文化勲章のこと 3

 文化勲章の文学部門受賞者の顔ぶれを見ていて、このような人が受けていたのかと
いう思いは、近年のほうが強いかもしれません。文化勲章を受けるにふさわしい文学
者というのは、かっては日本芸術院の会員になっていて、それから文化功労者
なって、さらにそのなかから選出されるとなったようです。
 日本芸術院の会員というのは、それなりのステータスであるようですので、これに
なるためには、業界内部で認められることが必要でありましたでしょう。
昨日の受賞リストを見てまして、日本芸術院会員でなくて受賞した最初は、1960(昭和
35)年 吉川英治さんとわかりました。それまでの受賞者とあきらかに異質な経歴で
ありますから、吉川英治さんが受けるにいたるには、相当な働きかけと反対があった
ことでしょう。 
 1960年当時、吉川英治さんは国民的人気を誇る大衆作家といわれていましたが、
その時代に大衆小説の作家は、純文学の作家よりも相当に低く見られておりました。
しかも、満足な学歴もないといわれていましたので、よくも受賞できたものです。
吉川英治さんを推したのは講談社 野間省一さんではなかったかと思いますが、今と
なっては、まったく違和感がないはずです。( 吉川英治さんの人気は、ものすごい
ものでありました。代表作は「宮本武蔵」でしょうか、)
 この吉川英治さんの場合は、あくまでも例外でありまして、その後にそのような
受賞が続くことはありませんでした。
 このリストを見る限りにおいて、芸術院会員でなしに受賞しているのは、杉本苑子
瀬戸内寂聴田辺聖子という女性3人であるようですが、芸術院会員を選出する仕組みと
いうのは、どうも学歴と、性で差別をするもののようです。
 ここにない一番の大物というのは、誰でありましょう。天皇制に批判的であった
文学者は、ここにありませんので、それがずいぶんとこのリストを淋しいものとして
いるように思います。(たとえば、中野重治佐多稲子
 戦争で俘虜となったということにこだわった大岡昇平、欲しかったのかもしれま
せんが、ついにもらうことができなかった松本清張
 芥川賞が欲しくていろいろと運動をした太宰治が、自死することもなく作家活動を
続けていたら、やはり文化勲章が欲しくて運動をしたのでしょうか。