古田晁記念館資料集 3

 昨日は古田晁宛の書簡で多く収録されている方のお名前を列記しましたが、一通だけ
の方にも太田靜子さんとか、津島美知子のものもありまして、どちらも太宰治全集刊行
の時のものとなるだけ太宰ファンには、興味津々であるのかもしれません。
 一方で、古田晁さんが発信している書簡で、多く収録されているのは親族を除きます
と、なんといっても唐木順三さんの9通、佐藤正彰さん5通、中島敦さん5通、中村光夫
さん5通、松下裕さん3通というところです。
ここに深瀬基寛さん宛の書簡がないのは残念でありますが、これは深瀬さんのところか
らでてこなくて収録されなかったのでしょう。( 深瀬さんから古田さん宛の書簡は、
とんでもなくおもしろいもので、これに対してどのようなお返事をしているのかと
たいへん興味ありです。)
 中島敦さんへの書簡は、現在神奈川近代文学館所蔵となるものだそうですが、昭和
17年のもので、「光と風と夢」の刊行に関しての書簡となります。この時の中島敦さん
は世田ヶ谷区にお住まいとあります。
 中島敦さんといえば、パラオ南洋庁でありまして、ここ数日パラオのことを良く眼に
するのですが、パラオといえば中島敦さんでありましょう。
 ちなみに中島敦さんの年譜をみてみますと、次のようにありです。
 1941(昭和16)年7月 パラオ着任
 1942(昭和17)年2月 「文学界」二月号に「山月記」「文字禍」が掲載される。
         3月 帰京し、辞表を提出する。
         7月 「光と風と夢」(筑摩書房)刊行。
       12月4日  死去。  
 中島敦さんの「光と風と夢」は、「文学界」五月号に掲載されたときに、中村光夫さん
がこれを筑摩からだそうということで、5月5日に古田さんが中島さんに面会して出版を
決め、その直後に中央公論社が中島さんに申し入れをしたとありました。
 中島敦全集も筑摩書房からでておりました。これの資料巻をいまは見ておりませんが、
中島敦さんのパラオから息子たちに送ったものは、次の本で見ることができます。