死者を立たしめよ 5

 前田純敬さんのことを評して、富士さんは「粘着性があって誤解されやすい人」
山田稔さんに伝えたとあります。
「マビヨン通りの店」には、前田純敬さんについての文章が二つ掲載されています。
 ・ 前田純敬 声のお便り CABIN 9号 2007年3月
 ・ 後始末(原題「前田純敬、後始末」) CABIN 10号 2008年3月
 まずは、「声のお便り」からであります。山田稔さんの「コーマルタン界隈」を
読んだ前田純敬さんからお手紙をいただくことになるのですが、これにお返事を
書いたところ、折り返しで返事がきて、二、三日後には追いかけるようにさらに
また届いたとのことです。
 「世の中には電話魔というのがあるが、それとは別に手紙魔もいる。こちらは
そう迷惑はかけない。私なども魔ではないにせよ、まあ手紙族ではあるだろう。
しかし、見も知らぬものに宛てて、とくに用もないのに・・週に一度(補足を
加えれば二度)ながながと(ほとんど封書)したためるというのは、やはり尋常では
あるまい。最も多いときは、一日に封書が二通に葉書が一通、ときには速達で届いた
のである。」
 これに加えて、「贈り物の趣味」があったとあります。
「最初のうちは自分の好きな音楽(シャンソンなど)を録音したカセットテープ
だった。やがてフランス土産の高級ボールペンなど、高価なものがとどくように
なった。そもそも、モノを貰うのが好きではない私には迷惑千万、しかも合ったことの
ない人からだから気味がわるい。」
 その後に小さくふくらんだ封筒がとどいた。
「また音楽のカセットテープか、それくらいなら仕方ないと封を切ってみると、自分の
声を吹込んだテープなのである。ひんぱんな手紙に加えてさらに声のたよりとは、その
ときの私の気持ちをどうか想像していただきたい。聴いてみるどころが、直ぐに封筒に
もどすと、不潔なものであるかのように押し入れの奥に押し込んだ。そして完全に
無視することにきめた。」
 このテープは、この時から何年もたってから、前田さんが亡くなったという小さな
新聞記事を見てから、意を決して再生して聴くことになるのですが、このテープは、
山田稔さんの「文体の練習」についての感想であって、これを聴いているうちに
前田さんへの忌まわしい思いはいつのまにか消え失せていたとあります。
 それにしてもつとめを果たすというのはすさまじいものであります。
 前田純敬さんについては、「EN-TAXI」5号 (2004年春)に、坪内祐三さんが、
「『夏草』の作家」という追悼文を書いているのを見つけ、「彼の死について書く
若い評論家が一人でもいることに、わたしはかすかな慰めをおぼえた。」とありました。
 「夏草」は、鹿児島の小さな出版社から刊行されて、この文章の最後には、その版元
の連絡先が掲載されています。