古本屋のおやぢ 11

 上林暁さんは、1980(昭和50)年8月に亡くなります。この年は、1月に入院し、2月
末に退院して自宅に戻りますが、7月に再入院して、翌月に亡くなったとあります。
 この4月には、筑摩書房の会社更生で中断していた全集の刊行が二年ぶりで再開し、
それの完結を楽しみにしていたとありました。完結は12月でしたので、筑摩書房
ご家族も残念でたまらなかったでしょう。
 上林さんが生前に発表した文章のほとんど最後のものの一つに、「山帰来」という
「昴」80(昭和50)年一月号に載せたものがあります。
 この文章も関口良雄さんの思い出が綴られたものです。
「 二、三年前の暮に、故関口良雄君の未亡人が、見事な山帰来の枝を持って来てくれ
た。美しく紅色に熟した実が一ぱいついてゐた。『山帰来山帰来!』と声をはげまし
て持って来てくれた。・・・
 関口君は、大森で山王書房という古本屋をいとなんでゐた。ぼくはバスでその店の前
を通ったことがある。室生犀星夫人の告別式の日のことであった。たしかめることが
出来ないので、はっきりしたことは分からない。
 関口君は晩年酒をやめてゐた。他人から見れば、あんまり悪い酒だとは思はないが、
本人にすれば、将来の酒のこはさが感じられたのか、禁酒連盟に入ったりしてゐた。
関口くんはもち前で面白可笑しくしてゐる時でも、酒のこはさがひっそり忍ぶことが
あるとか、同情にたへなかった。すこし神経質過ぎるのではないかと思はれた。」
 関口さんが、声優の臼井正明さんと上林文学のことで、夜を徹して議論したという逸話
を紹介しましたが、上林さんの文章には、この議論は酒を飲みながらとありますので、
相当にお酒が好きな方であったのですね。関口さんが病を得たのも、こうした過度の飲酒
と因果があるのでしょうか。
「 最近、関口君にかかはる出版物が二つ出た。一つは『関口良雄さんを憶う』という
追悼パンフレットである。これには二十五人の寄稿家と二人の家人が書いてゐる。・・・
 この人たちの書いた文章を読めば、関口君がいかにあたたかい心を持って人に接した
か、関口君がいかに人に愛されてゐたかが、分かるだろう。・・・・
 パンフレットは、表紙を写真で飾ってゐる。池上本門寺のベンチに腰かけてゐる関口君
である。痩身長躯、関口君らしく写ってゐるので、声をかけたくなるやうである。
山高さんの撮影である。」
 「痩身長躯」の関口さんは、先日の上林さんのドライブの時の写真で見ることができます。