2010-10-01から1ヶ月間の記事一覧
文化勲章というと11月3日「文化の日」に授賞式を行うというのは、はじめからの ことのように思っていましたが、これは大戦後に始まったということが、昨日に引用した 小林勇さんの文章でわかりました。11月3日が「文化の日」となったのは、1948(昭和 23)年…
先日に文化勲章受賞の文学関係を抜き出した時に、たいへん関係深い人を落として しまいました。それは岩波書店の岩波茂雄さんであります。文学関係といっていえない ことはないのでありますが、本をつくる人で文化勲章を受けたのは、岩波さんが最初で 最後で…
文化勲章というのは、文字通り文化人としての上がりのような位置づけであり まして、中にはこれを受けることを目的に創作活動を行う人もいるのではと思わ れます。そうした目的と手段を取り違えた人のほとんどは受賞に成功していないと 思われますが、受賞す…
文化勲章の文学部門受賞者の顔ぶれを見ていて、このような人が受けていたのかと いう思いは、近年のほうが強いかもしれません。文化勲章を受けるにふさわしい文学 者というのは、かっては日本芸術院の会員になっていて、それから文化功労者と なって、さらに…
ブログをみていましたら、過去の文化勲章受章の一覧が掲載されているページが ありました。当方が比較的なじんでいる文学関係の部門でありましても、本当に こんな人がうけているのかと思うのでした。古い時代でありましたら、そういう こともあるかとおもい…
本日の新聞に文化勲章と文化功労者の発表がでていました。 文学関係で名前があったのは、詩人の中村稔さんだけでありますが、期待していて残念 となった人もいるのでしょう。ノーベル賞を受けるようになってから文化勲章というの は、みっともよくないという…
先日の古本バザーでは、20冊を超える本を購入したのですから、一日一冊取り上げて も、20数日は話題にできる勘定ですが、そういうわけにもいきません。 ということで、本日も百目鬼恭三郎さんの「解体新著」からの話題です。 山田桂子さんの「『待ちの』子育…
昨日の古本バザーで購入した本をどのように整理しようかと頭を悩ませています。 置き場所のことも考えずに購入するからさと叱責の声が聞こえてきそうです。 このブログで話題にすれば、すこしでも落ち着きの場が見えてくるのではないかと 思っているのですが…
「文化の秋」といわれる時期になりまして、各地で文化祭行事がはじまっている ようです。当方の住む町でもそうでありまして、本日と明日の二日にわたって、 陶芸展というのが駅前の大型店の催事場で行われています。これにあわせて、古本 バザーがあるという…
山田稔さん「マビヨン通りの店」(編集工房ノア刊)に収録されている、前田純敬さん についての文章の二つ目「後始末」は、昨日に言及した「声のお便り」から一年後に発表 されたものです。 書き出しは次のようになります。 「『前田純敬 声のお便り』では、…
前田純敬さんのことを評して、富士さんは「粘着性があって誤解されやすい人」 と山田稔さんに伝えたとあります。 「マビヨン通りの店」には、前田純敬さんについての文章が二つ掲載されています。 ・ 前田純敬 声のお便り CABIN 9号 2007年3月 ・ 後始末(原…
山田稔さんの新刊「マビヨン通りの店」から話題にしていますが、当方はフランス ものには言及せずに、富士正晴さんつながりの死者についての文章に注目をすることに します。 この本の帯には次のようにあります。 「 ついに時めくことのなかった作家たち、・…
山田稔さんの新刊「マビヨン通りの店」は、前半にフランスに話題をとったもの などがおかれていますが、当方の関心は、死者にむかっています。 それで、山田さんが亡くなった人について書いたスケッチのような文章は、あち こちにあるはずと、手近にあったエ…
山田稔さんが、富士正晴さんの言葉として引いている「死者を立たすことにはげむ」 というのは、富士正晴さんの「軽みの死者」におさめられている「死者がたってくる」 という文章の結語によります。 富士正晴さんの文章からの引用です。 「しかし、生きてい…
編集工房ノアから山田稔さんの作品集「マビヨン通りの店」が刊行されました。 山田さんの新刊は08年7月の「富士さんとわたし」以来のことになります。 「富士さんとわたし」は、当方にとってはまったく未読のものでありましたが、 今回のものは、「海鳴り」…
上林暁さんは、関口良雄さんの「昔日の客」の巻頭におかれた「正宗白鳥先生訪問記」 を「集中第一の力作であり、新鮮な筆致がをどってゐる。青年時代以来の白鳥の作品に 対する傾倒ぶり、狸ぢぢいを相手にするやりとりが、実に面白い。これは傑作である。」 …
昨日に引き続き、上林暁さんの「山帰来」(「昴」80(昭和50)年一月号)という随 筆からの引用です。昨日の文章には、「最近、関口君にかかはる出版物が二つ出た。」と ありましたが、もう一つについてです。 「 そのほかにも一つ、それは『昔日の客』とい…
上林暁さんは、1980(昭和50)年8月に亡くなります。この年は、1月に入院し、2月 末に退院して自宅に戻りますが、7月に再入院して、翌月に亡くなったとあります。 この4月には、筑摩書房の会社更生で中断していた全集の刊行が二年ぶりで再開し、 それの完結を…
「上林暁全集」月報には、関口良雄さんの「昔日の客」に版画を寄せている山高登さん (この「昔日の客」の編集も担当したと思われます。)も寄稿しています。タイトルは 「上林先生断章」というものですが、この文章にも関口さんが登場します。 その前に、上…
「上林暁全集」月報には、関口良雄さんの情報がたくさんありです。どちらかというと、 増補となった巻に挟み込まれている月報によく登場するようです。 昨日に全集第13巻月報に関口さんの写真が掲載されていると記しましたが、これを月 報からコピーしてみま…
「上林暁全集」には、あちこちに関口良雄さんの名前が登場しますが、これの月報でも そうであります。関口さんは、上林さんの創作活動を支えるネットワークにおいて、 大きな存在であったようです。筑摩書房の編集者の熊木勇次さんの信頼が厚かったこと も、…
昨日に上林暁さんの「よき話し相手」という文章を引用したときに、臼井正明さんに 言及しましたが、この方は筑摩書房版「増補 上林暁全集」月報8巻(昭和53年1月)に 「心の中の二人の先生」という文章を寄せています。 このなかから、関口良雄さんに関連す…
関口良雄さんの「昔日の客」を手にすると、上林暁の本が読みたくなります。先日の 山本善行さんのブログにも、夏葉社版「昔日の客」が手元に届いたころ、上林暁さんの 作品を読み継いでいるとありましたが、人によって、手が伸びるのが正宗白鳥であった り、…
関口良雄さんの「昔日の客」の略歴をみましたら、1970(昭和45)年7月のところ に、「尾崎一雄、上林暁、木山捷平、山高のぼる、関口銀杏子の五人句集『群島』を 刊行とあります。」 この「群島」のあとがきは、上林暁さんが書いていて、これは全集19巻に収…
購入してから積読状態が続いていました「上林暁全集」ですが、関口良雄さんの足跡を たどるためにも、この全集はためになります。全集というのは、すでに単行本となって 刊行された小説等を読むよりも、未発表の日記などに目を通すほうが楽しいかもしれませ …
関口良雄さんの「昔日の客」に触発されて筑摩書房からでた「上林暁全集」に寄り道を しています。これまで「上林暁全集」は数回でているのですが、一番最初のものは、 1966(昭和41)年の全15巻ですが、関口さんは、この時すでに「上林暁文学書目」を まとめ…
関口良雄さんの「昔日の客」を手にしたおかげで、ひさしぶり上林暁全集を開くこと になりました。筑摩書房からの増補版上林暁全集(19巻)は、刊行中に筑摩書房が会社 更正法の適用となり、会社再建下において完結にこぎつけたものです。会社更生と なったと…
いきなり引用からはじめます。 「 Sさんは東京・大森山王の古本屋のおやぢである。おやぢといっても、まだ四十代で あらう。 先日、古本市の帰りだと言って、ひょっこり訪ねてきた。私を訪ねて来るのは、これで 二度目だった。 最初は、去年の晩秋ごろであっ…
丸谷才一さんにとっての吉田秀和さんは、このあいさつの表題をつなげていきますと 「文章の師で、完全な批評家で、偉くてついている人」というふうになります。 文章の師としての吉田さんについての丸谷さんの発言です。 「わたしの判断によれば、吉田さんは…
丸谷才一さんが行った吉田秀和さん祝賀会などでのあいさつを話題にしています。 丸谷さんは、吉田秀和さんに大きな影響を受けたと語っているのですが、たぶん吉田 さんについてのまとまった評論は書いていないと思います。(どこかにありましたら、 見落とし…