本日の本 4

 阪田寛夫さんが朝日放送をやめたのは、文学に打ち込むためでありましたが、
放送や音楽の分野でひっぱりだこになり、その世界では多くの賞を受けていま
した。阪田さんに仕事を依頼する放送局やレコード会社は、賞をとることをもく
ろんでのことであったようです。
 こうした現状についての編集者 高橋さんの感想であります。
「 この頃の阪田さんが、どこまで小説を書くことに執心されていたか、私には
捉えかねた。私なりに題材を捜して、小説や随筆の原稿をお願いし、書いていた
だいた。しかし、当時、阪田さんは放送ドラマやミュージカルの脚本の仕事が
次々とあって、それらは役者の拘束や興業のことでスケジュールが厳密で締め切
りは絶対であった。」
 人間として尊敬する阪田寛夫さんを、自分の専門である小説の世界で、名をなす
ようにしたいというのが、高橋一清さんの思いでありますが、これがみのるのは、
最初に阪田さんを訪ねてから、7年後でありました。
 編集者としての高橋さんはその心意気を、次のように書いています。
「私はかねがね三十歳までに、文藝春秋で雑誌記者をしているなら、世間が驚く
ようなスクープ記事を書く、文藝雑誌編集者なら、芥川賞直木賞の受賞作品を
担当する。出版部での仕事だったら、ベストセラーの作品を世に送り出す。
これが果たせなかったら、この職業は不向きだから転職を考えると心に言い聞か
せていた。しかし、私の能力ではそれはなかなか実現しない。」
 文藝春秋社では、三十歳までに、このようなことを果たした編集者はどのくらい
いたのでしょうか。