幸運な医者 6

 40数年前に一年ほどドイツ語の教えを受けた先生について書かれた松田道雄さんの
文章を話題としています。ドイツ語の本野亨一先生とは個人的なお話をする機会は
なかったのでありますが、この松田道雄さんの文章を読んでみて、その昔に「自分を
偉そうにみせない人」という印象を持ったことが、決して間違ってはいなかったと
思うのでありました。
 松田道雄さんの文章(主として本野亨一さんへの弔辞となります。)からの引用で
あります。
「 彼は日中戦争がはじまると、兵隊にとられて、七年間転戦した。彼は将校になら
ず兵隊のままで帰ってきました。そしてその仲間の兵隊の集まりに毎年参加して遠路
をいとわなかったのも彼の人としてのやさしさを物語るものでありましょう。
 文学者として世に容れられなかったとはいえ、それは彼の文学がオリジナルであった
ゆえで、彼が世にすねたのではありません。」
 本野さんは「将校にならず」とあります。軍隊において将校と兵隊ではえらい身分
差でありまして、高学歴の人のほとんどは将校になる道を選んだと思われます。
大学をでて、兵隊でいるということは軍隊のなかで出世しないということで、その
ことは戦死する可能性が高くなるということであります。兵隊の本野さんには奥様と
娘さんがおられたということですから、これは普通の人にはできない生き方であり
ます。
 松田道雄さんは、こうした本野さんの生き方を「人としてのやさしさ」からと説明
しています。この「やさしさ」は、松田道雄さんに、名もない戦友たちにも、そして
教え子たちにも同じように及んでいるのでありました。