本も読めるはず

 本日に予定通り退院して自宅に戻りました。

 入院期間中は何もすることがないので本が読めたことだなと思ったのですが、

それもそのはず眠くなることがなかったのですね。

今回の治療薬の副作用に不眠というのがありまして、点滴治療が佳境に入るに

従って眠りは浅くなり、そのうちほとんど眠ることができなくなりました。

ここ二日くらいは、ラジオ深夜便を心のともに夜を過ごすことです。

 自宅にいての読書の敵は睡魔でありましたが、病院でよく本が読めるなと思っ

たら、眠くならないのですから本も読めるはずです。

これから、この治療薬の影響を減じていくことになりますが、あと一週間くらい

は影響がでそうであります。

 昨日も記しましたが、今回の読書は、プルースト四方田犬彦でありまして、

四方田さんの文章を、久しぶりに堪能し、感銘を受けました。

 今回の「いまだ人生を語らず」でこういうところが好きだなと思ったところを

引用です。

  「音楽について」という文章にあった、次のくだり。

「現在、音楽は二つに分断されている。演奏する音楽と消費される音楽だ。

 わたしが子供たちのピアノの発表会が好きなのは、そこに演奏する音楽が

実在しえいるからに他ならない。そこでは、すでに演奏された音楽の記録を

購入し、それを聴くという消費行為とはまったく別のことがなされている。」

 四方田さんは、子供と記していますが、多くの人にとっては自分の子ども

に限られるかもしれませんが、コンクールのためではなく発表会のために

練習を重ねて、それを披露するのを聴くのは、ヴィルトゥオーゾたちの演奏

よりも身体のなかに入ってきたりです。

 もう一つは、「信仰について」の次のくだりでありました。 

「どなたか、お経をご存知の方はいませんかあ。老女はなおも繰り返した。

わたしが手を挙げた。人前でお経を唱えるという自信などなかったが、彼女の

懸命な表情に突き動かされ、つい碑の前に出て両手を合わせてしまった。・・

 わたしは僧侶ではない。ところどころに記憶の脱落があって、間違って唱え

ているかもしれない。だが、そんなことはどうでもいいような気がした。今、

わたしの眼のまえには、ここで非業の死を遂げたかっての仲間たちの供養を

しようとしている、真剣な人たちがいる。死者たちのためいは誰かがキチンと

経を唱え、その冥福を祈らなければいけない。ニセ坊主であったもいいじゃ

ないか。うろ覚えのお経でもいいではないか。わたしはそう覚悟して碑の前に

でたのである。」

 戦時中にかっての満州の炭鉱で亡くなって人の足跡を訪ねた時のことです。

老女たちは、満州映画協会で働いていた方たち、四方田さんはその同行者と

いう位置づけです。

 そうか、こういう局面で経をあげるということもありなのか、その時のために、

門前の小僧ではないが、当方も「正信偈」くらい唱えられるように練習をしよう

かしらんと思ったことで。

 当方の祖母が亡くなったときに、まだ学校に行っていなかった息子が、葬儀に

参列して「正信偈」にはまり、しばし壁に向かって冒頭のところを唱えていたのを

思いだすのでありました。