文化勲章のこと 6

 文化勲章というと11月3日「文化の日」に授賞式を行うというのは、はじめからの
ことのように思っていましたが、これは大戦後に始まったということが、昨日に引用した
小林勇さんの文章でわかりました。11月3日が「文化の日」となったのは、1948(昭和
23)年のことですから、授賞式がうつってきたのは、この後になるのでしょう。
 今は、ほとんど毎月のように祝祭日というのがあるのですが、戦前には祝日というの
はずいぶんと少なかったとききました。四方節紀元節天長節明治節の4つが代表的
なものでありまして、それぞれに歌われる歌が決まっていました。
四方節でしたら「年の初めのためしとて」ですし、紀元節は「雲にそびえる高千穂の」、
天長節でしたら「今日のよき日は大君の」です。
 戦後にはほとんど歌われることがありませんが、いまでも戦前に学校教育を受けていた
人たちは、ほとんどが口ずさむことができるようです。
 明治節は、11月3日明治天皇の誕生日を祝日としたものでありますが、これがそのまま
文化の日」に引き継がれたかたちです。(昭和天皇の誕生日が、一時期「みどりの日
となって、今は「昭和の日」となっているのと、似たような操作です。祝日の狭間に
あった5月4日というのは、「国民の祝日」という名無しの祝日でありましたが、この操
作で、「みどりの日」が、ここに移ってきました。)
それはさておきで、岩波茂雄さんの文化勲章受章に関してでありました。文化勲章が復
活したのは1946(昭和21)年のことですから、これは「占領下日本」での出来事です。
日本の実質の支配者は占領軍で、マッカーサーが大統領役でありました。
 岩波茂雄が受賞したのは、こうした時代を背景にしていますので、安倍能成文部大臣が
主管大臣であったいうのもたまたまのことでありまして、安倍大臣の誕生自体が占領軍の
計らいによるものでしょう。