六枚のスケッチ 3

 松田道雄さんは、本野亨一さんについて「編集者たちは、彼の文章の硬質にたじろ
いだのでした。彼の文章が本として残らないのは私どもには残念です。」と記して
います。
 昨日に「文学の経験」で本野さんがとりあげている六人の文学者の名前を記しまし
たが、1974年という時代であれば、これでも本として刊行が可能であったのですね。
版元はPHP研究所で、これは意外なことです。
 「文章の硬質」というのは、どうとらえればいいでしょう。そのためには、本野
さんの文章を見てみるのが一番でありますね。
 著作の冒頭におかれている「はじめに」の、書き出しから引用です。
「 文学のことを書いたのですが、文学の意味や美しさやそのさまざまの役割を解説
するつもりはありませんでした。
 ひとにかんたんにはわかってもらいたくないものを心に秘めたりなどしているわけ
はないにしても、わかってもらう努力はいつも徒労におわっているようです。
 つまり、親しみぶかい態度で文学の門のかたわらにたたずみひとをさしまねく表情
とか、自然にあふれる炉辺談話的な滋味とか、あるいは、強烈な意志から生まれる
告発とかするどい訴求とか、それらをしりぞけるつもりはないのですが、さいしょか
らそれらに尻ごみしてしまって、結局自分の持ちものは何なのか、書くというが
いったい誰にあてて何を書くのかという自問自答に、おちいってしまう、これが徒労
におわるということの意味です。」
 文章は「です、ます」調で、難しい語彙を使わず、ひらがなを多用しているので
ありますが、これとは裏腹にすっと頭にはいってこないことです。「はじめに」の
はじめでありますからして、これはご自分の表現のスタイルについての説明のような
ものでありますが、本屋で手にしてまえがきを読んだ人が、買って読んで見ようと
いう気持ちにならないという不思議な文章であります。