なかなか微妙なところであり

 週末は図書館から借りていた西村享さんの「孤独への道は愛で敷き詰めら

れている」を手にしておりました。書き下ろしの155ページくらいですから、すぐに

読み終わりそうですが、まあ早く読めばいいというものでもないでしょう。

 図書館から借りてきた夜に半分くらいはページを進めることができたのですが、

そのときには、最初のつかみは良しと記していました。それを起点にして、ぐいぐい

と話のなかに引き込んでいくということになればありがたしですが、ちょっとよく

なれば、話を壊してしまうところがあって、やっかいな作者であります。

 つかみでよろしと思ったのは、次のくだり。

「会うのは初めてだったが、LINEのやり取りはひと月前から何度かしていた。

それによって知ったのは、音楽の趣味はわりと似ているということだった。好きな

音楽を問われた際、私がその頃頻繁に聴いていたエゴラッピンの『サイコアナル

シス』を挙げると、、エゴラッピン好きなんですか?意外。私も好きなんです、と

彼女は言った。『くちばしにチェリー』もカッコいいですよね。・・・

その『意外』という言葉はやはり、例のあの写真から受けたであろう印象による

反応に違いないと私は思った。」

 登場人物の主人公と一緒に食事をしている女性が、ともにエゴラッピンが好き

というのは、いいじゃないかと思うのですね。当方の経験ではエゴラッピンファンの

女性はセンスがよろしと思いたいことでありまして、エゴラッピンが共通の趣味で

その後交流が続いて、めでたしとなればいいのに。

 そう思うのですが、話題にしている曲が「くちばしにチェリー」と「サイコアナル

シス」というのは、エゴラッピンをあまり知らない人が話をあわせるためにあげる

曲でありますよね。これではうまくいかないよな。

「音楽の話をすればよかった、とふと思う。人を傷つけるだけの真実より、ただその

場を埋めるだけの楽しい話を。たとえばエゴラッピンの『サイコアナルシス』の

『俺は素面だ酔っているのは路面』という歌詞のカッコ良さ。井上陽水の『いつの

まにか少女は』の『君は静かに、音もたてずに、大人になった』という歌詞のリリシ

ズム。」

 このように書かれているのを見ると、主人公は音楽が好きであって、それを仲立

ちとして人間関係が構築されていけば、読者は安心するのでありますが、うまく

行かないのでありますね。うまく行かない、それが人生ということで。


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今年は二冊刊行か

 本日から師走であります。このあわただしい時に、当方の住むまちは、市長

選挙がスタートです。投票日は12月8日でしばしにぎやかになりそうですが、

その昔とくらべると盛り上がらないのですが、その昔は市長選挙といえば、

利権がからんだりしたことも盛り上がった原因かもです。

 思うところがあって、このブログと連携してのSNSの発信をとりやめにしまし

た。SNSは、これとの連携だけで単独での発信はしていませんでしたが、それ

でもたまにはすこし見にきてくれる人がいたりして、それなりに励みになったも

のですが、Xのオーナーが好かんので付き合いを断つことにです。

 とはいいながら、発信はしないけどいくつかのフォローは残っていて、それは

見たりしていますが、本日にチェックしていたら、編集工房ノアの「海鳴り」の

写真が掲載されていました。それを見ましたら「海鳴り37」とありました。

 あれっ「海鳴り」って何号まででていたのだろう。

vzf12576.hatenablog.com 当方は編集工房ノアのファンでありますので、「海鳴り」が手元に届きました

ら、感謝の意味もこめて「海鳴り」の紹介をすることにしておりますが、今年の

4月15日には「海鳴り」36号が届いたと記しておりました。

 ということは、今年は「海鳴り」が二冊でたのでありましょうか。順調でありま

したら、数日で結果はわかると思うのですが、年に二冊というのは、しばらく

記憶にないことです。

 この37号には、山田稔さんは「文のひと 野見山暁治」というのを寄稿し、

涸沢さんは「大塚さんの立ち姿」を書いているとのこと。これは楽しみでありま

すこと。

 そういえば、年に一度の「ぽかん」もそろそろ刊行になるのだろうか。 

午後から本屋さんへ

 11月は本日でおしまいでありまして、朝は庭仕事からのスタートとなりです。

本日の午前のうちにバラなどに寒肥を施し、バラに風よけの袋掛けなどをして、

とりあえず、本日の分はおしまいです。まだすこし残っているのですが、あとは

小さなバラ鉢でありますので風除室に取り込むなどをして、冬越しをすること

になるのかな。

 がっちりと着込んでの外仕事でしたので、そんなに寒さは感じませんでした

が、風に雪が舞っていよいよ寒くなりです。

 昼からは久しぶりで行きつけの本屋へと足を運ぶことにです。日記として

使っているリフィールの残りが少なくなってきたので、それを注文するのが目的

でありました。このリフィールは1987年から使っているのですが、一年を終える

とそこそこのボリュームとなりまして、それが40年分近くも残っていて、あとに

なったらこれの処分にも困るのでしょうね。

 本日の本屋では、文庫新刊などをチェックしたのですが、その前に買ったのに

見つからなくなっている中公文庫を買い直し(?)することにです。

 9月の新刊でありまして、この場では新刊ででてすぐに話題にしているのです

が、そのあとに本が姿を消して現在に至っています。だんだんと、この文庫本は

本当に買ったのかなという気分になるものです。記憶というのはあいまいなもの

でありまして、だんだんと自信がなくなるものですから、それであれば、また買った

らいいだろうと思ったものです。

 なんといっても、これには小沢信男さんの文章が収録されていますので、ないと

落ち着かないのですよね。

 本日にチェックした文庫新刊には、中公文庫にはいった上野英信さんのものが

ありました。

 中公文庫にこれが入りましたか。元版は1972年とありますので、半世紀前の

もので、上野英信さんの本というと、反射的に田村義也さんの装丁が頭に浮か

びます。

 当方は、これを過去に購入していて、すこしは読んだようにも思うのですが、今回

読むことはできるだろうかな。

 もう一冊気になったのは、関川夏央さんの文庫でした。

 

生誕130年記念か

 図書館へといった時に、「武井武雄 幻想の世界にようこそ」という本が

目に入りました。ほとんどなじみのない武井武雄さんでありますが、今年は

生誕130年ということで、大規模な回顧展が開催され、それの図録として

作成されたものであることがわかりました。

 武井武雄さんの出身地である岡谷市にあるコレクションを中心としての

移動展となっていたとのことです。最初が目黒区立、次が石川県立で、

最後が愛知一宮の美術館だそうです。

 こうのをやっていたのを、この図録を手にするまで、知りませんでした。

ちょっとの間ではありましたが、目黒区民でありました当方には、区立美術館

はなつかしい施設であります。(ちょうど開館した年に、区の教育美術展が

ありまして、見物へと行きました。)

 当方のところにある武井武雄のものといったら、中公文庫からでている「本と

その世界」くらいでありまして、画集とか愛書家垂涎の刊本作品にはまったくの

不案内であり。

 そんなこともあって、この図録でひととおり目にすることができるのはありがたし

です。特に刊本作品をすこしまとめて紹介されているのが。

その昔は、安価な刊本作品を買ってみようかと思ったこともあるのですが、これは

まるでそんなもの買ってどうするのであります。

 一冊ごとに趣向をこらした本でありまして、工芸品のようなもので、会員限定で

の配布となっていて、その昔は、めったに市場にでないものでありました。

 1967年の刊本NO74「笛を吹く城」については、次のように書かれています。

「ゴブラン織りに挑戦した本である。ゴブラン織りとは、画を染めた布地を糸にし

て再び元の様に織りなおす技法である。15世紀フランスで誕生した。日本では

祇園祭の山鉾に使われていることが知られている。

 この本の場合は樹脂を混ぜたSベランという紙を使用している。これに絵を

印刷した後、更に細かい糸状に割いて横糸とし、絹糸を縦糸として織りあげてい

る。少々のズレが美しくやわらかな線を描きだす、と武井は述べているが、織る際

に絵が大きくずれることは鑑賞に堪えない。そのため、この種の手織りができる

京都西陣織のベテラン二人が約半年かけて織った。その後の製本作業の時間を

含めて300冊を制作し、頒布するまで2年の歳月を要したのである。値段も、

全刊行本作品の中で一番高価なものとなった。」

 ものすごいこだわりで作られた刊本作品でありまして、こういう世界は近寄らな

いほうが精神衛生にはよろしかったか。

明日は休館日であるか

 週末は風邪をひいていたことで、庭仕事もりんごを使ってのお菓子作りも

すべてやることができずでした。この時期の週末作業がだめになったのは、

影響大きいことであります。12月には怒涛のクリスマスギフト作りがあるの

ですが、あんまり無理しなさんなということでしょうか。

 体調がすこし戻ってきたので、そろそろトレーニング再開しようか思っており

ましたが、明日にと思っていましたら、明日29日は月に一度の休館日であり

ました。これは残念なことで。

 本日の夕方近くに図書館からメールが届きまして、予約してあった本の準備が

できましたとの内容でした。明日は図書館も月末整理休館日でありますので、

本を借りようと思ったら、本日に行かなくてはです。

 ということですこし暗くなってから図書館へと行って借り出したのは、次のも

のでありました。

 「本の雑誌」で紹介されているのを見て、興味を抱いたものです。

紹介していた杉江さんは、この作品は西村賢太ロスの人におすすめの作品という

ことで、ほんとかなですよね。(先日に六角精児さんのラジオを聞いていましたら、

最後まで西村賢太の著作は処分せずに読み続けると言ってましたです。)

 この作品は書き下ろしの155ページほどの作品でありまして、当方にすれば

つかみのところはよろしでありまして、これでどこかまでひっぱっていってもらえる

かなであります。ちょっとだるくなってきたかなと思ったところで、舞台は北海道

にとんで、ここで農業ヘルパーとして働く話となります。

 おお、これまた当方に身近な話題ではないかいなです。

「四月半ば、私は飛行機で北海道へと向かった。半年後には沖縄に働き口を

見つけ、そちらに向かうつもりだった。そんなふうに各地を巡り、自分にあった

安住の地を見つけるつもりだった。

 東京はもう春の気候だったか、北海道はまだ寒かった。念のためにガムテー

プでぐるぐる巻きに圧縮してリュックに入れてきたダウンジャケットが役に立った。

空港を出るとメールで告げられていた通り、事業所の担当者が迎えに来てくれ

ており、私は彼の運転する白いバンで寮へと向かった。」

 北海道が、彼にとって安住の地になればいいのにと思いながら、読み進むので

ありますが、もちろんそんなことはないのでありました。

図書館で目に入ってきた本

 本日は図書館本の入れ替えで出かけることになりました。予約の入っていた

本を含めて3冊返却して、新たに2冊借りてくることになりました。

 このところお年寄りの書いたものを読んでいるせいもあって、すこし若い人の

書いた元気のでる新刊がないだろうかと思って見ていたのですが、これは手が

伸びるものがなしでありました。

 結局は、なかなか興味深いタイトルの次の本などを借りてくることになりました。

 「北朝鮮の食卓」ということですので、何が描かれているのかなと思いました。

朝鮮総連系の著者が書かれた北朝鮮の礼賛本なのかなと思って、目次をみてみ

ましたら、必ずしもそうではないようでありました。

何よりも、この本は韓国の企画財政部南北経済課の事務官によって書かれたも

のとのことですから、韓国の人に、北朝鮮の食の現状を伝えるのが目的なので

ありますね。

北朝鮮を見つめる私たちの視点は両極端である。一方は、今でも食料不足で

餓死する人々が大勢いると考え、もう一方は、北朝鮮の人々もコーヒーをたしなみ、

頻繁に外食をするぐらいまでの消費水準に達したと考えている。食料難にあえぐ

困窮した生活とピヨンハッタンの華やかな日常とでは、どちらが北朝鮮の現実に

より近いのだろうか。

 正解は『両方とも北朝鮮の現実を言い当てていると』というべきだろう。」

 ということで、まずは北朝鮮の食料制度の根っこにある「配給制度」について

学ぶことになりです。建前としては配給制度が機能していれば、餓死なんて話に

はならないのですが、必ずしも食料が十分に確保できなければ、配給制度は崩壊

することになりです。

「これまで、北朝鮮の人々の食生活に最も大きな影響を与えてきたのは配給制

だ。韓国で小学校・中学校・高校での給食無償化が話題になるたびに、保守政党

が『ポピュリズム』だとか『社会主義の政策』だと批判するのをよく目にする。・・

北朝鮮配給制度を数十年にわたって実施してきたのとは異なり、他の社会主

義国では、社会主義への移行期または戦時共産主義下において、不足した物資

を国家が効率的に分配し統制する目的で一時的にされていた。北朝鮮でも配給

制度の初期には、日本の植民地支配からの解放後、鉄道など公共の利益を目的

とする事業に従事する労働者の生活を安定させるために実施されたものだった。」

 元版の刊行は2019年で、それから5年で韓国と北朝鮮の関係も大きく変わって

いるのですが、北の食料事情には変化があるのでしょうか。

明日は返却日となり

 図書館から借りている本で、明日に返却日を迎える本が5冊あり、図書館の

マイページを確認しましたら、そのうちの一冊には予約が入っていました。これは

どうしても明日に返却してしまわなくてはです。この本は、すこしはページをめくる

ことができたのでよろしいのですが、他の4冊はまるでだめでありまして、貸出の

延長を行うことにしましょうです。

 そのうちの一冊は酒井忠康さんの「船越桂 森の声を聴く」となります。

 今年の3月に亡くなった船越桂さんですが、この本は船越さんの生前に計画を

されていたのですが、作業が遅れて、結果として追悼集のようなことになったとの

ことです。

 船越桂さんといえば、お父上は著名な彫刻家でありまして、父親の日常を近く

で見ていて、よくぞ彫刻家になろうと思ったものと、当方などは不思議に感じたも

のですが、時代的には親への反発というのがテーマでありましたからね。

 ちょっとまだつまみ読みで、気になったところをメモしているのですが、なかでも

船越桂さんの絵本「おもちゃのいいわけ」(すえもりブックス)を話題にしているとこ

ろが印象に残りました。

 桂さんが、自分の子どもたちために作ったおもちゃとか、子どもたちを模した木

彫についてでありますが、それを桂さんは、次のようにかいているのだそうです。

「すこしお姉さんっぽく立つ小さなみもと、危なっかしく歩を進めようとする、巨大

な赤ちゃんっぽい兄の械の姿。どうも姿と大きさの関係に違和感がある。並べて

見ると、いつも心の中で気になるのである。彫刻の時と同じで、計画性に乏しい。

 それでも作ってよかったと思う。これを見ていると、あのころの彼らの動き、声、

服装や、家の中がどんなだったかまで見えてくるような気がする。

 逃げていった時間が、私のそばにフッと立ったように思うことがある。」

 この文章を受けて、酒井さんです。

「『逃げていった時間が』とはまた、何としゃれたいいまわしだろう。わたしはこう

した記憶のありかたの不思議を、それとなく掌編で語る人を好むが、船越さん

の玩具の作品のように、威張らない彫刻はいいなあと思っている。

 それに比べて、現代彫刻はどうして、こういうところから離れてしまったのか

そんなことを反芻した。もとおりこれは是非の問題ではない。」

 船越桂さんの彫刻作品は多くの本の装丁に使われていまして、ここで語られて

いる兄と妹の作品も、次の文庫本のカバーになっていて、よく知られているもの

でした。