六枚のスケッチ

 松田道雄さんの「幸運な医者」を手にして、四十年ほどまえに一般教養の外国語で
教えを受けた本野亨一さんの名前を眼にしました。
 本当にお恥ずかしい怠学生でありまして、出席しなくてはいけない外国語というの
は、どのようにして単位を取得したのかもはっきりしないというなかで、本野亨一さん
の名前を記憶にとどめていたのは、カフカの翻訳者であったことと、さきにふれた
ように授業中でのことばが印象に残ったからであります。
 ドイツ語の授業でありますから、二回生までのことでありますが、一回生の取得
単位はやっと二桁というもので、四年での卒業に黄色信号がともっていたころのこと
であります。早朝1講時の外国語なんて悲惨で、必修であるにもかかわらず単位取得
したのが数人というありさまで、70年のことでありますから、集団ボイコットでも
したのですかと指導教師から聞かれたことを思いだします。べつにそんな立派な話で
はなく、たんに朝早くに学校にくるのがつらくて怠けただけの話です。(これは
本野亨一さんの授業のことではありません。)
 このときの外国語の先生の名前を何人覚えているでしょう。ウィリアム・モリス
テキストをつかって教えてくれたきざな英語の教師は、なんという人であったので
しょう。この人のことは忘れていますが、ウィリアム・モリスという人を教えてくれた
ことには感謝です。
 西洋古典学が専門の女性教師が、英語を教えてくれましたが、ちょっとかわった
名前の先生でありまして、専門はラテン語だったのでしょうね。
こうした先生たちが、どこに所属していて、どうして当方のクラスを持つようになった
かは、ほとんど知らずであります。
 本野亨一さんは、NHKに勤務していたことは知られていましたが、松田道雄さんが
かなり重要なポストにいたと記しているのを見るまで、どのようなポストにいたのか
なんて考えたこともありませんでした。
 今回、本野さんの数少ない著書である「文学の経験 六枚のスケッチ」を購入いたし
ました。(あっというまに、アマゾンから届きました。便利すぎます。)
 この本の著者紹介には、「NHK放送文化研究所 放送学研究室長、大阪中央放送局
主査を経て、大学文学部教授」とあります。
 大阪中央放送局主査というのがどういうポストであるのかわかりませんが、その前職
である「放送学研究室長」というのは、えらそうであります。