無邪気なことで

 本日は岩波「図書」と新潮「波」10月号が届きました。どちらも新刊案内を見て、

目次をながめることになりです。

 今月号で目についたのは、両方に登場する藤原辰史さん、「波」に池内さんの

追悼文を掲載の川本さん、そして「図書」に中島敦土方久功について書いている

小谷さんのものなどです。

 小谷さんは中島敦と南洋についての本を書いている歴史家で、未読でですが、

最近の著作に以下のものがあります。 

中島敦の朝鮮と南洋: 二つの植民地体験 (シリーズ日本の中の世界史)
 

  「図書」の文章では、この著作でとりあげたポナペ島での「ジョカーチ叛乱」につい

ての土方久功中島敦の反応について記しています。

 この叛乱は、1910年当時のパラオの支配者ドイツ人に対する蜂起で、鎮圧に動いた

ドイツ人四人が殺害されたあと、叛乱の首謀者は銃殺になり、参加者は流刑になった

のだそうですが、それから30年後にこの地に住むことになった土方や中島は、この叛乱

のことを意識していたのかどうかということになります。

 この文章のなかに、小谷さんは中島敦の妻あて書簡(ジョカーチ訪問について)を引

用していますが、そのなかに次のくだりありです。

「今日、お彼岸で、学校の見学もできないので、 ジョカージという島民部落を見に行った。

・・・部落へはいっていってから、土人の家に寄ったら、ご馳走してくれた。始めてパンの

実を食べた。」

 そのむかし、大日本帝国の統治下である南洋においては、現地の人を土人と言って

いたのですね。それは南洋に限らず、北海道においても、アイヌの人々を土人といって

いて、つい最近まで旧土人についての法律というのが、日本にはあったのでした。

 さすがに土人土人といって何が悪いというようなことをおおっぴらにいう人は、

表面的には姿を消しているようですが、その内面ではかって支配下にあったり、人を見下

したときには土人と言ったりするようです。

 そのように言葉が使われる背景を考えずに、「『土人』という言葉は、今では差別語と

いうことになっている。しかしそんな悪い言葉だろうか、と私は思う。『土人』とはそもそも

その土地で生まれの人という意味で、必ずしも悪い意味ばかりではない。」ということを

書く無邪気な昭和6年生まれの女性作家がいます。(このくだりがあったのは、本日に

届いた「波」10月号です。)たぶん、この人は自分では土人という言葉を、差別とか人を

見下していったりしたことはないので、この言葉を差別語というのは、いかがなものかと

思っているのでしょうが、それこそ沖縄の公設市場のこんぶ屋の若主人ではありません

が、とにかく歴史を学ばなくてはです。

 土人と言って差別したのは(そしてしているのは)、あなたのお仲間ではないのか。