本日の新聞書評欄に

 本日は土曜日でありますので、朝起きましたら届いている新聞を取りにいって

布団のなかで読書欄をチェックであります。最近はあまり当方の興味を惹く本の

取り上げはないのでありますが、本日は、久方ぶりに当方が購入して、しかも読ん

でいる本の書評が掲載されているではないですか。

 この本の書評を目にしたのは初めてのことでありまして、書評のスペースは通

常よりも広く取られています。ちょっと特別感があることで。

書評されているのは藤田香織さん、相当に力がはいっていることです。この小説の

書評をするのは、けっこう難しいはずであります。

 藤田香織さんの書評から、ごく一部を引用です。

「実に七年ぶりの新作長編小説である。・・待ち望まれた新しい物語は、奇妙かつ

曖昧で、不穏な気配が満ちているにもかかわらず、読後には切実な救いが胸の

奥に残る、まごうかたなき傑作だった。・・・

 佐藤正午の小説は、紹介するにあたり、あらすじを説きたくない、と思わせるもの

が多いのだが、本書もまた然り。」

 書評の書き出しと、それと真ん中あたりのところを抜き出してみました。

 当方は先月にこの本を一読して、なかなか難解な小説であるとの感想をもちま

して、そのことを書き残しているのでありますが、もちろん、これは当方の読み方が

浅いからでありまして、そこで記している点に注意して再読しなくてはといいながら、

これがいまだにできておりませんでした。

vzf12576.hatenablog.com この書評も参考にして、読んでいかなくては。本日は冒頭からすこし読んでいた

のですが、そうだよな、ここのところで、このように書かれているのは、そういうこと

なんだよなと、スルーしていた伏線を回収することにです。

 先月に「冬に子供が生まれる」を終わりまで、さーっと読んだあとに、文庫ででた

「書くインタビュー6」に目を通しておりましたら、次のように書かれておりました。

「読者が佐藤正午の小説を読んで、それを書いた僕の意図とはまったく異なる

解釈をするなんて考えられません。だって僕は小説に余白が要るのか懐疑派と

してずっと小説を書いてきたからです。なぜ? なぜならばの説明をデビュー作

以来、どの小説においてもおろそかにした憶えはないからです。

 余白をひとつも残さないようにして小説を書いてきたわけですから、そもそも

読者に余白の解釈など求めていないわけですから、求められてもいないことを

敢えてやるそんな奇特な読者がどこにいるでしょうか。」

 上に引用したのは、2022年6月に書かれたものでありまして、ちょうどこの時に

は「冬に子供が生まれる」の執筆をしているのですから、佐藤正午さんの楽屋裏

を見せてくれたことにもなります。

 すべて小説のなかに書き込まれているので、それを読み込んでくれれば、難解

なんてことはないよと言われているようでもあります。

 何度か読めば、その意味がわかるのでありましょう。