死者を立たしめよ 4

 山田稔さんの新刊「マビヨン通りの店」から話題にしていますが、当方はフランス
ものには言及せずに、富士正晴さんつながりの死者についての文章に注目をすることに
します。
 この本の帯には次のようにあります。
「 ついに時めくことのなかった作家たち、・・・<死者をこの世に呼びもどす>
 文のわざ。」
 「ついに時めくことのなかった作家たち」でありますか。小説を書いている人は、
たくさんいるでしょうし、一度でも著名な文学賞にノミネートされた方は、これまた
たくさんいるのでしょうが、どれだけの人が「時めくことに」成功したでしょう。
芥川賞などを受けた人でも、そのときが一番時めいていて、それからさっぱりという
かたもいるのでしょう。
 万年候補であって、結局のところ芥川賞を受けることができなかったのだが、
その後の作品の評価によって大物となる作家さんもいるのでありますね。その作家に
とって受賞したのがいいのかどうかと思いますが、やっぱり欲しいのでありましょうね。
 山田稔さんが「前田純敬」(まえだすみのり)さんについては、次のように記して
います。
「『群像』の1949(昭和24)年十二月号に発表され、二十二回(昭和24年下半期)
芥川賞候補に挙げられたが、井上靖の『闘牛』と争って逃した。しかし熱心に『夏草』を
推す委員も何人かいたらしい。(たとえば岸田国士)。
その他の候補作は阿川弘之『あ号作戦前後』、真鍋呉夫『天命』、島尾敏雄「宿定め』、
その他。
 後で知ったことだが、福田恒存は『夏草』が発表された翌月の『改造文芸』文芸時評で、
将来を嘱望しうる新人は「夏草』の前田純敬のみと書いた。」
 前田さんにとっては結局人生で一番評価の高い作品でもって芥川賞を受けることができ
なかったのでありますが、井上靖さんの作品(井上さんにとってはベストのものではない
はずです。)に敗北して、その時にともに争った作家さんは、VIKINNGの同人仲間である
島尾敏雄であったり、阿川弘之であったわけですから、そうとうに厳しい戦いであった
ことがうかがえます。
 後年になって、山田さんは、前田純敬さんから「幸福のパスポート」をほめられて
お手紙をもらうことになるのですが、それからの贈り物攻勢とかお手紙をたくさんいた
だくのには、とまどってしまったとありました。
 山田さんが、富士正晴さんに前田純敬さんのことを、「どのような人」と問い合わせ
たら、富士さんからは「粘着性があって誤解されやすい人」と回答が戻ってきたとあり
ます。