古本屋のおやぢ 3

 関口良雄さんの「昔日の客」に触発されて筑摩書房からでた「上林暁全集」に寄り道を
しています。これまで「上林暁全集」は数回でているのですが、一番最初のものは、
1966(昭和41)年の全15巻ですが、関口さんは、この時すでに「上林暁文学書目」を
まとめているのですから、これが全集編集に役だったことは間違いありません。
( 上林暁全集の筑摩の担当編集者はどなたであったのでしょう。この全集には、とく
に編集顧問のようなお偉い方の名もありません。)
「 筑摩書房から、『上林暁全集』(全十五巻)が出版されることになったのは、
昭和四十一年のことである。
 初めは大体八冊くらいの予定であったが、集めて見ると意外に作品が多く、十冊に
なり、十二冊になり、最終的には十五冊になった。兄自身も驚き、編集部の方でも
驚いた。表紙の題字は、むかし毛筆で書いた、原稿や色紙から取った。
 個人全集はあまり売れない、ということをきいたことがあるし、まして、兄のように
地味な作家の全集を出すということは、筑摩書房にとっては、大きな冒険であったと
思う。
 古田晁社長は編集者と共に、年末にまだ糊も乾かない、帯も出来ていない全集の
見本と、大きな鯛を持って、お祝いに来てくださった。兄が涙して喜んだことは言う
までもない。」
 上に引用したのは、徳広睦子さんの「兄の左手」( 筑摩書房 1982年刊 )から
でありますが、ここにも編集者のお名前はありませんですね。
 これに続いてのところには、次のようにあります。
「 また、(古田社長は)編集者に言って、深大寺、平林寺、小金井公園などに、花見
や新緑を見につれていってくださった。兄は元気な時に冠っていたハンチングを
かぶり、ステッキを左てに、スリッパをつっかけて、自動車にかつぎこまれたもので
ある。」
 そういえば、関口さんが上林さんの自動車での遠足に同行して世話をしている写真
を見た記憶がありますが、あれは古田社長のまわした車であったのでしょうか。
 さらには次にのように続きます。
「 深大寺の帰りには井伏さんにあいたいというので、清水町のお家の門前まで行き、
涙の握手を交し、お土産に鱒二焼の湯飲みと蜜柑を頂いて帰ったこともある。
 全集の出版によって、兄は励まされ、生活もようやくに安定した。」
 脳出血で倒れた上林暁さんの創作活動を支えたのは、妹の徳広睦子さんでありまし
て、この方がなければ、当方は上林暁作品になじむことがなかったかもしれません。  
( 昨日に当方は筑摩書房の「上林暁全集」を筑摩の会社更生時期に縁あってディス
カウント販売で入手しましたと記しましたが、10月6日(本日更新ですね)の「朱雀の
洛中日記」で、中野章子さんが筑摩書房倒産時に筑摩の本が安くはいるがといわれたと
のことを書いています。こちらの話は半額ですが、当方はそこまでいってなかった
ように記憶しています。不思議なシンクロです。
 http://suzaku62.blog.eonet.jp/default/2010/10/post-9cdc.html  )