高橋一清さんは、「阪田寛夫さんと出合ったことが、私の編集者生活を決定づける
ことになる。」と記しています。
それは文芸春秋社に入社して、すぐに担当した作家であるということと、自分が執筆
依頼して完成した作品によって、作家が芥川賞を受賞することになったことによります。
高橋一清さんは、担当となった阪田さんの自宅を定期的に訪問することになるのです
が、「阪田さんは、自ら話し始めることなく、挨拶を交わしたあとはもっぱら訪ねた
私の方がいろいろと話しかけるのでだった。」とあります。
心やさしい阪田さんは、またはじらいの人でありましたので、とっつきにくい人で
あったようです。
「新入社員の身では、話題がそうそうあるものではなく、沈黙が続くこともしばしばで
あった。阪田さんが作られた『サッちゃん』という歌がある。愛らしい歌で、私たちの
世代は誰もが歌ったものだ。それを話題にするのだが、『そうですか』と返事されてしま
うと、次の展開がないのである。またしても沈黙の二人となる。」
普通であれば、こういうやりとりは、相手に早く帰りなさいということのサインをだし
ていることになるのですが、阪田さんの沈黙には、そのようなサインは含まれてなさそう
であります。
阪田さんは、高橋さんよりも約20歳の年長となりますが、高橋さんは阪田さんの人柄
に魅せられたとあります。
「私は阪田さんの許に間をおかず通った。おだやかなお人柄に接していると、私の身も
心も和んでくるのだ。私の生い立ちにはない、おおらかで、ゆたかなものが、阪田さんの
なかにあって、それを吸収したいという気持ちを抱いていた。阪田さんに会うと人の善を
見ている方が生きていく上でどれだけ充実するか教えられるのだった。社会に出て、学生
の頃には経験しなかった大人の醜悪な面を目の当たりにすることがあると、阪田さんの
人柄に救われる思いを抱いた。」
高橋さんが、阪田さんを最初に訪問した昭和42年には、すでに「音楽入門」で芥川賞
の候補となっていたのですが、音楽分野での仕事が忙しく、文学に専念できる環境には
なかったようです。