六枚のスケッチ 5

 本野亨一さんは、当方が学生の時にドイツ語の教えを受けた先生であります。
たぶんなんとか出席をして単位をもらったのだろうと思うのですが、この授業で印象
に残っているのは、本野さんが授業中につぶやいた一言でありまして、そのつぶやき
は、前に紹介しておりますが、語学の本筋とはまったく関係のないものでありました。
 教師が本当に伝えたいと思ったのは、そんなことではなかったと思うのであります
が、肝心なことは記憶に残らずで、これではあまりにもひどいのであります。
 40年もたってから、本野さんのことが思い出されたのは松田道雄さんの「幸運な
医者」を手にしたせいで、この本のなかで本野さんは、松田さんの旧制中学の同級生
として登場するのでありました。
 松田道雄さんが取り上げていたのを見て、本野さんの著作「文学の経験」を購入し、
いまさらではありますが、授業のときに本野さんがつぶやかれた背後にあったものを
知ってみたいと思っています。
 昨日に引用したように本野さんの「架空の読者」は、学校の教室で話すときの聴衆
とありましたので、当方などはいわば架空の読者候補であったわけですが、残念な
ことに当方は本野さんの大教室での講義に連なることはなしでありました。
 若くあまり熱心でない学生にとって、教師が「壇上で立ちすくんでいる姿勢」で
いようがいまいが関係なしであったのかもしれません。
 いまちょうど当方は、当時の本野さんと同年くらいとなり、若い人との間で感じる
「孤立感」というのは、意味合いは違いますが「立ちすくみ」と近いものでありま
しょうか。