賞取りレースというと、まるで競馬の話のようでありますが、文学賞をとると
いうのもそれに近いものがあるのかもしれません。芥川賞とか直木賞というのは、
クラシックレースでいうとダービー競争のようなものでしょうか。
ジョッキーと馬と調教師(それにオーナー)が賞取りレースに参加するわけですが、
作家というのは実際に競い合うのですが、影で走らせているのは編集者と出版社で
しょうか。
阪田さんに賞を取らせたいと一番思ったのは、長年の友人である庄野潤三さんで
あったようです。
高橋一清さんは、庄野潤三さんの担当もしていたことがあって、昭和49年に文芸
雑誌の編集担当に復帰したあいさつに庄野さんのところを訪れたときに、庄野さん
から、次のようにいわれたとあります。
「阪田はお母さんを亡くして、いま大事な時を過ごしています。きっといい仕事を
すると思います。」
高橋さんは、庄野さんのこのことばを受けて、阪田さんに亡くなったお母様との
ことを作品にしてもらいたいと依頼したそうです。
そうしてできあがったのが「土の器」となります。高橋さんは、この小説の最初の
読者となるわけですが、「日本の近代文学に阪田さんは新しい領域をひらいたと
思った。これまでの作家では書けない、この作家であって初めて書き得る、そう
いうものこそ私が求めていたものであった。」と記しています。
引用した前段に、この作品がどのように新しい領域であるかという説明があるの
ですが、それはこの集英社文庫版にあたってご覧くださいです。
結局のところ、この作品は阪田さんにとっても、高橋さんにとっても記念すべき
一作となるわけです。( 庄野潤三さんの書いたもののなかに、芥川賞をとった
阪田さんのところに庄野さんの家族がお祝いの電話をかけるという、非常に心あた
たまるくだりがありました。拙ブログでもどこかで引用したような記憶もありで
すが。)