幸運な医者 8

 松田道雄さんは、「安楽に死にたい」という本をだしていて、この本は自宅の
どこかにあるのですが、すぐにはでてこないものですから、内容を確認することが
できません。
 安楽に死なせることができるはずというのが、松田道雄さんの晩年のテーマで
あったようです。昨日に引用したように松田道雄さんは、医療機関にではなく、
優秀なスタッフがいる介護施設のほうに可能性を見いだしていたようであります。
松田道雄さんの奥様が亡くなった施設のスタッフの仕事ぶりについて記しているの
でありますが、これはどう考えても例外的な存在の施設でありましょう。
 こうした例外的な存在の施設が、日本では当たり前の話とならなくては、日本
人民は安心していられないともありました。こうした施設を増やしていくことが、
日本にとっての課題だそうです。
 晩年になって、再びたばこを吸うようになった、旧制中学以来の友人である
本野亨一さんの死についてであります。
「本野君は八十二歳でなくなった。朝、二階の書斎に奥さんがトーストをもって
あがっていくとソファに姿がない。みると絨毯のうえにたおれていた。意識のない
まま病院にいった。そこで一週間、意識がすっかり回復しないまま逝った。
おそらく脳卒中だったろう。
十年ちかく禁煙していたのに、晩年吸いだしたのは食事のあとのたばこのうまさを
やめてまで、余生をながくしようとはおもわなかったのだろう。たぐいまれな
文学者の自由な選択だった。」
 安楽な死であったかどうかは不明でありますが、松田道雄さんは、こうした逝き
かたに肯定的であります。
 さて松田さんご自身の亡くなり方はどうでしょう。主治医であった堀川病院の
早川一光さんが岩波の「図書」に寄せた文章が、「幸運な医者」には収録されて
います。
「 この人が、五月三十一日、深夜、急に心筋梗塞発作で意識を失い、家族に見守
られて亡くなられた。私も主治医として、ジーッとそれを見つめた。
 私は先生のその亡くなり方に、歌舞伎、『勧進帳』の幕切れの一場をみた。」
 自宅で家族に見守られてなくなるというのは、現在ではきわめて稀ななくなり
方でありまして、それこそ安楽な死の実践であったように思えます。