先日に編集工房ノアさんから山田稔さんの新刊「もういいか」を送った時、
それに挟み込まれていた新刊案内に「阪田寛夫 賛美歌で育った作家」と
いうタイトルの本がありました。
新刊で「阪田寛夫」さんについての本が出たとは珍しいことです。これは
注文しなくてはと、早速に編集工房ノアに注文のはがきを送りましたら、早速に
本日にゆうメールで届きました。ありがたし。
阪田寛夫さんが亡くなって何年になるのだろうかと思って、検索をかけてみまし
たら、(1925年10月18日 - 2005年3月22日)とありまして、お誕生日はつい数日
前であったことがわかりました。健在であれば99歳になるのか。亡くなってから、
そろそろ20年でありますので、当方がブログを始めたのは、阪田さんが亡くなっ
てからでありました。
この場で一番最初に阪田さんを話題にしたのは、次のものであったようです。
vzf12576.hatenablog.com 当方は熱心な読者というよりも、熱心に著作を買い集めている人という
感じで、そこそこ手元には著作がたまっています。ほっておくと、読まずに
積読で終わってしまうので、そうした状態に喝をいれる、今回のような本は
大歓迎であるのです。
届いた本日は、著者河崎良二さんによる「序」と「あとがき」を読んでみ
ることにです。
この本が出来るに至った経緯は「あとがき」にありました。
「阪田は偶然の出会いを殊の外喜ぶ作家でしたが、私自身が阪田寛夫研
究を始めたのも偶然の産物でした。阪田の長女で作家の内藤啓子さんが、
阪田の母校帝塚山学院に約2万点の蔵書、原稿、日記、書簡等を寄贈され
たのは、私が帝塚山大学を退職する一年前のことでした。阪田資料と同時
に、庄野潤三の蔵書や書簡が長女の今村夏子さんから寄贈されました。
それを機に、短期大学・大学で教えた作家と詩人、小野十三郎、長沖一、
庄野英二、石濱恒夫、杉山平一や、帝塚山に所縁の作家藤沢恒夫、
伊東静雄などを研究する帝塚山派文学学会を設立することがきまりました。
学会の目標はアカデミックな研究の枠を超えて、大阪の人々に上質な
帝塚山文学の面白さを届けることとされました。ところが代表を引き受ける
人がいなかったのです。窮して、英文学を研究している私に話がまわって
きました。」
ということで、英文学の教授は、退職後に「帝塚山派文学」をテーマに
するようになるのですね。そうして選んだのが阪田寛夫さんとなります。
「深い所で阪田が生涯を通して問い続けた日本人キリスト教徒の生き方
が、日本人の精神的・霊的な支えは何かという、私自身が長く考えてきた
問とつながっていたからです。」
このようにありました。ちなみに河崎良二さんはキリスト教徒ではないと
のことです。
「この本を機に阪田寛夫の著作が少しでも多くの人に読まれることを
願っています」とありますが、まったく同感です。