あいさつ指南書  9

 丸谷才一さんにとっての吉田秀和さんは、このあいさつの表題をつなげていきますと
「文章の師で、完全な批評家で、偉くてついている人」というふうになります。
 文章の師としての吉田さんについての丸谷さんの発言です。
「わたしの判断によれば、吉田さんは現代日本最高の名文家の一人であった、じつに
趣味のいい、すっきりした文章を書く。とりわけ、中身のある、程度の高いことを、
むずかしい言葉をつかわずにいいあらわす技術にかけては、吉田さん以上の人はいないん
じゃないか。彼は決して偉そうに構えない。わかりやすく、優しく書いて、しかも粋で
ある。品がよくて、しかも鋭い。
 わたしは、若いころから吉田さんの書いたものを目のつく限り読むようにして、その
言葉の使い方、文章の足取りを勉強してきました。」
 これは97年2月の文化功労者をお祝いする会のときのあいさつにありました。
 若いころからとありますが、これは「昭和二十何年かに『近代文学』にお書きになった
ショーペンハウエルのフルート』をその雑誌で読んで」とありますので、二十代の終わ
りくらいのことでしょうか。いまから60年ほど前のことになります。
 「完全な批評家」に関しては、やはり文化功労者のときのあいさつです。
「もしこの人がいなかったら、わたしたちの生活は音楽のほうがほうがうんと手薄に
なって、文明全体が非常に貧しい、ゆがんだものになっていたでしょう。吉田さんは
ヨーロッパの音楽を通して日本の文明を導いたのです。そして文明を指導することが批評
家の最高の仕事であることはいうまでもありません。」
 「偉くてついている人」に関しては、90年の喜寿の会のときの、次の発言です。
「吉田さんの見通しの正しさ、才能、情熱、持続的な努力が、日本の平和と繁栄という
条件と出会ったから可能なことですが、とにかく彼は、まことに幸福な星の下に生まれ
たらしく聴衆のいないところで聴衆をつくり、育て、西洋音楽とあまり関係のない文明を
西洋音楽としっかり結びつけた。」
 丸谷さんが吉田秀和さんについて行ったあいさつで、本日引用したものは、ともに
「挨拶はたいへんだ」にあるものです。吉田秀和さんが文化功労者となったときのもの
が、一番コンパクトに吉田さんの業績を伝えているように思います。その時点では、
10年後に文化勲章を受けるなんて思ってもいないので、全力を傾けてあいさつ文を作成
したに違いありません。