2011-11-01から1ヶ月間の記事一覧
学校を卒業して、地元に戻り仕事につくことになる期間に野間宏さんの「青年の環」 を読んでいたのは、今となってはいい時間の使い方であったなと思っています。 長い小説は好きでありますが、野間宏さんのものは、けっこう読みにくいので、よほど 気持ちに余…
そろそろ今年の振り返りの時期となりますので、今年はどのようなものを見たり、 聞いたり、買ったりしたのかと、メモをチェックしています。本の購入リストを 見てみましたら、つけ忘れが多数あるようですが、例年の半分くらいしか購入でき ていないがわかり…
あとわずかで12月となりますが、ことしは公私ともにいろいろなことがありました。 私的には還暦を迎えたことや、定年退職して再就職したことがあげられます。社会的 には、大震災とそれによって引き起こされた原子力発電所の爆発が、これからも記憶 に残る年…
関西旅行から大阪文学学校、川崎彰彦さん、編集工房ノアと話がつながっています。 先日の京都で購入した山田稔さんの「日本の小説を読む」には、「1960年代初めの 『よむ会』メンバーの、他の文学グループとのかかわりぐあい、いわば人間相関図と いったもの…
「樹林」の川崎彰彦追悼特集号には、興味深い文章がたくさんのっているのですが、 川崎彰彦さんというと、反射的に思いだすのは編集工房ノアであります。この特集には、 編集工房ノアの「涸沢純平」さんが文章を寄せています。(それこそ、涸沢さんがこれ ま…
大阪の街歩きをしていて地下鉄谷町6丁目駅で、人と待ち合わせをしていたときに、 この近くに大阪文学学校があることがわかり、どんなところかとのぞきにいったら、 たまたまいつもよりちょっと早くに事務局長さんがいらしていて、それで「樹林」 の川崎彰彦…
当方にとって大阪文学学校は、なによりも川崎彰彦さんに結びつくものであります。 拙ブログで大阪文学学校に言及しているのは、川崎彰彦さんとか編集工房ノアの「海鳴 り」や刊行物にかかわってのことでした。 まったくミーハーなファンでありまして、大阪文…
すでに旅からは戻っているのですが、もうすこし旅で出会った話です。 今回の関西旅行は、ちょうど紅葉の時期にあたったせいもありまして、京都の宿は どこもいっぱいとのことで、どちらかというと大阪を軸に動くことになりました。 京都よりも大阪のほうが大…
関西旅行の初日と最終日は大阪散策です。 最近の旅行はフェルメール作品の国内公開にあわせて日程を組んでおりましたが、 今回はフェルメール作品が宮城へと移動しておりまして、見物することができずで ありました。これはまたの機会であります。 関西では…
これまでは旅行にでたら、どこででも古本屋めぐりをしたのでありますが、今回は さっぱりであります。すこし古本熱がさがってしまったでしょうか。 本の置き場に困っていますので、本を買うためには、そうとうに考えなくてはいけ なくなっています。買うため…
本日は紅葉を求めて京都ですが、今年は例年よりも紅葉が遅いのではないでしょうか。 京都駅での情報では、紅葉見ごろとなっているのが比叡山だけになっていました。 それよりもなによりも、人の多いことに驚きです。京都駅は人でごったがえしていまし た。こ…
3月から小沢信男さんを話題にしておりましたが、本日は旅にでていることもありまし て、小沢さん話題から離れます。小沢さん話題は248回となりましたが、これは二、四が 八で、なんとなくごろがいいではありませんか。 当方の住むところは、すっかり紅葉が終…
小沢信男さんの「東京骨灰紀行」は、書き下ろしでありますが、これの目次は 次のとおりです。 ・ ぶらり両国 ・ 新聞旧聞日本橋 ・ 千住、幻のちまた ・ つくづく築地 ・ ぼちぼち谷中 ・ たまには多磨へ ・ しみじみ新宿 ・ 両国ご供養 ・ あとがき 「あと…
小沢信男さんの「東京骨灰紀行」は、矢幡英文さんの写真を使って、間村俊一さんが 装丁をしています。表紙カバーは東京の俯瞰写真ですが、これはどのあたりからの 写真でしょうか。見る人が見ましたら、すぐにわかるのでしょうが、当方は東京の新しい 高層ビ…
昨日に掲載した「新日本文学」の表紙絵は、どなたのものでしょう。目次には表紙構成 「木村恒久」とありますので、木村恒久さんによるものでしょうか。これは当方も名前 だけは知っている「おばけ煙突」ではないでしょうか。おばけ煙突とかが名所(?)で あ…
雑誌の「新日本文学」を、何十年かにわたって定期購読をしていたはずです。 新日本文学会の会員以外で、こんなに長く定期購読をしていた人はいるだろうかなと 思うほどであります。どうして定期購読をしていたかというと、これは近所の本屋 には注文をしなく…
小沢さんによる新日本文学会の「解散提起」は2003年5月31日になされ、田所泉さんの 「新日本文学<史>のための覚書」が「新日本文学」に連載したのは、翌2004年のこと でありました。田所さんの「覚書」の最終章は、2004年11・12月号に掲載となりました。 …
文学運動というからには、しっかりとした理念がなくてはいけないのですね。政治の 優位性ということが前提でありましたら、その政治団体の運動方針をなぞるということ でいいのかもしれませんが、政治団体と縁切りをしたことによって、多様な会員をまと める…
田所泉さんによる「新日本文学<史>のための覚書」の最終章は、「六十年・未完の 実験」となっています。 最終章の書き出しは、次のようになっています。 「 ひとつの文学運動体が、あしかけ六十年にわたって同じ名称で活動を続けるという ことは、歴史上も…
小沢信男さんについで事務局長となったのは、野呂重雄さんでした。前に野呂重雄さん に言及したときにも引用しましたが、小沢さんは解散提起のなかで、「野呂重雄は血の 小便流して苦しんだんだよ、この借金をどうするかと。」といっています。 小沢さんは事…
「はしごを外す」とか「はしごが外れる」ということばがありますが、小沢さんが新日本 文学会の「事務局長」になったのは、「はずれたはしごにのぼる」というようなものです。 田所泉さんの「覚書」からです。 「だが小沢・小野のコンビは、よくこの困難を乗…
田所泉さんによる「新日本文学<史>のための覚書」に、小沢さんはどういう登場の 仕方をするかを見ています。書き手としての小沢さんというよりも文学運動家としての 小沢さんであります。 小沢信男さんは「事務局長にならされた」と発言していますが、この…
田所泉さんによる「新日本文学史のための覚書」をのぞいてみますと、設立されてから ずっと内部での論戦を続けています。いまではぴんとこない共産党内部の路線の違いの あおりを受けたものもあり、いまの若い人々には、ほとんど理解できないことでしょう。 …
「新日本文学会」をつわものどもの夢のあとにしないための、小沢さんによる試みが、 「通り過ぎた人々」であり、「田所泉作品集 楠ノ木考」編纂作業でありました。 新日本文学会の解散を提起した「新日本文学会の半世紀」という個人報告も、もちろん そうで…
小沢信男さんの「通り過ぎた人々」の表紙カバーには、小沢さんの句が描かれていま す。 引鶴やいま殿の陣の上 雑誌「みすず」で連載時に読んで、単行本となった時に読み返して、今回、また思い つくまま読んでいるのですが、この句の意味合いは、昨日の引用…
小沢信男さんの「通り過ぎた人々」に導かれて田所泉さんの足跡をおっています。 田所さんには、何冊かの著作がありますが、亡くなってから刊行されたのは、次の ものとなります。 楠ノ木考 田所泉作品集 [ 田所泉 ]ジャンル: 本・雑誌・コミック > 人文・地…
田所泉さんは、二十歳にしてメーデー事件の被告人となり、その後メーデー被告団 の事務局をつとめた経歴をもち、長く被告団のとりまとめ役をつとめていたようで あります。まず、この裁判闘争を闘うことが、生活の中心であったようにみえます。 その後に、大…
「新日本文学会」の解散提起(いいだしっぺ役)を担うことになったのは、小沢信男 さんでありました。 2003年5月31日〜6月1日にかけて行われた2003年度第46回総会においてです。 この時に、会員総数は202名、出席46名 委任状80名と「新日本文学」に掲載され…
組織というのは、立ち上げの時には勢いがあって、苦労を苦労とも思わないもので ありますが、これを維持するというのは大変でありますし、長期低落となって、組織 がなかば死に体となりますと、どんどんと人は離れるのでありました。 だれかが何かをしなくて…
小沢信男さんの「通り過ぎた人々」は、雑誌「みすず」連載中から話題になっていた と思います。 「朝日新聞」の読書欄にありました「亀和田武のマガジンウオッチ」の2006年3月19日 付には、「忘れえぬ人々の肖像くっきりと」という見出しで、小沢さんが「内…