小沢信男著作 236

 小沢信男さんの「通り過ぎた人々」の表紙カバーには、小沢さんの句が描かれていま
す。
  引鶴やいま殿の陣の上 
 雑誌「みすず」で連載時に読んで、単行本となった時に読み返して、今回、また思い
つくまま読んでいるのですが、この句の意味合いは、昨日の引用した田所泉さんについ
ての以下のところを記してみて、すこしわかってきたかなと思えてきました。
 引鶴というのは、辞書によると「春に北へ帰っていく鶴」となります。
 殿は、しんがりですから一番最後ということでしょう。
 陣の上は、陣地の上ということと同じでしょうね。
 「春になって、北へむかってゆく鶴の隊列の最後尾が、いま陣地の上を飛んでいる」
ということでしょうか。
 さて、この鶴はとなると、これは「細面の田所泉」さんのことでしょう。
田所さんは、4月に亡くなっていますので、春に北へということになります。
 陣というのは、小沢さんが「通り過ぎた人々」で、この句の前においた文章からし
すと「三国志」関連のようにも思えます。
花田清輝『随筆三国志』をむこうにまわして、あらたな『三国志』を書くことが田所泉
の年来の懸案。・・・彼が書くべかりし『三国志』をおもえば、あまたの英雄豪傑に立ち
まじって細面の田所泉がいるような気がする。沈着、一をもってこれを貫いた男。」
 しかし、この句は、「通り過ぎた人々」の表紙と本文の最後を飾っているわけですか
ら、田所泉さんの「三国志」だけでなく、「新日本文学会」も視野にいれていると考えて
よろしいでしょう。
 「三国志」とは「新日本文学通史のことだ」と読んでみますと、これは田所さんと
新日本文学会の追悼句にもなっているように思えます。
 小沢さんの「通り過ぎた人々」には、「会の正史ならば田所泉に聞け、まかせて安心し
ていた。すくなくとも私はそうだ。こっちはだから狭い見聞を、きままな外伝に記録でき
たら上々さ。・・・・・田所泉は『新日本文学<史>のための覚書」を連載した。これを
下絵図に六十年の通史を共同作業でまとめる構想が彼にあったはずだ。いまや覚書だけが
遺された。」とあります。
新日本文学会」には、「文学全集の背表紙がずらっとならんだ」時代があって、こんな
文学運動は、これまでもこれからもあるだろうかであります。その新日本文学会の歴史を
書きのこすことは、小沢さん、田所さんたちの役割という思いがありましたでしょう。
小沢さんは、田所さんがいるので安心と思っているうちに、覚書をのこしただけで、先に
亡くなってしまった。
 これによって小沢さんが期待した田所さんの「新日本文学会通史」は書かれずに終わ
り、新日本文学会は、つわものどもの夢のあとにはならぬかであります。