風がなければ5度でもあったか

 本日の午前はトレーニングへと行っておりました。午前の気温は4度

くらいでありましたが、風がなければあったかであります。歩くところの雪は

まったく無くなっていますので、それこそ、当方の子どもの頃の言い方であり

ましたら、短靴でも良くなりました。(子どもの頃は冬はゴム長、それ以外の

季節はゴムの短靴でありましたです。ズック靴などが出回る前の話ですの

で、65年くらいも昔のこと。)

 歩いていても気持ちがいいので、午後は近所の安価な床屋へと行くこと

にです。髪の量がかなり少ないので、髪をのばして、しばってもいいのではと

言われたりもですが、まあ四半期に一度くらいは床屋へといかなくてはです。

(ちなみに前回は、11月13日とメモにありました。)

 床屋に向かって歩いていましたら、ご近所の日当たりの良い庭に、早く

も福寿草が開花していました。かなり開いていましたので、ここはずいぶん

と早いなと、自宅に戻ってから庭の福寿草を確認してみましたが、いまだ

頭をだしていないようであります。

 床屋は先客が何人かいらして、しばし持参の文庫本を開いて小説を読む

ことにです。本日の持参本は、田辺聖子さんの「私の大阪八景」でした。

 1928(昭和3)年生まれの田辺聖子さんは、小学校に入った頃には、かな

りきな臭くなっていまして、それこそ志高い愛国少女として成長をしていくこ

とになります。(数年前に田辺さんの女学校時代の日記が公開されて、話題

となりましたが、小説のなかの主人公と女学校時代の田辺さんは、ほぼ同じ

キャラでありましょう。)

 作中には、その昔の大阪の風景などがでてくるのでありますが、なかには、

当方にもすこしなじみのところがでてきて、興味がひかれます。

 以下のところは、昭和19年を描いたくだりです。

「一月の十二日に、トキコは塩田さんと、専門学校へ願書をもっていった。

近鉄上六(上本町六丁目)のデパートへかえりによると、もう何も売るものの

ないデパートはがらんとして、配給品の金物の前に人々が行列をつくっていた。

 二階の文房具のひとところに、女学生や婦人がひどくむらがってると思った

ら、色紙や短冊のストックをうり出しているのだった。・・・・

 デパートを出て市電にのると、馬場町でうごかなくなった。大手前から、

教育塔のあるひろばはたいへんな人波である。」

 上本町というのは、近鉄のターミナル駅があるところ(いまは地下鉄がのり

入れしていますが)で、田辺さんは今は東大阪といわれる小阪にある松陰高等

女学校へと行くために近鉄を利用し、帰りに近鉄デパートに立ち寄ったので

すね。

 馬場町というのは、お城の南で、難波宮の北側の地区なのか。教育塔という

のは知らないなと思って検索をしてみましたら、公園内にある「教育に関する

殉職者、殉難者の慰霊を目的とした塔」とありました。そんなものが大阪城公

園にはあるのですね。

 となると市電というのは、現在でいくと地下鉄谷町線が走っているところを

通っていたのですね。田辺さんは福島に住んでいたはずですから、市電を乗り

ついで行ったのか、どこかで国鉄に乗り換えたのかな。

 なんてことを、思いながら小説を読んでいましたら、床屋の待ち時間も苦に

ならないことであります。

作業を見守りながら読書

 昨晩にジャンクパソコンで遊んでいましたら、思いがけずに起動して

くれました。今から3年以上も前にもらったパソコンから抜いたHDDです

が、これをジャンクパソコンに設置して、ひと工夫して電源をいれたら、

なんとウィンドウズが起動したのです。これは面白い。どこまで行くことが

できるかと、ほとんど一日以上電源を入れたままにしてアップデートを

続けていましたが、とにかく低スペックなので、やたら時間がかかりまし

た。24時間かかって、なんとかウィンドウズ11 25H2という最新の状態

にすることはできましたが、これはここまでで、このマシンで何か作業が

できるというものではないので、いいかげんにしておきましょう。

 とにかくちょっとしたアップデートでも1時間以上もかかったりしますの

で、その間に本を読んですごしたりです。ちょうど作業をしていた部屋に

は谷崎潤一郎全集(新書版)がありましたので、そこから母もの短編を

一つ、二つと読むことができました。いずれも大正期の作品で、谷崎は

面白いですよ。

 あとは、メインで読んでいた『シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店」は

解説を残して、最後までたどりつくことができました。本日に読んでいたと

ころには、次のくだりがありました。

「ヘンリー・ミラーと日本人のような可愛らしい顔つきをした彼の友人ミス・

アネイス・ニンがやってきて、彼の書いている興味深い小説『北回帰線』

を私が出版しないだろうかと尋ねました。私はこの原稿をジャック・カーン

に見せるよう忠告をしました。カーンは喜んで一人の新人作家が書いた、

文学とセックスが結合したようなこの作品を受け容れました。カーンは

赤裸々な性に訴えるものを好んでいました。」

 ヘンリー・ミラーと一緒にアナイス・ニン(今はこちらの表記が一般的で

ありましょう)が来店とありますが、アナイス・ニンが日本人のような顔つき

というのに反応です。ヘンリー・ミラーといえば、ホキ・徳田さんが一時期

結婚していたのですが、アジア顔の人が好きであったのかな。

 アナイス・ニンといえば、「父の娘」でありまして、その作品は矢川澄子

さんによって翻訳されてもいます。ちょうど、谷崎新書判全集の近くに、

アナイス・ニンの「小鳥たち」が置かれていましたので、アップデートを待ち

ながら、この新潮文庫を手にすることになりました。

 矢川澄子さんがでてきたところで、気になった一冊。今月に届いた「ちくま」

などの後ろ表紙にある出版社の広告に、港の人「天沼」という本がありました。

「90年代後半、作家・矢川澄子、ダンサーで編集者・室野井洋子、音楽家・

知久寿焼と写真家・広瀬は東京・天沼で共同生活を送った。写真には四人の

濃密な時間が流れている。」

 この共同生活のことは、「ユリイカ」の「矢川澄子 不滅の少女」でメンバー

が鼎談をしていて知ることができるのですが、没後24年にして、写真集が刊行

されましたか。

天沼

天沼

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春の淡雪

 朝起きて窓から、隣家の屋根を見ましたら、うっすらと雪がつもって

います。今朝の気温はプラスでありますので、これはすぐに溶けてしまう

ものですね。

 ほぼ午前中は雪が降っていたのですが、気温が高いので地面につい

たら、すぐにとけてしまって、そのうち雪は雨となりました。

北海道太平洋岸の東部では多いところでは数十センチの積雪になると

ころがあるので、注意が必要ということですが、当地からは何百キロか

離れたところの話であります。

 午前は雪のなかトレーニングへといって、本日は80分ほど汗を流す

ことにです。戻ってからは、すこしウトウトとしながら本を読んでいました。

15時を30分くらいまわったところに、スマホに連絡が届いて申し込んで

いたチケットが当選したとの案内でした。そうだ、カレンダーには15時に

結果発表とメモしてあったのだが、それを忘れて(どうせあたらない

だろうと思っていたこともあって)いました。

 連絡を何度も見直して、これはまちがいなくあたっているなと家人と

確認してから、足の確保にとりかかることにです。飛行機便ですが、

3月はあちこちの会社がセールを実施しています。当方がいつも利用し

ているPeachも、3月は創業記念ということで大型セールが、この時期

行われていて、いつもよりさらにお安く利用することができることにです。

今回は火曜から木曜という日程での旅となりますので、片道5千円と

いう料金で、往復一人1万円ですから、ほんとありがたい。

 2012年3月に就航したピーチは、創業時から関西と北海道を結ぶ

便がありましたので、これのおかげで家族が住む関西もずいぶんと近く

なりました。

 チケットが外れたらキャンセルできるという宿を、すでに予約していま

したので、とりあえずは、これでよろしであります。健康に気をつけて、

ライブの日が来るのを待つことにいたしましょう。

 ウトウトとしながら読んでいたのは、「シェイクスピア・アンド・カンパニイ

書店」であります。残りほんと少なくなっていて、あと30分もあれば終わり

にたどりつくのですが、なにせ途中で居眠りするので、時間がかかります。

 シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店はパリにあって、ジョイス

「ユリシーズ」(もちろん英語版)を最初に出版した版元となるのですが、

この小説が、英国、米国で禁書となることから、その両国での販売ができ

ずに苦労することにです。

 評判が高くて、普通には読むことができないとなると、どこからともなく

生まれてくるのが海賊版(著作権を無視した地下出版)となります。

最近の日本では、あまり海賊版というのは流通していないように思いま

すが、その昔でありましたら米国の医学書などに海賊版があったことを

聞いております。なにせ1ドル360円時代の話でありまして、米国の内科

の教科書のような本は、丸善で買ったら何万円もして、とっても貧乏医学

生には手がでない。そこでそうした学生相手に予約をとって、リプリント版

として販売するという商売でありました。

 小説などで海賊版というと、作家が発表したけども単行本にすること

ができないというものが、著者に無断で冊子になって出回っていました。

代表的なものには大江健三郎、深沢七郎の小説がありました。

 時代が下ってから、もうすこし大掛かりな海賊版(?)となったのは、

桐山襲「パルチザン伝説」ですが、これは地下出版というよりも、著作権

者に無断で、版元が出版してしまったという事例で、これも当時に話題と

なりました。

 当方の記憶に残っている三作品は、いずれもテーマは天皇制に関わる

もので、うんと昔にはわじるしと呼ばれるものもありましたが、最近はこれ

は聞きませんですね。

 そういえば、ジョイス「ユリシーズ」が禁書となったのはわじるしであった

ためであります。

桐山襲全作品1
 
 
 
 

本日は祥月命日で

 本日は小沢信男さんの祥月命日であります。(2021年3月3日没)

小沢さんは、俳号が巷児でありますので、巷児忌というのもありかなと、

当方などは思うのですが、しかし小沢さんの仕事を俳句の号だけで

まとめてしまうのもどうかなです。それじゃなにか思いあたるものはある

かなと思いながら、亡くなって早くも五年が経過です。

 昨日は坪内祐三さんの「酒日誌」に登場する小沢信男さんを話題にして

いたのですが(「酒日誌」は、他の場所にも何箇所か小沢信男さんが登場

しています)、本日は小沢信男さんの遺著となった「暗き世に爆ぜ」に収録の

坪内さんの追悼文を読んでみることにです。

 この遺著には、結局「みすず」には掲載されることのなかった「賛々語々」の

121回目「花吹雪」が収録されています。この121回目については、この遺著の

編集付記にこれの経緯が書かれています。

「『花吹雪』は著者没後に三重子夫人によって発見された遺稿。・・・ディスク

トップパソコンおよびノートパソコンの同名文書には異同があり、収録したのは

前者のほうだが、最終変更日時は前者が3月1日午前11時34分、後者が3月

3日午後5時51分で、後者では『正直そんな感じです』以下の二節が消去され

ていた。3月3日午前10時ごろ、・・・西田書店の日高徳迪氏に著者が入院先の

病院から携帯電話でノートパソコンを届けてほしいと依頼したのは、締切日の

迫っていたこの原稿を仕上げるためだったと思われる。昼少し前、コロナ禍で

面会謝絶ながらパソコンは届けられたものの、同日午後11時47分に永眠。」

 亡くなる6時間前まで、小沢さんは「花吹雪」に手を入れていたことがわかり

ます。その最終回の書き出しは、次のようになりです。

「たとえば、池内紀、たとえば坪内祐三。お若いころにたまたま知り合い、その後

も浅いご縁ながら深く信頼してきた人々が、突如に居なくなりました。・・・

両氏とも、出会いは年に、一、二度ありやなしでしたが、気配は常に感じていた。

その盛んな著述が途絶えるとはいえ、新刊は続くし、葬儀にも出向けなかったの

で、こちらの気分はほぼ変わらず。なまじ頭が死亡と承知しているのが気に食わ

ない。」

 年若い人の死を悼む気持ちが伝わってくることでありまして、90代になって

から信頼している人たちが先に亡くなるのは、つらいだろうなと思うことです。

 坪内さんの追悼文は、「ユリイカ」に寄稿したものとなります。

「坪内さんは、まず『東京人』の編集者として現れた。老成した感じの若者でした。

三十余年も前のことだ。いずれ同誌の編集長にもなる人材とみえました。だから

三年後に、辞めたと聞いたときはおどろいた。早まるな落ち着け、と手遅れの忠告

をしたおぼえがあります。・・・・

この人は、おそらく生来の気むずかしさを隠しもしないで、それでいて、いや、だから

信頼もされた人柄ではないかなぁ。・・・・・

 池内さんも坪内さんも、もう出会えないなんて信じられない。私もまもなく消え

ますので、またお会いしましょう外骨忌で。」

 坪内さんの「酒日誌」にも「外骨忌」のことがでてきます。

「2005年8月6日(土) 毎年恒例の外骨忌。しかも今年は宮武外骨が亡くなっ

てからちょうど五十年目の外骨忌。三時半に染井霊園のお茶屋に集合」

 ちなみに「暗き世に爆ぜ」という小沢さんの著書のタイトルは、この遺著のなか

にも書かれていますが、「宮武外骨の墓をたずねる とまえがきされた句

 暗き世に爆ぜかえりてぞ曼珠沙華 信男 」からとられています。

この句は、宮武外骨のお墓の名刺受の柱に彫り込まれていて、小沢さんにとって、

唯一の句碑となっているとのことです。

 

長生きしたけりゃ

 図書館から借りてきている坪内祐三さんの「酒日誌」をパラパラと見て

います。「酒日誌」でありますので、日々のアルコール摂取を話題にするの

ですが、外で飲んでいるのが主に記載されていまして、それにしても、こん

なにアルコールを摂取して、身体は大丈夫かなと、下戸である当方は、

坪内さんの健康を心配してしまうことです。

 この「酒日誌」は、2006年10月刊行でして、この年の5月の記述に誕生

日を迎えて48歳となったとありました。亡くなったのは2020年ですから、

執筆と飲酒が命を縮めたのではと思うことです。

 この「酒日誌」で興味深いのは、坪内さんが出版関係のパーティーなどに

顔をだして、それの様子を簡単に報告していることですね。大きな賞などの

パーティーでありましたら、新聞などでも話題に取り上げられることがありま

すが、こんなのがあったのかと思う会の報告もあって、こんなことは、ほかの

誰が書き残してくれていただろうか。

「 2006年2月2日(木)

 四時から神楽坂の日本出版クラブで去年11月に亡くなった晶文社の社長

中村勝哉さんを偲ぶ会。十五分遅れで会場に到着すると凄い人。『平服の

気さくな会』のつもりで言ったら、ノーネクタイは、私を含めて数少ない。

見知った人も殆どいない(発起人に名をつらねていた人も知らない人たち

ばかりだった)。そのうちの『見知った人』、すなわち、平野甲賀さん、高平

哲郎さん、南信坊さん、斎藤晴彦さん、中川六平さんら九名で、五時少し過ぎ、

神楽坂下の『モー吉』に流れる。」

 晶文社を創業した中村勝哉さんが亡くなって、晶文社は存続の危機を迎え

ることになるのですが、当方がブログを始めたころがちょうど晶文社がどん底

のときで、あの晶文社は消滅してしまうのかと、本好きの人の間では話題に

なったものです。(当方などは、読書生活のかなり大きな部分を晶文社の

刊行物に負っていますからね。)

vzf12576.hatenablog.com

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 もう一つは、2005年10月24日の日誌

「(有楽町から)歩いて東京會館に向う。六時から講談社エッセイ賞と

ノンフィクション賞の受賞パーティ。ウィスキーの水割りを片手に色々な方々と

歓談(こういう席で小沢信男さんに会えると何だか得した気分)したのち、

例によって康芳夫さんと情報交換。」

 もちろん、これは小沢信男さんの名前に反応したもの。小沢さんが、でて

いたということは、受賞者のどなたかに関係があったのかな。

そう思って、「酒日誌」を見ていたら、2005年9月5日に次のようにありまし

た。

「五時から紀尾井町の『福田屋』で講談社エッセイ賞の選考会。あっさり

満場一致でアーサー・ビナードさんの『日本語ぽこりぽこり』に決まり」

 そんなんだ、小沢さんがこうしたパーティに出席とはよほどのことと思い

ましたが、それはアーサー・ビナードさんが受賞していたからであったか。

2005年10月ですから、小沢信男さんは、まだ68歳の時でした。

ほんの20年前の話でありますが、大昔のことのようです。

酒日誌

酒日誌

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本日から3月で

 朝にカレンダーを一枚めくることです。すでに3月の予定が書き込まれて

いるのですが、ライブに足を運ぶのが二回、お誕生日を迎える家族が二人で、

スーツを着用して会議に出席するのが一回となります。なかなか楽しい月と

なりそうです。

 本日の買い物の時には、お誕生日のお祝いに送るケーキの材料を確保で

す。一応、昨年も作って送ったザッハトルテ風ケーキとなるのですが、あれこれ

とケーキの材料が高くなっているのに、びっくりです。ケーキ屋さんは大変で

あるな。

 本日は午前中から知人のウィンドウズパソコンのメンテでありました。結局

のところ、これはクリーンインストールしかないなということで、ウィンドウズを

ダウンロードしから起動用USBを作成して、それで上書きしてきれいにして

から、ウィンドウズ11のインストール。問題になることもなく、無事に起動して、

めでたしでありましたが、オフィスを手持ちのインストールディスク利用で、

入れようとしましたら、こちらが乗り上げてしまいました。

 オフィスについては、明日以降にまた考えるとして、本日はウィンドウズが

回復しただけで良しとすることにです。

 「ちくま」3月号が届いておりました。

 今月の斎藤姉妹の連載でありますが、姉美奈子さんは、「2025年ベスト

セラー小説の共通点」ということで、「カフネ」「謎の香りはパン屋から」と

「パパガヤの夜」の三冊をとりあげて、それに共通する傾向を抽出しています。

これから小説を発表して、ベストセラーにしてやろうという人は、美奈子姉の

傾向と対策に学んでみては如何という感じです。 

 一方の妹真理子さんは、「年齢とともに読みたい本」ということで、「メイ・

サートンの日記」を話題にしています。今回が連載23回目となりますので、

そろそろ終わりが近いのかな。(たしか、途中で一回休載があったので、年度

末で最終回にならなかったのではないかな。)

 メイ・サートン名前は聞いたことがあるが、本を手にしたことはありませんで

した。

「メイ・サートンは1912年にベルギーに生まれ、4歳のとき、第一次世界大戦の

ドイツ侵攻のため両親とともにアメリカに移住してきた人である。・・・詩人で

小説家だが、日記やエッセイも人気があり、日本での初めての紹介は1991年、

『独り居の日記』という、サートン58歳の一年間を綴った日記だった。・・・

特に日記は『独り居の日記』に続いて七冊もあって、固定ファンがいるのだろ

うなあと思わされた。」

 真理子さんは、ちょっと遅れた読者として、サートンの日記を読んでいるの

ですが、やっと自分の年齢がサートンの書く内容に追いついてきたということ

ですが、当方はこの日記に手がのびるだろうか。

「この本に先立って出され、サートンの人気を確立した『夢見つつ深く植えよ』

という本は、庭仕事の素晴らしさを説いて大勢のファンを魅了すると同時に

『メイ・サートン神話』とでもいうべきものを作り出してしまったらしいのだ。」

 この「夢見つつ深く植えよ」は、興味がわきました。図書館にこの本は

あるだろうか。

ジョイスもどこかに

 本日の午前はトレーニングで、午後からはウトウトとしながら本を読んで

おりました。このところメインで読んでいるのは、シルヴィア・ビーチの

「シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店」となります。(早いところ読んでしま

わなくては、他に待機しているものに影響がでるのですが)

 パリにあったシルヴィア・ビーチによる英語本の書店で貸本屋さんでありま

すが、ここにも多くの文化人が集まって、パリの名所の一つになりました。

ここに集まった人で一番有名になったのは、やはりジェイムス・ジョイスなので

しょうね。

 ジョイスといえば、丸谷才一さんにとっては特別な作家さんであることもあり、

丸谷さんのファンにとっては、一度は読んでおきたい作家であります。そんなこと

もあって、ずいぶんと昔に河出書房からでていたグリーン版という文学全集で、

ジョイスの「ユリシーズ」を買っているのでした。これが読むことができていない

のですね。ジョイスは、「ユリシーズ」だけでなく、その前から文庫となっている

のも含めて、まったくだめであります。

 今回のシルヴィア・ビーチさんの作品には、ジョイス「ユリシーズ」を刊行する

くだりがありまして、やはりこういう出版をめぐる話は、興味深くて面白いことで

す。

 「ユリシーズ」はもちろん英語で書かれた小説でありますが、内容に問題あり

ということで、出版の引き受けてがなくて、フランスでシルヴィア・ピーチが版元

を引き受けることになったのですが、苦労してやっとこさ出版にこぎつけるの

ですが、米国、英国では禁書扱いで税関で足止めを食らうことになりです。

もともと、部数は千部限定ですし、想定によって三段階の造本となるということ

で、趣味的に本と受け止められたようです。

 「ユリシーズ」が出た時には、この作品の好色的なところにスポットがあたって、

それが目的で、後になってからこの小説を求めたい、または同じように自分の

作品を刊行してもらいたいという申し出が、シルヴィア・ビーチのところに寄せら

れたとあります。

「『ユリシーズ』が成功を収めた後、私が好色文学を専門に出版しようとしている

と勝手に想像して多くの作家たちがシェイクスピア・アンド・カンパニイ書店に

群がってきました。彼らは彼らの好色文学の労作を私のところに持ち込んで来ま

した。しかも、それだけではありません。彼らは彼らは、自分たちが勝手に想像し

た私の趣味からすれば、きっと気に入るに違いないと考えている一節を私に朗読

すると言ってきかないのです。」

 それにしても、難解な小説という感じの「ユリシーズ」が同時代において、一方

においては好色文学として発禁となり、もう片方では文学の目利きによってすぐ

に傑作との評価を受けるのでありますからして、世界はひろいことです。

 それでもビーチさんは、次のようにも書いています。

「私が止むなく断らなくてはならなかった次の本は『チャタレイ夫人の恋人』で

した。私はこの作品をそれほど評価していませんでしたし、この著者の作品のな

かでも最も面白くない作品だと考えていました。しかし、ローレンスがこの作品の

救済を訴えてきたのを断わるのはとても辛いことでした。」

 英語圏では禁書になっているものをフランスで刊行し、逆に本国へと送りこも

うということですが、現代では考えられないくらい厳しいことでした。