小沢信男著作 232

 組織というのは、立ち上げの時には勢いがあって、苦労を苦労とも思わないもので
ありますが、これを維持するというのは大変でありますし、長期低落となって、組織
がなかば死に体となりますと、どんどんと人は離れるのでありました。
 だれかが何かをしなくては、実体はないけど組織は存続するという奇妙なことに
なります。その組織に資産があったり、借金があったりした場合、それを解散する
ためには、財務とか法務に通じた人がいなくては前に進みません。
それにいいだしっぺの存在です。
新日本文学会」の場合、解散のいいだしっぺ役は小沢信男さんがあたり、実務を
担当したのが田所泉さんであったとのことです。
小沢さんの「通り過ぎた人々」は、小沢さん流の「新日本文学」への追悼記であり
ますが、葬儀委員長が小沢さんであれば、田所さんは幹事長の役割でしょうか。
 田所泉さんの年譜をみてみますと、次のようにあります。
 2005年3月6日 新日本文学会六十年・解散記念講演会とパーティを、日本出版クラブ
       で催し、積年の肩の荷をおろす。
    11月  旧・新日本文学会の決済の一環として、アンソロジー新日本文学
       の六十年」と論集「佐多稲子と戦後日本」の二冊を七つ森書館より刊行。
       その刊行責任者になるとともに、前者に「会史六十年早わかり」という
       べきコラム十六本を書き下ろす。
 2006年3月19日 呼吸困難で緊急入院、癌の再発を知る。
    4月18日 脳内出血による死亡

 新日本文学会を解散するというのは、やはり大事業であったのですね。これが田所泉
さんの死を早めたという思いが、小沢さんには強くあると思われます。
 新日本文学を追悼する「通り過ぎた人々」の連載と「田所泉作品集」の編集が同時
進行の形で行われたのです。