芝園団地に住んでいました 2

 昨日に引き続いて「芝園団地に住んでいます」を手にしています。

芝園団地の場合は、中国からの住人が多くなって、これまでの居住者と

の間でしっくりといかないことから、あれこれと自治会がうまくまじり

あうような試みをするのですが、これは新しい居住者が海外からの人で

あるということで話題になるのでありまして、高度成長ころにできた

団地では、普通にある話であります。

 当方が現在住んでいるところは1976年頃から分譲となった郊外の

団地でありまして、当方は1980年から住んでいますが、その当時

から住んでいる人は少なくなりまして、亡くなったり施設に入ったり

して家を手放したあとには、不動産の値段が安いこともあって若い家族

が住むようになったりしますが、町内の自治会には加入しないという

ことで、組織率が低下の一途であるようです。自治会の役員の担い手は

なかなかないことから、役員の長期化と高齢化が問題となっています。

地域のコミュニティの在り方は、当方の住んでいるところでも問題と

なっています。

 コミュニティを守ることを前提にしているところは、土地建物を売却

するときに、そのコミュニティのルールを守ることができない人には

売らないようにとしているところもあるようですが、これは例外的な

存在でしょう。

 芝園団地のことを思っていましたら、その昔(30年ほど前)の

住宅公団のちらしがでてきました。公団というだけでもなつかしいの

に、文面には国電なんて文字もあって、この30年に本当にかわった

ことです。

 当方が入居したときに団地内にあった金融機関は平和相互銀行

支店でありましたが、それからまもなくここは破綻して住友にのみ

こまれました。

f:id:vzf12576:20191023232703j:plain

 

芝園団地に住んでいました

 調べ物をしようと思って図書館に立ち寄りました。

 そう思いながら新刊の棚を見ていましたら、ほかほかの湯気が

たっている本を発見です。この本を、私が借りなくて誰が借りるの

かと、すぐにカウンターへともっていって手続きをしました。

f:id:vzf12576:20191022185105p:plain

大島隆著 明石書店

 著者は朝日新聞の記者さんで米国から戻ってから、外国人が

住民の半数を超えることになった芝園団地に住み着いて、自治

の活動にも参加しながら、ここでの暮らしをレポートしています。

 ここ数年、朝日新聞紙上で芝園団地の記事を見ることがあって、

今から三十数年前に、ここに住んでいたものとして、懐かしい思

いで、その記事を見ることになりました。

 芝園団地は新幹線の車両製造をしていた工場のあとに、当時の

日本住宅公団が大きぼな団地を造りました。団地の完成は1978年

で、当方が転勤で借り上げ社宅となったこの団地の一室に住まう

ようになったのは1986年のことでありました。団地もできてか

ら10年弱、考えようによってはこの団地が一番良かったときかも

しれません。

 狭い敷地に14階(?)建ての共同住宅が立ち並んで、趣は異な

るものの軍艦島のようなものであります。軍艦島は炭鉱の閉山に

伴い無人化となったのですが、芝園団地は居住者数はいくらか

減ったと思われますが、いまだ健在なのは喜ばしい限りといい

たいところですが、以前からの団地居住者の高齢化と、特に

中国からの仕事に来ている人たちが多く住んでいるということ

で有名になっています。

 当方が住んでいたころは、こんなにも団地は賑やかだったと

いうのは、芝園小学校の運動会の様子を見てもらえばわかります

でしょう。(この運動会は1986年9月28日のことです。)

この小学校は、2008年に閉校になったとのことです。

f:id:vzf12576:20191022191107j:plain

 写真の左にあるのが小学校の建物で、たしか3階にあたるところに

屋内体育館がありました。ほんと子どもが一杯でした。

 この本を読んでいましたら、団地内のサークルとして活動をして

いる「芝園団地テニスクラブ」のことが話題となって、その代表の

方などにインタビューをしているところを目にしました。

 このテニスクラブというのは、当方のこどもの同級生のママが

参加しているものではないかと、連絡をとってみましたら、まさに

そのとおりでありまして、代表さんもうつっているクラブメンバーの

写真が送られてきました。

 今は、芝園団地を離れて、南浦和に住んでいるその方は、テニス

の練習が終わったりしたときに、利用した喫茶店「のんのん」が

閉店してといってました。

 その連絡を受けた時には、まだそのページまでたどり着いていな

かったのですが、「三十年以上にわたって芝園団地住民に愛されてき

た喫茶店『のんのん』だ。・・『のんのん』の閉店は、団地の中の

コミュニティのつながりが、さらに弱まることを意味する。」とあ

りました。

 この本にもありますが、団地の中にはお茶を飲みながら話をする場

がなくなって、テニスクラブの集まりも蕨駅近くまでいかなくては

ならないとのことでした。

 著者の大島さんは、この本のあとがきを書いている2019年8月には

いまだ芝園団地に住んでいて、住んで3年目にはいるとありました。

 このあと芝園団地は、どのようになっていくのかです。

 

本日はモンブランの日

 本日は当方にとって「モンブランの日」となります。当方だけがそのように

思っているのでありまして、これを普及させようとか登録しようなんてことは

これっぽっちも(なんて、最近の政治家みたいな言い方)考えておりません。

本日がどうして「モンブランの日」であるかは、以前も書いているのでした。

vzf12576.hatenablog.com 拙ブログに登場する「モンブラン」は、万年筆ブランドであることのほうが

断然多いのですが、10月21日に関しては栗を使った「白き山」というお菓子

のことになります。このあと、お店やさんから買ってきた「白き山」をいただき

ます。

 買い物にいったついでに行きつけの本屋によることになりです。単行本に

なにかめぼしいものはないかなと思っていたら、次のものがありました。

放送作家の時間

放送作家の時間

 

  大倉徹也さんの名前にピンと来る人は「小沢昭一的こころ」をラジオで聞いて

いた人でしょうか。うんと昔の「夢であいましょう」などの作家もしていたようです

が、これを見ていた時代には作家さんが誰であるかなんてまるで気にならなかっ

たからな。

 当方が大倉さんのことを意識したのは、数年前に月の輪書林が刊行した目録

で「青山光二」さんの旧蔵本を特集した時に、そこから大倉さんの「VIKING海賊

版 東京ブランチ誕生 満四十年記念号」という冊子を購入したことによって

です。

 「VIKING 東京ブランチ」といえば、立ち上げメンバーの一人が小沢信男さん

でありまして、この「海賊版」には「東京ブランチ誕生事情 VIKING小沢信男氏」

という文章があります。そんなわけで大倉さんといえば、小沢さんつながりになる

のでありました。

 ということで、本日に大倉さんの「放送作家の時間」を手にしたときも、まずは

その目次をさーっと見てから、小沢さんの名前がでてくるかぱらぱらとみてみまし

たが、本日の立ち見では見出すことができずでありました。

 この時間に手にしている「VIKING海賊版 東京ブランチ誕生 満四十年記

念号」という冊子にも、大倉さんの「放送作家」としての仕事がうかがえるような

くだりはありませんでした。

 ちなみに本日の大倉さんの冊子には、大倉さんから青山光二さんにあてた

私信がはいってまして、そこには、未知の青山さんにこの冊子を送ることになっ

たいわれが書かれていました。

 大倉さんは、本年2月4日にお亡くなりになったとありました。

小春日和といいたいが

 本日はお天気がよくなりまして日中は日向ぼっこでもしたいくらいでありま

した。小春日和といいたいところですが、この言葉は太陽暦となってからは11月

から12月上旬の温和な天気の日をいうのだそうですが、それは関東の話であ

りまして、11月中旬には雪が降っても不思議ではない当地では、本日のような

陽気を小春日和と言ってもいいのでしょう。

 この陽気に、先日までちらほらでありました雪虫の大発生でありまして、夕方

近くになって西日がまぶしいころになりましたら、それこそ視界がきかなくなる

ほどの雪虫の乱舞です。車にのっていますと、遠くが霧でもかかっているように

見えました。これを写真におさめるのはなかなか難しいことです。

 本日の新聞に中公文庫新刊の広告がでていました。今月も気になるものが

いくつかありますです。そこそこの価格で、このラインナップはありがたいことで

あります。

戸惑う窓 (中公文庫)

戸惑う窓 (中公文庫)

 

 元版は2014年に中央公論新社からでたものです。それまででたら買って

いた堀江さんの新刊でありましたが、この本くらいは買わなくなっていました。

そのうち文庫になったら買おうかと思ってのことですが、それよりも堀江さんの

本が読めなくなってきたのも影響しているか。さて、これはどういたしましょう。

 中公文庫の三冊本となった大岡昇平さんの「成城だより」が、今月で完結

したようです。新聞広告には解説が金井美恵子さんとあります。これは買うこと

はないでありましょうが、金井さんの解説は読むようにしなくてはです。

  今月にはさらに「富士日記を読む」という不思議な文庫新刊がありです。

武田泰淳に「富士」という作品があり、それを書いているときのことを武田夫人

の百合子さんが発表したのが「富士日記」で、今回のは、その日記について

のオマージュ集であります。武田百合子さんは存在感があることです。

富士日記を読む (中公文庫)

富士日記を読む (中公文庫)

 

  このほかにも田村隆一さんの「詩人の旅」なんてのもあって、今月の文庫

では、中公がぶっちぎりの一番でありますね。

雨なのでお勉強すこし

 気温はまずまず高いのですが、ずっと雨が降っていましたので、肌寒く

感じる一日でした。お天気がよろしければ散歩にいって、あとは紅葉の様子

を見にいくのでしたが。この雨のためにすこし葉っぱが落ちたようで、ちょっと

これは残念なことです。

 雨になったので、すこしお勉強の読書です。先日に図書館で目についた

次のものです。

  戦中から戦後まもなくのところをちょっとのぞいておこうと思ったものですが、

これにはそれに先立つ一冊があって、そこでの分析が引き継がれているので、

当方はいきなり「システムB1」という用語を目にして、面食らうことになりです。

この「システムB1」というのは、「大量生産ー大量消費のもと、人びとの主体性に

基づく動員と統制を図るシステムです。」とありますが、いつの間にか主体的に

関わって後戻りできなくなってしまう仕組みでありますか。

 この「システムB1」というのは1930年以降に作動するとあります。十五年戦争

にはいって行く頃ですね。事変と表現される紛争状態のなかで、戦死者はでてい

ますが、これは国家間の戦争ではないものの、それを重ねるなかで、人々はすこし

でも早くすっきりと開戦してほしいと願ったのですね。どちらにしてもやっている

ことは同じなのですから。

 もちろん、局地的な紛争と全面的な戦争が同じものではないということは、

そのあとで骨身に沁みてわかるのでありますが。

 このようなことが戦時下において行われたのですが、これがために戦時下体

制は素晴らしいなんていう人はいないよな。

「1940年11月に、これまでの産業報国連盟が、大日本産業報告会に改組されま

した。すべての労働組合が解散させられましたが、さらに翌1941年8月には産業

報国回の基本組織を各職場の職制と一致させます。このなかで、職員と労働者

が、ともに同じ企業の従業員であるという意識を持つようになります。」

 戦前の生産現場を支配していたのは、封建的ともいえる身分制度でありまし

て、本社採用の社員と工場の職工は同じ組織の人間とはみなされませんでした。

(これについては、小熊英二さんの「日本社会のしくみ」にありです。)

  非常時における産業報国という立場からは、生産をあげるためにも、こうした

身分制度は障害となりますので、その意味からも打ち破らなくてはいけないので

ありますが、それがために職工さんたちは、一層のこと「主体的」に翼賛体制に

組み込まれていくことになりです。

 そういえば、数年前から日本国においては、労働者の賃金アップはありがたい

政府が経営側に指示をして、それで流れができるようになってしまいました。

若い労働者は組合よりも政府のほうがずっと頼りになるといって、国の政策に

賛成するようになります。最近の池内さんの本の帯にあった言葉ではありません

が、「体制は窮屈だったが、経済は安定していた」でありますか。

 これまでの歴史を見る限り、このつけは若い人たちが負担することになるので

ありまして、年寄りたちはだからいったじゃないかというのか、それとも姿を消して

いるかのどちらかであります。

やっとのぞいてみることに

 本日の夜にあった「らららクラシック」というTV番組は作曲家「伊福部昭」を

とりあげていて、ゲストは片山杜秀さんでありました。

 片山さんが語っているのを聞いていて、これは早くに「鬼子の歌」に収録されて

いる伊福部さんのところ開いてみることになりです。20ページほどの文章ですか

ら、目を通すのは難しくはありません。そうしてみて、まずは目についたくだりは

次のところでありました。

「とりわけ重要なのは九歳から十二歳まで過ごした音更という土地です。十勝平野

のただなか、帯広のすぐ北方にある開拓村です。父の利三はそのとき音更の村長

に任じられていました。当時の北海道の地方官に課せられた重大な任務のひとつ

は先住民のアイヌを如何に統治するかということです。そのために村長の一家は

アイヌと親しく交際しました。開拓地でもアイヌ大和民族の生活は基本的には分離

していたのですが、伊福部家は例外でした。村長の息子はアイヌ・コタンに出入りし

て、彼らのほとんど原始的とも言える歌や踊りを親しく見聞し、思い入れました。」

 伊福部さんが父親に音更で生活をしたのは大正12年くらいでしょうか。明治に

はいってから開拓使は、アイヌの人たちを皇民とするための施策をすすめることにな

ります。狩猟ではなく農業に従事せよとか、子どもは学校へといって日本語を学べと

いうようなことでありますが、そのことが今問われています。

 明治が終わって大正に入ってちょっと社会の雰囲気が変わってきた頃であります

ので、ちょっと変わった村長がいても不思議ではないでしょうかね。当時の村長とい

うのは村役場の職員ではなく、上級官庁の官吏が派遣されてくるような形でしたか

ら、音更における伊福部家というのは、どのような感じであったでしょうね。

 先月まで朝にやっていたドラマは、帯広周辺が舞台となっているのですが、この

ような伊福部家のことを目にしますと、アイヌの人々が存在しないように描かれて

いるのは、やはり違和感を感じることであります。

鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史

鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史

 

 

夕方に空を見上げる

 この時期あたりがすこし薄暗くなると、遠くから鳥の声が聞こえてきます。

聞き慣れたからすの声ではなく、仲間の鳥に号令をかけるような励ますよう

な渡り鳥の声となりです。

 たいていのときは、庭にでて花の様子を見ているときでありまして、声が

聞こえてきますと空を見上げるのですが、昨日は思わず北のほうを見てしま

いました。渡り鳥たちは、ここから南を目指すのですから、声が聞こえたら南

の方向の空を見上げなくてはです。

 本日はそんなわけで南の空を見たのですが、鳥たちのルートがちょうと隣

家の陰にあたって、鳥たちを目にすることはできずでありました。あの鳥たち

は本日はどこまで行くのでありましょう。

 これから、しばらくは鳥たちの越冬地への旅行が続くことになります。

 あのような鳥の群れにもいじめはあるのだろうかと思ったことです。

昨日に図書館から「体罰と戦争」という本を借りてきたことも関係があるで

しょうか。

体罰と戦争

体罰と戦争

 

 体罰と戦争というのは、つなげて考えることができるのかと思いましたが、この

本の著者は、はじめに次のように記しています。

「 人間はほかの動物と比べると、

 同類間の破壊的な行動が際立って見られる種です。

 同類間で傷つけ合い、殺し合う動物はほかにもいますが、

 人間ほどマスレベルっで

 同類攻撃をする動物はほかにいません。

 そのような同類間攻撃行動のうち、

 何千年にもわたって止むことなく続いてきた

 人類のふたつの不名誉な伝統が、体罰と戦争です。

 このふたつには共通点がいくつもあります。」

   このように書かれているのをみますと、人という動物が優れた種であるのかなと

思ってしまいますね。今から何万年もしたら人類はいなくなっても不思議でないの

ですが、それがあるのかどうか、だれにもわかりません。

 この本には2001年6月8日にあった大阪教育大学付属池田小学校襲撃事件

の犯人についての考察があります。この理解しがたい事件というのは、ちょっと頭

のへんてこな人がおかしたもので、あのような事件はそうそうあるものではないと

思っていましたが、森田さんは、「この事件に関して『精神障害者』と『犯罪』を結

びつけて報道することは、精神障害者にとってはまったく迷惑きわまりないことで

した。」と記しています。

 森田さんに言わせるとこの事件の背後にある問題は、「ジェンダーと暴力の影」

であるとなります。犯罪を犯す人は、子どものころに父親から男らしく生きることを

求められていないか、そしてそうした精神を注入するためにしつけと称して体罰

受けていなかったかであります。

 最近の研究では子どものころの体罰が原因で脳に悪影響を及ぼすことがいわ

れています。虐待をする親や、犯罪を起こす人たちは子どもの頃に、父母から日常

的に体罰を受けてはいなかったかです、

 ちなみに池田小学校襲撃犯人は、子どもの頃、父親の家庭内暴力にあってい

ました。もちろん、この暴力は子どもだけではなく、妻にも及んでいました。

なんともはやですが、その昔は家庭内暴力(この場合は父親から子ども)は普通

にあったもので、いってもわからないのだから体罰するというのは、封建的な家族

関係において常識でしたね。

「犯罪統計を見るまでもなく、男性のほうが暴力を振るいやすいという事実はあた

りまえのこととして受け入れられていますが、暴力の性差に注目した研究を目に

することは少ないです。

 暴力における男性の加害性と女性の加害性の異質性と同質性に関する研究が

もっとさかんになることを期待します。」 

 この本には、ヒトラーの暴力性の由来を子ども時代に受けた体罰体験から論じ

る説も紹介されていました。ヒトラーにもそういう側面があるのか。