古本屋のおやぢ 7

 昨日に上林暁さんの「よき話し相手」という文章を引用したときに、臼井正明さんに
言及しましたが、この方は筑摩書房版「増補 上林暁全集」月報8巻(昭和53年1月)に
「心の中の二人の先生」という文章を寄せています。
 このなかから、関口良雄さんに関連するところを引用いたします。
「 僕の家の近くに山王書房という古本屋さんがあります。この全集の第三巻の月報に
『上林先生訪問記』を書かれている関口さんがこのお店のご主人です。あるとき、何かの
切掛でふと上林文学の話になり、すっかり意気投合してからは急速に親しさを増し、
大の仲好しになりました。昨年の春です。ブラリとお店へ立ち寄りましたら『丁度いい。
これから上林先生をお訪ねするんだが、あなたも一緒にどうです』と誘ってくれるので
す。かねてから先生の御病状が気にかかっていた僕は、『ええぜひ』と口まで出かかった
ものの、先生も多分お忘れであろう僕如きがノコノコお邪魔をしては御迷惑ではないかと
躊躇っていますと、『大丈夫、僕にまかせなさい。僕は花を持っていきましょう。
あなたは先生のお好きな好味屋のケーキがいい。」
関口さんのその言葉に勇気を得て、不躾とは知りつつもお見舞いに上りました。
 その日、先生は大変ご気分がおよろしいようにお見うけしました。妹さんが『お兄さん
関口さんですよ』と耳許で告げられると、先生はニコニコと嬉しそうなお顔をなさり、
関口さんが『先生のファンの臼井さんを連れて来ましたよ』というと、しばらく僕の顔を
ご覧になっていらっしゃった先生が、突然顔中クシャクシャになさってお泣きになりま
した。グッと胸をつかれた僕も際疾く泣き出しそうでした。関口さんと二人で先生を
抱いて縁側の籐椅子へお連れすると、先生は好味屋のプリンをおいしそうに召し上がって
下さいます。脳溢血で倒れられた御身体で、『白い屋形船』のような名作をお書きに
なれる物凄い生命力。僕は何も言えなくなって、先生のお顔をただじっと凝視めて
いました。」
 この臼井さんの文章は、初回の全集月報に寄せたものです。ちなみに、臼井さんに
とってのもう一人の「心の中の先生」は「画家 曽宮一念」さんだそうです。
 この文中には、全集第三巻の月報に「上林先生訪問記を書かれている関口さん」とあり
ますが、全集月報の「訪問記」は、1965(昭和40)年10月29日という日付があります
ので、「昔日の客」に収録のものより二年ほどあとに書かれたものです。こちらの文章に
は、関口さんが、初めて上林さんを訪問したときのやりとりが、もうすこし書かれて
いました。
「私は廊下に差しこむ秋の日差しの中で、紅茶を頂き乍ら、先生の本が大分集まったの
で、そのうちに先生の文学書目を造り度いと思っておりますというと、ほう、それは
うれしいなあー、僕の本は少ないから集めるのに楽だろうといわれたので、私は一寸
ばかりムキになって、先生そんな事はありません。私は五年、十年とかかっても、
先生の本がまだ完全に集まらないといっている人たちを何人も知っておりますよと
いった。」
 臼井さんと同じ月報に、徳永康元さんが上林本の収集について書いていました。
「(旅行の)もう一つの楽しみは、旅行の旅に方々の町の古本屋をあさることだが、上林
ファンは地方にも多勢いるとみえ、東京で手に入らない上林さんの本は、どこの地方町の
古本屋をさがしても見つからない。私は上林本(初版本)コレクションは、あと二冊で
完全にそろうところまで漕ぎつけたが、このぶんでは残りの二冊(『花の精』と
『海山』)を手に入れるまでには、まだ何年もかかりそうだ。」
 徳永康元さんが上林本を集めているとは、知りませんでした。(これは徳永さんの
エッセイ集で再確認をしてみましょう。)
 この時点で、日本の古本屋で検索を行いましても、このどちらもヒットされずであり
ます。上林本のコレクションは、さらに難航をきわめているでしょうか。