古本バザー 3

 先日の古本バザーでは、20冊を超える本を購入したのですから、一日一冊取り上げて
も、20数日は話題にできる勘定ですが、そういうわけにもいきません。
 ということで、本日も百目鬼恭三郎さんの「解体新著」からの話題です。
 山田桂子さんの「『待ちの』子育て」(農山漁村文化協会刊)という本についての書評
の冒頭部分です。
「マスコミがはやしたてる特異な教育に、いつも私は懐疑的でいる。無着成恭の山びこ学
校、斉藤喜博の島小の授業など、世に名をはせた特異教育は少なくないが、いったい
これらはどれだけ教育の実をあげ得たであろうか。教師の思うままに引き回された生徒
は、実は、実験の犠牲者ではなかったか、という疑いをぬぐいきれないのだ。
『待ちの子育て』は、乳幼児を自然の中で育てるという特異な保育を実践している、静岡
島田市私立たけのこ保育園の記録であり、先ごろ朝日新聞天声人語欄で取りあげ話題
になっている。が、私が読んだ限りでは、いくつもの疑問点があって、にわかに推奨しか
ねるように思われた。」
 これに続いては、たけのこ保育園での実践の具体についての疑問が展開されているの
ですが、主張は、この保育園の保育理念が問題で、ここの保育に一般性がないといって
批判をしています。この書評の末尾におかれているのは、次のような文章となります。
「バラバラに分かれて好きなように遊んでいる子供たちに目を配るだけでも、よほど保母
の頭数を必要とする。それに畑作りだの、給食を自然食でまかなうなどの負担がかかるの
だから、保母と親、後援者にある種の共同体意識がなければ、到底成立しない保育なので
ある。」
 この「待ちの子育て」という本を読んだわけではないのですが、冒頭で言及されている
無着成恭と斉藤喜博というのは、義務教育でありますから、この内容がとんでもないもの
というのであれば問題になりますが、島田市にある「たけのこ保育園」というのは、この
当時どうやら無認可のものであるようですから、ここに認可施設のようなステロタイプ
方針を求めることに意味があるとは思えません。むしろ「ある種の共同体意識」を共有す
る保護者だけが、ここに子供を託するとしか思えません。
 義務教育の小学校での著名な実践例で口火を切って、きわめてマイナーな無認可保育所
での取り組みの評価につなげているところに、百目鬼さんのわかってなさが、見え隠れ
するのかもしれません。
 結局のところ、朝日新聞の「天声人語」が取り上げるほどの話題かといいたいだけで、
朝日新聞への近親憎悪的な側面が浮き彫りになるようです。
 冒頭の無着成恭さん、斉藤喜博さんの実践に対する評価への疑いはどうなのでしょう。
無着さんの「山びこ学校」については、教え子の佐藤藤三郎さんが著作を残しています。
斉藤喜博さんについては、教え子によるものはあるのでしょうか。
原武史さんの「滝山コミューン1973」のような、できるだけ信頼のおける記録を読んで
みたいものです。