死者を立たしめよ

 編集工房ノアから山田稔さんの作品集「マビヨン通りの店」が刊行されました。
山田さんの新刊は08年7月の「富士さんとわたし」以来のことになります。
「富士さんとわたし」は、当方にとってはまったく未読のものでありましたが、
今回のものは、「海鳴り」と「CABIN」に掲載のものが中心となりますので、熱心な
方には、ほとんど読んでいるなんて人もいることでしょう。(当方「海鳴り」は
ノアさんに送っていただいてますので、これに掲載のものは既読です。)
 山田稔さんも、すでに八十歳でありますよ。当方が最初に読んだときは、四十歳に
なったかならなかったときでありますので、まだまだ若手でありました。
その時代の長老といったら、志賀直哉武者小路実篤、内田百鬼園といった面々で
ありまして、それについでが石川淳の世代で、それに続いて戦後派がどっといて、
本当に小説家の層が厚かったことです。
 その頃に河出書房の坂本一亀さんによって新鋭作家叢書という企画ものがでて
いるのですが、40年ほど前の新鋭というのは、そこにラインナップされているのが
代表選手です。(残念ながら山田稔さんは外れています。坂本派、または河出との
つながりが薄かったからでしょうか。)
 新鋭作家叢書18巻の18人のうち10人はすでに故人となっています。健在なのは、
黒井千次坂上弘佐木隆三高井有一古井由吉真継伸彦丸谷才一丸山健二
さんでありまして、亡くなったのは阿部昭、大庭みな子、小川国夫、小田実
金鶴泳、後藤明生田久保英夫辻邦生古山高麗雄李恢成という面々です。
一番最初に亡くなったのは、自死した金鶴泳さんで、すでに没後25年であります。
 当方にとってさえ、若い頃からなじんできた作家では鬼籍にはいった方のほうが
ずっと多いのであります。当方の昼間の生活では生きている人とのつきあいが中心で
ありますが、お休みの日とか、仕事を終えた夜などは亡くなった人とおつきあいを
していることのほうが多くなります。
 まして、山田稔さんのお年になると、亡くなった人とのつきあいのほうが生活の
大半を占めるかもしれません。
 山田稔さんの「富士さんとわたし」の「はじめに」には、次のようにあります。
「 富士正晴は竹内勝太郎、久坂葉子桂春団治、榊原紫峰その他の人々の生涯を
調べに調べ、その事績を書き残し、それによって『死者を立たすことにはげむ』ことを
おのれの文業の流儀とした。・・・
 じぶんがこの富士流を承け継ぐことはかなわぬまでも、せめてその影響はうけて
いるように感じる」

富士さんとわたし―手紙を読む

富士さんとわたし―手紙を読む