死者を立たしめよ 3

 山田稔さんの新刊「マビヨン通りの店」は、前半にフランスに話題をとったもの
などがおかれていますが、当方の関心は、死者にむかっています。
 それで、山田さんが亡くなった人について書いたスケッチのような文章は、あち
こちにあるはずと、手近にあったエッセイ集を引っ張り出してきました。
山田稔さんの本は、翻訳をのぞけばほとんどあるはずですが、あちこちに分散して
いて、すぐにでてはきません。)
 本日でてきたのは、次のものです。
 「生の傾き」     90年8月 編集工房ノア
 「ああ、そうかね」  96年10月 京都新聞社
 「あ・ぷろぽ」    03年6月 平凡社
 「ああ、そうかね」は、京都新聞に連載したコラムが一冊となったものですが、
88年7月15日付けのタイトルは「死者が立ちあがる」であります。どうこういっても、
やはり富士さんをとりあげたものが一番多く目につくように思います。 
(「死者が立ちあがる」というのは、富士さんの文章のタイトルでもあります。
この文章は「軽みの死者」編集工房ノアに収録されています。)

 「ああ、そうかね」に収録の「死者が立ちあがる」からの引用です。
「陰々滅々をきらい、彼が評伝を書いた落語家桂春団治のような『陽気なスカタン』を
愛した。それでも晩年には、関心が死者にむかった。葬式へ出ることをこばみ、その
かわり故人の著作を読みかえす、あるいは思い出をたどりなおす態度をまもった。
死者への思いがつのると、その経歴をつぶさに調べる仕事にとりかかった。無名の旧友の
詩集を編んで自費で出版した。戦後まもなく京都で出た雑誌『世界文学』の編集人
柴野方彦の晩年が、こうしていくらか明らかになった。
 『死者を立たすことにはげもう』と彼は書いている。そのことばのむこうに、ひとり
こつこつと、忘れられた知友の墓碑銘をきざむ富士正晴の姿が見えてくる。
 その彼が、すでに死者の列に加わった。こんどは彼が立ってくる番だ。」

 山田稔さんが「富士さんとわたし」の前書きで、「じぶんがこの富士流を承け継ぐ
ことはかなわぬまでも、せめてその影響はうけているように感じる」と書いているのは、
上に引用した「ああ、そうかね」収録の文章を見ると、よりわかりやすくなるように
思いました。
 この文中にある「柴野方彦」についての文章は、富士さんのやはり「軽みの死者」に
あるものですが、このほとんど知るところのない人は、読後の苦い後味で記憶に残る
人です。
 山田稔さんの「富士さんとわたし」の前書きにある「せめてその影響をうけている
ように感じる」というのは、つきあってみて決して愉快なことばかりではない人に
ついて文章を残していくことのようであります。どうも肌合いがあわなくて、ついつい
避けたいという気分にさせられる人物に対して、墓碑銘をきざむことが、富士さんの
教えでしょうか。
 というふうなことを頭において、今回の「マビヨン通りの店」を見ていますと、
当方が、一番ともだちになれそうもない人物について記したものが、最も富士さんの
教えを具現化したものといえそうです。 
 つきあいが一番難しそうなのは誰かとなりますと、これはやはり「前田純敬」さん
ということになりますでしょう。