小沢信男著作 248

 小沢信男さんの「東京骨灰紀行」は、書き下ろしでありますが、これの目次は
次のとおりです。
 ・ ぶらり両国
 ・ 新聞旧聞日本橋
 ・ 千住、幻のちまた
 ・ つくづく築地
 ・ ぼちぼち谷中
 ・ たまには多磨へ
 ・ しみじみ新宿
 ・ 両国ご供養
 ・ あとがき

 「あとがき」から引用することにいたしましょう。
「 機縁は、筑摩書房の長嶋美穂子さんのお勧めによります。長嶋さんには旧著『あの人
と歩く東京』(一九九三年)の編集いっさいを手掛けていただき、ほかにもなにかとお世
話になり、文筆の仕事は、つくづく編集者との共同制作でありますなぁ。このたびも、全
行程をまず長嶋さんにご同道いただきました。発端は平成十三年(二〇〇一)でしたか
ら、まるまる八年かけて八章を書いた。この間に新日本文学会の解散があったり、結核
再発、入院したり、諸事にかまけて二年三年は棚にあげたまま。する東京の街々はコロッ
と変貌するもので、また見なおさねばならず、どのコースもくりかえし歩いた。」
 そういえば、新日本文学会の解散をしたあとに、小沢さんは若い時に罹患した結核を再
発して入院をしたのでした。この解散に伴う疲れが、古い病気を眠りからおこしたの
でしょう。
 それはさて、この本は長嶋さんとあります。「あの人と歩く東京」のときには松田哲夫
さんの名前があがっていましたが、この本は長嶋さんのみであります。
「ほかにもなにかとお世話になり」とあるのですが、このほかにもなにかとというのは、
たとえばなにでしょう。
 この長嶋さんについては、「SURE」からでた「小沢さん、あなたはどうやって」で、
次のように紹介されています。
「(東京骨灰紀行を)一通り片付けるまでは、担当の長嶋さんも浪曲師に化けるのに忙し
かったのかな?」
 あれれ、これはどういうことと思っていましたら、これとは別なページに、さらに、
つぎのようにありました。
「『悲願千人斬の女』をね、筑摩書房の長嶋美穂子さんが、浪花節にしてやっているん
ですよ。玉川奈々福って名前で、浪花節の三人娘というのがいるんだ。玉川奈々福が一の
お姉さんで、上智をでているのね。もう一人関西の人で、東大をでている。それで、もう
一人も学士様、これが浪花節を歌える。」
 なんと、長嶋さんは浪曲家でもありましたか。東大をでた女浪曲師といえば、一時期
TVでも話題になった人でありました。不思議なところで、ふしぎなつながりをするもの
です。玉川奈々福さんの「悲願千人斬の女」というのは、どのようなものなのでしょう。