古本屋のおやぢ 13

 上林暁さんは、関口良雄さんの「昔日の客」の巻頭におかれた「正宗白鳥先生訪問記」
を「集中第一の力作であり、新鮮な筆致がをどってゐる。青年時代以来の白鳥の作品に
対する傾倒ぶり、狸ぢぢいを相手にするやりとりが、実に面白い。これは傑作である。」
と評しています。
「狸ぢぢいを相手に」ふところに飛び込むことができるのが、関口さんの持ち味であり
ますね。それでも最初に正宗白鳥さんのところへ訪問するときには、受け入れられるか
ためらったとあります。関口さんの「正宗先生訪問記」では、次のように書かれています。
「縁もゆかりもない古本屋風情が、用事もないのに訪問し、・・そのお嫌いな白鳥先生の
本をどっさり初版本だのなんぞと言って抱えこみ、得意顔前としている私」のことを
白鳥先生は、どう思うかということです。
 関口さんの文章には「古本屋風情」という文字が見えますが、関口さんは自嘲気味に
このように書いているのかもしれませんが、その昔には、おおまじめに「本屋風情」で
なにをいうのかという時代があったとききます。「本屋風情」という本があるくらいで
ありますからね、貴族社会の一員であった柳田国男が、出版社を興した岡茂雄さんに
発した言葉でありました。(岡さんの著書「本屋風情」にある逸話です。)
 学者または作家が一番偉くて、編集者はご用ききのようなもので(最後は岩波書店
社長となった大塚信一さんが、まだお若い頃に林達夫さんのところを訪問したら、でて
きた奥様が、「岩波の小僧さんがきましたよ」と先生に声をかけたと紹介したことが
あります。)、そうしたヒエラルヒーからいきますと、本屋の店員とか古本屋のおやぢ
というのは、まったく知的世界の人とは見られていなかったのでしょう。
 岩波書店をおこした岩波茂雄が帝大をでてから書籍の販売も行う出版社を始めたと
話題になりましたし、反町茂雄さんが帝大をでて古本屋の丁稚になったというのも、
話題になったと見たことがあります。どちらにとっても、戦前の日本では所属階級を
変えるくらいに受けとられたでしょう。
 岩波書店に小学校を卒業してから奉公にはいった小林勇は、たいへんな勉強家で
あってそれこそ「狸ぢぢい」たちに可愛がられて、編集者としてもすぐれた能力を
発揮したのですが、それでも岩波茂雄の娘と結婚する話になったとき、岩波は小林
との結婚に反対したといいます。なかなか難しい時代でありました。
 関口良雄さんが残している随筆には、威張り散らし、上から目線で近寄ってくる
学者さんや作家さんについての記載はありませんが、もちろん楽しい思い出ばかり
ではなかったでしょう。
 昔の書店員にとって、職場は文字通りで「私の大学」でありました。そこで仕事を
しているうちに、専門とする分野においては学者さんよりも文献に詳しい人も多数
でたようです。最近は、こういう分野にも大学をでた方がたくさん進出していますが、
昔の職人さんよりもよい仕事をされているのでしょうか。