが、それでもこういう考えの批評家さんもいたで

しょうね。

 コカインの過剰摂取が原因で27歳で亡くなったトラクールに関連しては次の

ようなことが書かれています。

「トラクール麻薬中毒者でなかったら、どのような作品を著しただろうか。表現は

異なっただろうか。

 麻薬中毒とは別のことですが、ある種の薬は幻覚を生じさせます。それは芸術に

昇華され得るか。

 敬愛する詩人多田智満子さんは、<精神医学の実験という大義名分のもとに>

医師の指導下でLSDの服用を試みられました。薬効が続いた数時間、一輪の薔薇

を幻視されたそうです。『薔薇宇宙の発生』というエッセイにその経緯を詩人の言葉

で記しておられます。」

 多田智満子さんにそのようなエッセイがあることは、まったく知りませんでした。

これはいつ頃の体験なのでありましょう。LSDといえば、ビートルズが歌にとりあげ

られていますが、あの良家の奥様 多田智満子さんも体験していましたか。

 検索をしましたら、これは1963年のことだそうで、思潮社の「多田智満子集」で

読むことができるとありました。これはちょっと気になることです。

 

図書館本の入れ替え

 昨日に図書館へといって、本の入れ替えを実施です。たしか9冊くらい

借りていたのですが、そのうち5冊を返却し、新たに3冊の新刊を借りて

くることにです。

 返却した本は、調べ物に使っていたものが3冊に、富岡多恵子さんの

ものが2冊となります。調べもの関係は、必要なところはメモしたのでとり

あえずはおしまいで、富岡さんのものは、雑ではありますが、なんとか最後

のページにたどりつきましたので、戻すことにです。(富岡さんのものは、

自宅のどこかに散らばっているものを掘り出してこなくてはいけません。

5、6冊は。)

 新たに借りたものは、すこしずつ小出しにすることにです。

とりあえず、その一冊は津野海太郎さんのもの。

 津野海太郎さんのものは、演劇関係の何冊かを除きますと、たしかほぼ

全部買っているのですが、読んでいるのかといわれるとたぶんと答えるしか

なしです。

 この「編集の明暗」は、若い編集者の方が、津野さんのこれまでの著作か

ら抜き出してきた文章に加えて、単行本未収録のものと、編集者さんと津野

さんの対話をあわせて一冊にしたものです。

 この編集者さん(宮田文久さん)は、この前にも「編集の提案」というのを

まとめて刊行していまして、こちらは、書店で購入をしておりました。

昨年10月に、「編集の明暗」というのがでていましたが、「編集の提案」が

あまりうまく読むことができていないので、買わないでおりました。

編集の提案

編集の提案

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 運良く「編集の明暗」が、図書館にありましたので、借りてきたのですが、

こちらの内容のほうが当方の好みにあっているようです。これを読みながら、

脇に「編集の提案」を手にとってみることにいたしましょう。(それこそ、津野

さんの著作も、どこかにまとめておかなくてはいけないのですが。)

 「編集の明暗」のほうにすっと入っていけるのは、当方の好きな「歩くひと

りもの」からいくつかの文章が取られていることもあってのことです。

どこかでも記しておりますが、当方が一番好きなちくま文庫をと聞かれまし

たら、「歩きひとりもの」をあげることにしていますので。

 本日は、これまでの単行本に未収録の「生涯『まちがい主義』の徒」を

読んでみることにです。

 この文章は2015年7月27日付「読売新聞」朝刊に掲載されたもので、

「一週間前に93歳で没した哲学者、鶴見俊輔への追悼文」であったとのこ

とです。当方は、この時の津野さんの追悼文は、目にしておりませんので、

ありがたしです。

 津野さんと晶文社の編集者であった中川六平さんが、京都の鶴見さんを

訪ねて「鶴見俊輔座談」シリーズの打ち合わせをしたときに、鶴見さんから、

次のように言われたとあります。

「『なかに白塗りのモノがあると思うが、ぜんぶ棄ててください』

鶴見さんは、即座にそう答えた。・・・・

立場上、いつも正しいことを語らなくてはならない。でもね、私は『正義の人』

じゃないんだよ。話をしていると自分が白塗りした顔の人間になったような

気がしてきて、そのうち重い鬱病になった。ああいうものは削除してください。

 これは『いやな過去は隠蔽せよ』という指示ではない。私は自分が正しい

と考えることをやってきた。ただし、それはあくまでも元不良少年の、社会が

はめるカセのそとに立つ『悪人』の自覚をもった人間としてやったのだ。

黒い顔の悪人が正しいことをやった。私は矛盾を生きた。そういうことがわか

るような本にしたい。」

 「私は矛盾を生きた」とあります。

 津野さんは、これに続いて鶴見さんの人生を次のようにまとめます。

「生涯にわたる『まちがい主義』の徒として、鶴見さんはまちがいをおそれず、

まちがうたびに方向をちょっとずつ修正し、いつまでも到達できない知識(真

理)への長い旅をつづけてきた。」

 当方はまちがえてばかりで、なかなか修正できないのでありますが、まあ

正義の人にはならないようにいたしましょう。

本日の読書欄から

 本日は土曜日でありますので、新聞には読書欄が掲載されています。

なにかめぼしいものはないだろうかとチェックするのですが、さてこれを

買おうというものはあっただろうか。これはどうもなかったようであります。

当方の懐具合はよろしくなく、置き場所にも苦労するのでありますから

して。 

 それじゃ図書館に入ったら借りて読んでみようと思うものはといえば、

次の本がそれにあたるようです。

 雑文家を自称する平山周吉さんの新刊です。平山さんの本は気になる

本が何冊かあって、勧められたりもしているのですが、これまで縁がなくて

読んでいないようであります。

 戦後に育った当方には「天皇機関説」は、あまりぴんとこないのですし、

不敬罪(姦通罪というのもあったな)というのも無くなっていました。

とにかく戦前の天皇は神でありましたので、小学校には必ず御真影という

のがあって、それを収める奉安殿という施設も校内にありました。

どちらも、当方が学校にあがる頃には姿を消していました。

 なにせ、戦前の校長などは失礼があれば、首が飛ぶのでありますから

して、教育勅語などの取り扱いには、最大限の配慮が必要でした。

 そんな時代に東京帝大の教授が「天皇機関説」を提唱したのでありま

すからね、最初のうちはそうでもなかったようですが、戦時体制に近づいて

きますと、この「機関説」が、攻撃を受けることになりです。

 そのあたりについて書いたのが、平山さんのこの本であるようです。

この書評を見て、当方が反応したのは、ここに「蓑田胸喜」の名前があった

ことによります。

「関係する人物を網羅した本書は、機関説を排撃する側にも光をあてた。

なかでも『原理日本』誌上で美濃部を執拗に攻撃した簑田胸喜は深く

掘り下げられている。名前をもじって『狂気』とも言われた人だが、実は

『気の小さな、どっちかといえば臆病な善人』という同僚の評価が興味

深い。」

 戦中の洋学派リベラルは、多かれ少なかれ蓑田胸喜に代表される人

たちの攻撃を受けるのでありますが、もちろんこの構図というのは、敗戦

後に反転することになります。

 それを前にして、蓑田は自死するのですが、これを聞いた岩波茂雄

遺族に金一封を送ったというエピソードが安倍能成岩波茂雄伝」に

ありまして、これがとても印象的なもので、この不思議な名前が記憶に

残っているのであります。