月曜はパン作り

 月曜はパン作りの日であります。週に一回のパン作りはほぼほぼ月曜であり

まして、それにあわせて仕込みの作業をすることになりです。

 先週のうちにぶどうを使って酵母液を作ることになりで、これには最低5日間

かかります。この液に強力粉をまぜて酵母種を作るのに一晩で、パンをこねるま

でにけっこう時間がかかります。その昔によく耳にしたロシアの歌で「一週間」と

いうのがありましたが、それにならえば、これが一週間の仕事ですということに

なりです。

 本日の酵母液はぶどう200gに水300CCと砂糖すこしで、発酵器で5日間

同量の強力粉をまぜて種をつくり、粉に混ぜ込んで2斤の山型を二本に、

カンパーニュを2個を焼き上げることにです。

(今回のぶどうは国産のスチューベンですから、えらい高い材料のパンということ

になります。)

左からラムレーズン、普通の山型、カンパーニュ

 明日の朝は、このパンを食べることになります。

 本日はパン作業の合間(なんといっても一次発酵の時間が長いですからね)に

レーニングへといって、そのあと食材の買い出しにもいくことです。それでも時間が

あるので本を読んでいましたといいたいところですが、本を手にしていたらウトウトと

してしまうことです。

 このところ手にしているのは、佐藤正午さんの新作と図書館から借りている「ムラブ

リ」という本であります(他にもありますが)。

 「ムラブリ」は、友人が最近これをワクワクしながら読んでいますとメールをくれ

て、それはどういう本なのかなと問い合わせをしたものです。

ちょうどこの本が図書館に入っていたので、借り出して読んでみることにです。

 この本の「はじめに」に次のようにあります。

「ムラブリは、タイやラオスの山岳地帯に住む少数民族だ。この地域にはほかにも

たくさんの少数民族がいて、ほとんどは山間の傾斜地で焼畑農耕をしている。・・

 現在はタイ側で定住化が進んでいるものの、森と深く関わりながら生きるムラブ

リ。彼らはわずか500名前後の集団だと考えられており、彼らの話すブラブリ語は

消滅の危機に瀕する『危機言語』に指定されている。他の多くの危機言語と同様

ムラブリ語はおそらく今世紀中に消えてしまうだろう。

 ぼくはそんなムラブリ語を大学生のころからいまに至るまで、約15年にわたって

研究してきた、世界で唯一のムラブリ語研究者だ。ムラブリ語には文字がないので、

調査は彼らの住む場所に赴いておこなう。」

 それこそ、そんなものを研究して何になるのさと思わず言ってしまいそうですが、

金になる研究というのは、だれでもやるから、誰もやらないものはそれだけ貴重な

のでありますね。

そういう風に動いていくか

 新潮社「波」3月号が届いておりました。表紙は、なんとガルシア・マルケス

ありまして、これはいよいよ「百年の孤独」の文庫本が発売になるのかと、巻末の

3月文庫リストを見たのですが、いまだでありました。

 マルケスの小説「出会いはいつも八月」の宣伝をかねてのことでありました。

3月にこの作品がでるということは、文庫化されるのはいつのことになるのでしょう。

いまだ自宅内で「百年の孤独」を発掘することができずにいる当方は、近々にでる

のであれば、再読するのは文庫が発売になってからと思っているのでありますが、

さて、どう考えればよろしいのでしょう。

 この文庫は多くの売上が期待されているのでしょうから、それが新潮社社員の

ボーナスのいくらかにでも貢献するとしたら、5月か6月ということになるのかな。

(その昔、全盛期の松任谷由実さんが11月にアルバムを発売して、それが東芝

EMI社員のボーナスの原資になっていたという話がありましたです。)

 これはこれで、今月の「波」の筒井康隆さんの文中に、次のくだりがありです。

「二十四日に・・佐藤正午『冬に子供が生まれる』が送られてきたが、風太郎受賞作

だった『鳩の撃退法』を知っているので畏れて手を出せない。これが候補になれば

谷崎賞の選考委員、辞任せざるを得まいね。」

 このところは、どのように読めばよろしいのでしょう。

 当方は筒井さんについて詳しくないので、すこし検索をかけてみることにです。

 筒井さんは今年9月で90歳になるのとのことですが、もちろん現役の作家さんで

あって、引用部分にあるように山田風太郎賞谷崎潤一郎賞の選考委員をしている

とのことです。

 「鳩の撃退法」の山田風太郎賞の時には、この作品を一押ししたとあります。それ

から芥川賞を受けた「月の満ち欠け」があって、今回の「冬に子供が生まれる」となり

ます。 

 前回の選考から十年が経過して、「鳩の撃退法」を読み込んだ時の大変さを思い

起こしたのでありましょうか。細部まで計算されて、けっこう読むのに時間がかかる

佐藤正午作品を自分の楽しみのためではなくて、選考委員として読むのは体力的に

しんどいので、委員としての務めを果たせないので、辞任ということでありましょうか。

 今回の佐藤正午さんの新作が、そのようにつながっていくなんて、当方はまるで

思ってもいなかったので、勉強になりましたです。

 谷崎潤一郎賞は、中央公論社がやっているのですが、中央公論社から刊行の

小説があまり受賞していないという立派な見識のものでありまして、特に当方が

若かった頃の受賞作には歴史に残る長編小説があって、印象深いのであります

ね。

vzf12576.hatenablog.com

本日の新聞書評欄に

 本日は土曜日でありますので、朝起きましたら届いている新聞を取りにいって

布団のなかで読書欄をチェックであります。最近はあまり当方の興味を惹く本の

取り上げはないのでありますが、本日は、久方ぶりに当方が購入して、しかも読ん

でいる本の書評が掲載されているではないですか。

 この本の書評を目にしたのは初めてのことでありまして、書評のスペースは通

常よりも広く取られています。ちょっと特別感があることで。

書評されているのは藤田香織さん、相当に力がはいっていることです。この小説の

書評をするのは、けっこう難しいはずであります。

 藤田香織さんの書評から、ごく一部を引用です。

「実に七年ぶりの新作長編小説である。・・待ち望まれた新しい物語は、奇妙かつ

曖昧で、不穏な気配が満ちているにもかかわらず、読後には切実な救いが胸の

奥に残る、まごうかたなき傑作だった。・・・

 佐藤正午の小説は、紹介するにあたり、あらすじを説きたくない、と思わせるもの

が多いのだが、本書もまた然り。」

 書評の書き出しと、それと真ん中あたりのところを抜き出してみました。

 当方は先月にこの本を一読して、なかなか難解な小説であるとの感想をもちま

して、そのことを書き残しているのでありますが、もちろん、これは当方の読み方が

浅いからでありまして、そこで記している点に注意して再読しなくてはといいながら、

これがいまだにできておりませんでした。

vzf12576.hatenablog.com この書評も参考にして、読んでいかなくては。本日は冒頭からすこし読んでいた

のですが、そうだよな、ここのところで、このように書かれているのは、そういうこと

なんだよなと、スルーしていた伏線を回収することにです。

 先月に「冬に子供が生まれる」を終わりまで、さーっと読んだあとに、文庫ででた

「書くインタビュー6」に目を通しておりましたら、次のように書かれておりました。

「読者が佐藤正午の小説を読んで、それを書いた僕の意図とはまったく異なる

解釈をするなんて考えられません。だって僕は小説に余白が要るのか懐疑派と

してずっと小説を書いてきたからです。なぜ? なぜならばの説明をデビュー作

以来、どの小説においてもおろそかにした憶えはないからです。

 余白をひとつも残さないようにして小説を書いてきたわけですから、そもそも

読者に余白の解釈など求めていないわけですから、求められてもいないことを

敢えてやるそんな奇特な読者がどこにいるでしょうか。」

 上に引用したのは、2022年6月に書かれたものでありまして、ちょうどこの時に

は「冬に子供が生まれる」の執筆をしているのですから、佐藤正午さんの楽屋裏

を見せてくれたことにもなります。

 すべて小説のなかに書き込まれているので、それを読み込んでくれれば、難解

なんてことはないよと言われているようでもあります。

 何度か読めば、その意味がわかるのでありましょう。

 

 

本日の持参本は

 本日は年に一度の健康診断でありました。採血してから、エコー、心電図と     

あって、最後の胃のバリウム検査まで二時間半くらいかかるものです。

病院で診察を受けるのであれば、じっと待つ間は本を読んでいることができ

るのですが、検診は頻繁に呼ばれて、その都度本を読むのは中断することに

なります。

 こういう待ち時間に読むに適した文庫本は何がいいだろうかと、最近手に

している三冊の文庫本のなかから選ぶことにです。

 その三冊とは佐藤正午さんの「読むインタビュー」、ホレス・マッコイのもの

と、堀江敏幸さんの「もののはずみ」であります。

このようにならべてみると、短くて読みやすいものについての堀江さんの

エッセー集がいちばん向いていると思われました。

 ということで、安価で購入した(この本は、お気に入りですので、安価で

見つけるとついついダブリを承知で購入してしまいます。)角川文庫版の

「もののはずみ」に革製のブックカバーをかけてもっていくことにです。

(リンクを貼ろうと思ってみましたら、最近は小学館文庫からでているのです

ね。)

 堀江さんがフランスで暮らしていたときに出会った「もの」についての短編

小説のような味わいのある文章が、収められています。「もの」といっても

フランスで人気のブランドものは一つもなく、あっても故障しているかして、ほぼ

ラクタと呼ばれるものです。こんなもの買ってどうするのと言われるものに

手が伸びるというのが、堀江さんであるようです。

 フランスの蚤の市で、まるでホームレスのおじさんのような雰囲気の店主の

販売しているものについて、このように書かれています。

「ところがそのおじさんのスタンドには、『物心』が満ちあふれていいた。けっして

きれいではないけれど、隣合って置かれている『もの』たちのバランスが絶妙な

のだ。思わず引き込まれて見入っていると、黄ばんで紙の剥がれかけた二十世紀

初頭の地球儀の横から、それにぴったりの薄汚いダックスフントが首をかしげて

こちらを見ていた。するとおじさんは、ちらりと私に目をやって、犬か、地球儀か、と

訊いてきた。

 犬です、と応えると、彼はなにも言わずにたちあがり、奥の箱からべつの犬を

出してきて、そっと横にならべた。

 空気が一変した。彼らはまるで、幼稚園の頃からの友だちみたいにたたずんで

いた。」

 堀江さんの短編小説の趣で、当方はこのような堀江さんが好きでありますよ。

 

 

ちょっと意外な感じ

 朝の新聞記事を見て、すこし驚くことにです。ちょっと意外というか、

早いんでないのというかであります。

 その記事は文化庁が発表した芸術選奨の受賞者に関するものでありま

した。芸術選奨というと、中堅どころからベテランに入りつつある人が受ける

ものという思い込みが当方にはありました。

 当方の馴染み深いジャンルでは大衆芸能部門というのがありまして、過去

には山下達郎さん、竹内まりやさん、数年前には宮本浩次さんが受けていま

したです。宮本さんは50代前半でありまして、それでも若いなという印象を

受けました。

 これは文部科学大臣賞というのを受けた人の話で、このほかに新人賞とい

うのも用意されていて、こちらは30代くらいが主流となります。

 今年の文部科学大臣賞を受けられたのは、片岡愛之助とか岩井俊二なん

て人がいて、まあそうだろうなと思ったのですが、文学のところを見てびっくり

したのですね。

 小説家・柴崎友香「続きと始まり」に続いて、小説家・乗代雄介「それは誠」と

あるではないですか。小説部門の受賞者は平均よりもお二人ともお若いのです

が、それにしても乗代さんの37歳はぶっちぎりで若くて、なにかの間違いでは

ないか、新人賞ではないのかと思ってしまいました。

 豊崎由美さんがお一人で選考する鮭児文学賞でしたら、不思議でもない

ですが、こちらは複数の識者による選考ですから、そのなかによほど強くおされ

た方がいたのかな。松家仁之さんの名前があったけども。

 この受賞で、芥川賞の選考委員がへそを曲げたりしなければいいがと、老爺

心ながらですが、心配することに。

 それはともかく、選評に目を通してから、もう一度読んでみることにいたしましょう

かな。図書館本は予約でいっぱいなんですよね。 

 

「ちくま」で公営ギャンブル入門

 先日に届きました「ちくま」3月号をみていましたら、藤木TDCというライター

が「公営ギャンブル」を話題にした文章で手がとまりました。

 この文章のタイトルは「ドラマチックなレース、興奮と感動。大人の娯楽は

たった百円から」となります。

 この文章の書き出しは、幻の作家能島廉さんの「競輪必勝法」の引用から

始まりますが、引用に続いて、次のようにあります。

「上記は1964年に35歳で没した小説家・野島廉の代表作『競輪必勝法』の

一節だ。『競輪必勝法』は書評家の北上次郎もギャンブル小説の傑作のひと

つに挙げている。しかし現在、親本『駒込蓬莱町』1965年は入手難で読むこ

とは少々難しい。ただ学藝書林『全集・現代文学の発見・別巻』に収録されて

いるほか、休刊した文芸誌『en-taxii』31号(2001年ママ)が文庫型の別冊付

録として再録したものがある。」(注 「en-taxii」31号は2010年刊行です。)

 久しぶりに能島廉さんの名前を見たことであります。

 当方は佐藤正午さんが競輪ファンということから、競輪小説に興味を覚えた

でのすが、ちょうどその頃に「en-taxii」31号の別冊付録で「競輪必勝法」を読む

ことになりました。

 能島さんは、旧制高知高校出身で、そこで一緒であった三浦朱門阪田寛夫

さんとともに東京帝大に進み、ともに「第15次 新思潮」同人として活動をする

のですが、まあけっこうとんでもない人で、卒後は小学館で編集者となるのです

が、11年ほど勤めて退職し、かっての同人たちをハラハラとさせたのですね。

 それもこれも酒とギャンブルのせいであったのかなと、阪田寛夫さんが書き

遺した能島さんの年譜を見て思うことです。

 能島さんの作品がいくつかまとめて読むことができる別冊付録は、坪内さん

が残してくれた贈り物でありまして、ほんとありがたいものです。

ダメ人間ということでも、能島さんは西村賢太さんにも大絶賛されていまして、

この作家さんを埋もれたままにしておくのは、もったいないことです。

 今回の藤木TDCさんの本が良く売れたなら、ちくま文庫で能島廉さんの本が

でるなんてことにはならないかなです。

 藤木さんは、自分の本を紹介する枕として「競輪必勝法」を引用していたので

すが、当方は、能島さんの話題だけで終わってしまいました。

能島廉「競輪必勝法」en-taxi 別冊付録  ちくま3月号

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羊皮紙は紙か

 図書館から借りている「羊皮紙のすべて」を手にすることにです。

 羊皮紙に記された写本なんて、当方にはまったく縁がないことであります

が、古写本でなければ、この時代であっても作ることは可能なのであります

ね。ただし羊皮紙はA4サイズ一枚で三千円ほどもするとのことですから、

十枚も買いましたら、それなりの値段になることです。

 羊皮紙の写本なんて、これからも縁はなさそうであります。それにしても羊

皮紙は紙なのでしょうかね。

 著者の八木さんは「紙とは原料と製法は違うが、最終形態と機能は同じ。

羊皮紙を『紙』と呼ぶかどうかは、原料は製法も含めて考えるか、最終的な

形態や機能のみで判断するかで異なる。」と書いていまして、広義の解釈では

「紙の一種であると考えられないだろうか」と言っています。

 てっきり羊皮紙という日本語は、外国語の翻訳であるのだろうと思ってい

ましたら、英語はシンプルに「parchment」でありますので、ここには紙という

ニュアンスはないようでして、どうして日本語で紙という文字がはいるのかは、

わかっていないようであります。

 著者は羊皮紙工房をやっていて、そのホームページはとっても参考になる

ことです。

youhishi.com 当方は書物関係で皮というと、装丁のことをすぐに思い浮かべてしまうの

ですが、皮装の本についても、すこし言及があるのですが、やはりこの皮に

ついてのことがすこしありましたです。

「最後に詳述はしないが、人間の皮でつくられた『人皮紙』も存在する。

書籍の本文用紙ではなく非常に稀ながらも本の装丁などに用いられた

ケースがあるのだ。

 犯罪者を処刑しあた後にその皮膚を使った本、また逆に、尊敬されている

聖職者が亡くなった後にその業績をまとめた書籍を遺体の皮膚で装丁し、

聖遺物とした例もある。」

 本好きとしては、ちょっと怖いけれども「人皮装丁本」を見てみたいもの

です。このような本については、その昔の平凡社「太陽」ムック本でとりあげ

ていたのを目にした記憶がありましたです。