今年のことなど 3

 今年に購入した本で、一番高価なものは、次のものです。

阪田寛夫全詩集

阪田寛夫全詩集

 阪田寛夫さんは、ひいきでありますので、年に数回は言及してきたと思われますが、
前回はいつに話題としたかと思いましたら、昨年の12月2日に「能島廉」さんの時に
阪田さん作成の年譜から引用でありました。
 この引用の翌日、2010年12月3日というのが、この全詩集のポイントであります。
阪田さんが亡くなられたのは2005年3月22日でありますので、それから6年たって全詩
集の刊行ですが、この間にあった大きな二つの出来事のことを考えますと、この
1000頁を超える本が世に出たのは奇跡のように思われます。
 一つは、版元であった理論社が2010年10月6日に民事再生の申し立てを行ったことで
あり、もう一つは、全詩集の編者をつとめた「伊藤英治」さんが2010年12月3日に肝臓
癌のために死去したことであります。
 編集作業は順調に推移していたと思われますので、理論社が経営破綻さえしなけれ
ば、編者 伊藤英治さんは、この全詩集を生前に手にすることができたでありましょう。
 理論社民事再生後についてのことには、いろいろとあるようですが、この全詩集が
世に送り出されたのは、伊藤さんの執念に応えたものでしょう。
 伊藤英治さんは、児童文学の編集者として、数多くの仕事を行っています。
この全詩集の編者紹介には、代表的な仕事として理論社からの「まど・みちお全詩集」
乙骨淑子の本」「椋鳩十の本」などがあがっています。
阪田寛夫全詩集」を手にした印象は、同じ版元からでた「まど・みちお全詩集」の
ものに近いのですが、それもそのはずでありました。
 阪田さんの全詩集には、伊藤英治さんによる解説と年譜がついていて、これも大変貴重
であります。
「この『阪田寛夫全詩集』の出版企画がおきたのは、1994年春のことではなかったかと
思います。その頃、理論社で当時進行中の出版物に関する会合の後で会長であった山村
光司さん、編集長の日比野茂樹さんから、『まど先生の次にその作品を残す(次代に
伝える)必要のある詩人は誰か」と問われ、ぼくはそれは阪田寛夫工藤直子であると
答えました。それが『阪田寛夫全詩集』出版の始まりです。」
 伊藤さんの編集作業は、この時から始まったわけです。