小沢信男著作 245

 雑誌の「新日本文学」を、何十年かにわたって定期購読をしていたはずです。
新日本文学会の会員以外で、こんなに長く定期購読をしていた人はいるだろうかなと
思うほどであります。どうして定期購読をしていたかというと、これは近所の本屋
には注文をしなくては入荷しないからでありまして、小沢信男さんの書いたものを
チェックしようと思いましたら、近所の本屋で定期購読するしかなかったからで
ありますね。何十年と記していますが、たぶん、二十数年のことでしょう。
 そのころには、小沢信男さんの書いたものが、あまり載らなくなりまして、ほとん
どなかをのぞくこともなくなっていました。めったに雑誌であっても処分をしないの
でありますが、「新日本文学」は、思いきって処分をしてしまいましたので、今は
手元にいくらも残っていないはずです。( 長谷川四郎さんに関するものや、小沢
さんが寄稿しているのは保存です。)
 手元にあった「新日本文学小沢信男編集長時代の一冊(1976年4月号)の表紙を
以下に掲げます。

 小沢さんが編集長となったのは、1975年5月の大会のあととありますので、編集長
となって一年ほど経過したころのものですが、この編集後記に、小沢さんは次のよう
に記しています。
新日本文学会員の方々の多方面の活動を、総体として会活動の発展として捉える。
と言うと、却って迷惑とおっしゃる向きもあるかもしれぬが、本来そう捉えるのが
会員としての権利、または編集担当者の役割と信じる。そこでその気で見回すと
正直手が回りきらぬ盛況なのです。
 毎号の『会員の著書』欄をみるだけでも、その紹介、批評は極めて不足だし、
かつ著述活動に限らぬし、まして会員だけと律儀にセクトぶらず、同憂の士の活動
にも注目し、加えて文学学校運動があり・・と数えあげれば、もうはや、なんだなあ。
 けれども思案にくれるひまに、隗より始めることにする。近来の文学諸活動から、
管見を承知で私が刮目したものの紹介に、重点をおいてみた。結果として短編評論と
短編小説の特集の形になりました。」