旅の空から 4

 関西旅行の初日と最終日は大阪散策です。
 最近の旅行はフェルメール作品の国内公開にあわせて日程を組んでおりましたが、
今回はフェルメール作品が宮城へと移動しておりまして、見物することができずで
ありました。これはまたの機会であります。
 関西では、いくつかの美術展をやっていたのですが、これまた時間が足りずで、
足を伸ばすことができませんでした。そんななか、大阪の街なかにある藤田美術館
所蔵品の秋季展を行っていましたのでのぞいてきました。
 明治の実業家 藤田傳三郎とその息子たちが収集した美術品を公開するための美術
館でありますが、一年で二回春と秋の各三ヶ月のみ収集品を入れ替えて展示しています。
大阪の空襲にも焼け残った蔵を改修した展示室は、最近の美術館などでは味わうことの
できない雰囲気となっています。ちょうどいったときにはお客もすくなく、贅沢な時間
でありました。
 明治から戦前の昭和までは茶道というのが、事業家のたしなみであったというのが
よくわかるコレクションであります。お客を招いてお茶会を開くために、茶道具とか
掛け軸に大枚を投じるのですが、最近にあっても、こうしたお道具は高額を投ずる人は
いるのでしょうか。
 佐竹本の三十六歌仙を所持するのは、茶人としてステータスということを聞いたこと
がありますが、お道具自慢だけではいけないですね。
「かかる国の宝は一個人の私有物として秘蔵するにあらず、広く世に公開し、同好の友
とよろこびを分かち、またその道の研究の資料にせまほしく」というのが藤田家の願い
だそうです。
 藤田傳三郎は、鉄道、電力、新聞などの事業にかかわったとのことですが、藤田財閥
いわれていたのは知りませんでした。現在も企業グループとなっているものがいくつも
あるようです。
いまも藤田の名が冠されているものに藤田観光があって、藤田傳三郎の邸宅あとは、藤田
観光の太閤園となり、庭園は大阪市の藤田邸記念公園となっていて自由に散策ができる
ようになっています。 
 最近は制度がかわったせいもあって、このような実業家はでにくくなっているようで
す。自分が死んだら一緒にゴッホの絵も焼いてほしいといった経営者とか、ギャンブルで
100億以上もすってしまった三代目とか、なさけない話は多いのですが。