本日手にした本 4

 高田宏さんの「編集者放浪記」に登場する深瀬基寛さんについての記述からです。
 筑摩書房の創業者である古田晁さんの書簡集を手にした時、そこに収録されている
深瀬さんの書簡があまりに面白いので、話題としたことがありました。その人となり
も破格でありまして、昔ふう(旧制高校)の大学教師という印象を受けました。
 深瀬さんはすぐれた英文学者でありまして、専門分野では高い評価をうけているの
ですが、それらの著作は、当方には豚に真珠でありまして、より雑文を選んでは読ん
でいるようです。
 高田宏さんは、入社試験の「尊敬する人物」という設問に深瀬基寛とあげるのです
が、他学科の学生であった高田さんにも多くの影響を与えたとことがわかります。
 大学での深瀬さんについて、高田さんは、次のように記しています。
( ちなみに高田さんが先生という呼び方をするのは、次の場合に限ってだそうです。
「私は幼稚園、小学校、中学校、高校の先生だけを『先生』と呼んでいる。」)
「深瀬さんは英文の教授だが教養部に属しておられたので、二回生(二年生)のときに
教わったことがある。うっかり教室の前のほうに坐るとあてられて、訳してみたまえと
言われる。学生が訳しおわると深瀬教授はニヤリとして、まあ間違ってはいないが、
私ならこう訳す、といって学生の訳とは見ちがえるえるような訳文を示される。その
あまりの違いかたに、学生は冷や汗をかいてしまう。私はそれがこわいので、なるべ
くうしろの席で小さくなっていたのだが、それでも二、三度あてられて、膝ががくがく
したものだった。だが、これが深瀬さんの魅力だった。学生が逆立ちしてもかなわない
と思う教授はそんなにいるものではない。私は酒ばかり飲んで授業はたいていさぼって
いたが、深瀬さんの授業には欠かさず出た。それどころか、あとでは深瀬さんの大学院
英文科の講義に仏文の学部学生の私が、もぐりで出席していた。深瀬さんが黙認して
くださったのだ。・・その深瀬さんが就職に困っている私に、筑摩書房社長の古田晁
あての紹介状を持たせてくださった。」
 この紹介状を持って筑摩へといって、古田氏に面会をするのですが、この時は筑摩に
余裕がなく、1年待てば採用するという回答を得たのですが、高田さんのほうが待つこと
ができずに筑摩への入社はなくなりました。
 それにしても仏文学生が、英文科大学院の講義に教授黙認でて、その上紹介状まで
書いて貰うというのですから、よほど面識があったということになります。
 深瀬さんと高田さんをつなぐもの、それは酒であります。高田さんは深瀬さんのことを
「飲み仲間」といっています。