古本バザー 2

 昨日の古本バザーで購入した本をどのように整理しようかと頭を悩ませています。
置き場所のことも考えずに購入するからさと叱責の声が聞こえてきそうです。
このブログで話題にすれば、すこしでも落ち着きの場が見えてくるのではないかと
思っているのですが、どうでしょう。
 昨日の単行本のほうの写真ですが、右から順に吉田秀和さん、百目鬼恭三郎さん、
小島信夫さん、そして丸谷才一さんのものが並んでいます。
 そういえば、先月に丸谷才一さんの本を「あいさつ指南書」として取り上げたときに、
百目鬼さんの告別式でのものを紹介したことがありました。自宅のどこかに百目鬼さんの
本があるはずですが、すぐにはさがしだすことができずで、長谷川四郎さんについて書い
た新聞記事を見てがまんをしておりました。
 それからほぼ一ヶ月で、ネット古本屋に依存せずに百目鬼さんの本を入手することが
できました。これはなかなかラッキーなことであります。

解体新著

解体新著

 この「解体新著」は新刊を取り上げて書評するものでありますが、酷評されているの
が、ほとんどです。そのなかから、おもいっきり辛口の文章を引用してみようと思います
が、その前に、前回にも引用した丸谷さんの百目鬼さんの告別式の弔辞の一節を頭におい
ておきましょう。(「挨拶はたいへんだ」より。)
百目鬼恭三郎さんの毒舌は有名だった。そのなかにはわたしの目から見て不当なものも
あったし、あるいはすくなくとも、もっと詳しく説明すれば納得いくのになあと惜しまれ
るものもあった。しかしここで大事なのは、彼が他人に対してだけではなく、自分に対し
てもじつにきびしかったことである。」

 百目鬼さんが連載していたのは文藝春秋社の雑誌「諸君」であります。百目鬼さんは
朝日新聞よりも「諸君」のほうが似合っているかもしれません。
 ここで評しているのは、福井惇著「1970年の狂気」(文藝春秋社)であります。
「朝霞自衛官殺害事件、といってももう覚えていない人も多いかもしれない。昭和46年
8月21日の夜、埼玉県・朝霞にある陸上自衛隊駐屯地で、パトロール中の自衛官が、
赤衛軍と自称する過激派グループに襲われて殺された事件である。・・
 が、この事件は、次の二つの特異性によって、長く銘記されてしかるべきである。
その一は、新聞記者が犯行前から事件に深く関わっていたことであり、他の一つは、菊井
に犯行を命じたとされる滝田修こと京大経済学部助手竹本信弘が、十年余も逃走を続けた
ことである。」
 著者の福井さんは、この事件の当時に「サンケイ新聞浦和支局長」であって、この事件
を追っていて、それをベースに、この本を書いているのですが、この本の評での一番辛い
ところは、次のところです。
「 川本、中田(仮名)らの所属する朝日新聞出版局が、当時新左翼、過激派の武力闘争
をあおる『暴力路線」を突っ走っていた、という状況は一応説明されている。しかし、
それがどのような組織的なものであったのか。たとえば、当時の『朝日ジャーナル』には
『編集権というものがなかった』というが、では、誰が主体となって編集していたのか。
川本に頼まれて、犯行の唯一の証拠である自衛官の腕章を焼却した、『週刊朝日』の
上田武(仮名)はどの程度川本らと関わっていたのか。・・・
 この事件のもう一つの特異性である滝田の長期潜行については、著者は綿密な取材を
している。朝日関係に対してそれをやっていないのはなぜだろうか。少なくとも、川本に
対しては、本人に事の真相を問い質してほしかった。売り出し中の文芸評論家として、
いまなお言論人でいる彼には、それに答える義務はあるはずだ。」
 この評は、87年8月「諸君」掲載とあります。川本三郎が、「マイバックページ」に
まとめられる文章を「スイッチ」に連載していたのは86年2月から87年12月であって、
そこには、事件についてのことが書かれているのですが、たぶん、百目鬼さんは、これ
では不十分というのでしょう。
 それにしても、朝日新聞社の内部事情をある程度知ることができる百目鬼さんの評で
ありますが、この時には、すでに朝日新聞を退社していました。