小沢信男著作 231

 小沢信男さんの「通り過ぎた人々」は、雑誌「みすず」連載中から話題になっていた
と思います。
朝日新聞」の読書欄にありました「亀和田武のマガジンウオッチ」の2006年3月19日
付には、「忘れえぬ人々の肖像くっきりと」という見出しで、小沢さんが「内田栄一」
さんをとりあげた号を話題としています。
 亀和田さんは、逢うこともなかった内田栄一さんから、たった一度文庫の解説のことで
ほめられたこと(「鈴木いずみ」の「恋のサイケデリック」に亀和田さんが寄せた解説)
があって、いつかお礼をと思っていたら、お礼の機会もないままに、内田さんは94年に
亡くなったと記しています。
 それに続いて、次のようにあります。
「『進みつづけて戻りのなかった人』という一節を読み返す。小沢信男さんの鋭く、
しかしぬくもりのある筆致から、一度も会うことのなかった、過剰でどこか哀切な人の
肖像が浮かびあがってきた。」
 ちょうど連載して一年たったところでの取り上げでありました。
 単行本にまとまってからも書評などで取り上げられることがあったはずですが、現在、
当方の手元にあるのは、「北海道新聞 2007年5月13日 読書欄」での取り上げられた
ものです。
 評者は、鎌田慧さんです。見出しには、「新日本文学会の群像追慕」とあります。
鎌田慧さんは、1979年から新日本文学の編集長をつとめた経歴がありますので、文学運
動にも深くかかわっていた方です。
 この書評から鎌田さんが「新日本文学会」について言及しているところからを引用
です。
「実はわたしも『新日本文学会』の文学運動の驥尾に付していたので、そこで活動して
いたそれぞれに面識がないわけではない。それでも『よくおぼえていますね、小沢さん』
と感嘆するほどに、書かれている人物が躍如としている。ついこの間まで、おかねや名声
に惑わされることなく、世のためひとのために尽くそう、という若者は珍しくなかった。
『現代の社会にたいして、文学や芸術はなにができるか』を考えていたのが、新日本
文学会の会員たちだった。・・・
『あぁ、おもしろかったなぁ』というのが、著者の五十年にわたる文学運動の総括で
ある。輝いていた時代の輝いていたひとたち、その個性的な群像が、この運動の異色の
中心だった著者の可笑しくも哀しい呪文のような名調子に引きよせられ、あの世から
よみがえって姿をみせる。」
 取り上げられているのは、昨日に記したように井上光晴にはじまり、田所泉に終わる
十八人です。
 なぜ、田所泉が最後におかれるのかです。
 鎌田さんの書評の末尾も、この方についてです。
「巻末に置かれているのが、一年前に亡くなった田所泉である。彼は十九歳のとき
(1952年)、ふたりの死者と八百人の負傷者をだした『血のメーデー事件」(騒乱罪
の被告であって、おれがおれがとはいわない、『埋没の精神」の殉教者のような人物
だった。
 読後、ホロリとさせられた。」
 「通り過ぎた人々」に取り上げられた18人のうち、はてなキーワード登録がない
のは、古賀孝之さんと田所泉さんのお二人だけです。古賀さんはともかく、田所さんは
あってもと思いますが、これは目立たないようにしたことの結果でしょうか。
拙ブログでは、過去にすこし言及したことがありました。
http://d.hatena.ne.jp/vzf12576/20070531
田所泉さんで検索をかけますと、吉川勇一さんによる追悼文がありました。
http://www.jca.apc.org/~yyoffice/147TadokoroIumiSeikyo.htm