阪田寛夫「歌につながる」

 阪田寛夫さんの作品のキーワードは、家族、キリスト教、音楽、
友情ということになるのでしょうか。ほとんどの作品は、この要素が
盛り込まれているといってよいでしょう。
 それは阪田さんが育った環境によるものです。両親は、熱心なキ
リスト教徒で、かつ音楽好きで、何十年も、木曜日の夜は自宅で教会の
聖歌隊の練習が開催されたとあります。叔父は作曲家の大中寅二で、
その息子が「サッチャン」の作曲家 大中恩となります。
 かよった小学校は帝塚山学院で、ここは庄野潤三の父親が創設した
学校でした。(庄野さんももちろん、この学校)庄野さんは、その後
勤務した朝日放送の上司にもなりますし、阪田さんの次女
なつめさん(大浦みずきさん)という名前は、庄野潤三さんの作品
「サボンの花」の主人公からいただいたとあります。
 「戦友ー歌につながる十の短編」のあとがきには、
「はじめの十年間の作品から選んだ五篇が『土の器』という短篇集に
なったのは、昭和50年だったが、こんどはそれ以後十年間のものから
選んだ。
 『土の器』は一族の顔合わせのような本になったが、今回は歌に
つながるものにしようというのが、ねらいであった。その気で選んで
みると、音楽につながらない作品のほうが少ないので驚いた。」
 昭和61年の川端康成賞を受けた「海道東征」という作品は、阪田さんの
代表作の一つです。(小生は、阪田さんのものでは、一番好きな作品の
ひとつでありましたが、今回の短篇集に収められて、それが広く知られる
ことになったことをうれしく思います。)
 作曲家 信時潔さんの交声曲「海道東征」という作品は、昭和15年に
紀元2600年を記念して作曲されたものです。オーケストラと合唱と
歌のソリストがそろってはじめて演奏できるという曲ですから、国家
イベントでもなければ、上演もあたわずでしょう。大阪であった公演を
聞きにいって感激して、そのあとでは「プログラムの歌詞を見ながら
歌えるほどだった。・・・間もなく日本人の曲としては破天荒の
8枚一組総譜付きで十何円かのSPレコードがでる運びとなった。
私は、両親に訴えて、薄紫地に雲型の文様の入った神々しい表紙の
アルバムを手に入れた。」とあります。  
 放送会社にいた阪田さんは、昭和36年10月くらいに、正月の特別
番組として、「海道東征」を再演する企画をだしたのです。どういう
わけか、この企画がとおって、正月に、この作品を上演することになった
のですが、準備期間が短いなかで、予算の制約も厳しいなか、この公演を
成功させるのは、ちょっとしたプロジェクトXです。
 活動した時代背景のせいもあって、信時潔さんの作品は国家との結び
つきが大きく、そのためにマイナスのレッテルをはられているのでした。
初演から20年後、やっと国家の後ろ盾なしに「海道東征」を耳に
することができるようになったのでした。
 阪田さんはシャイな人でありますから、川端賞をうけた作品を書名に
することもなく、「戦友」という本のタイトルでは、なんとなく誤解を
うけそうであります。
 そういえば、今回の講談社文芸文庫のタイトルは「うるわしきあさも」と
なっていますが、これも「戦友」のなかの一篇でありました。