こんなのがあったか

 図書館へといって返却期限を数日過ぎていた本を戻して、また借りること

になりです。まったく読めていないもの、なんとか最後のページまでたどり

ついたものの、まるでわかっていないものなどであります。

 そのときに新着資料のところを見ていたら、あらまこんな本がでていたの

かと思うものがありで、背表紙には小説「夏の速度」と印字されています。

このひとは、こんな小説を書いていたろうかと、手にしてみました。

夏の速度

夏の速度

 

  四方田さんんは、以前とくらべると出版のペースは落ちているかもしれま

せんが、それでも当方の読むペースをはるかに超える執筆スピードでありまし

て、いったい年間どのくらいの量を書いているのかと思うことです。

一般的にたくさん書いている人は、古書購入のための資金つくりであったり、

家庭の事情であったりするのですが、四方田さんはどうなのでしょう。

(四方田さんの師匠であった由良君美さんなどは洋書屋さんなどに、もうれつ

な借りがあったと聞いたことがありです。)

 そんなことはどうでもよろしで、四方田さんの読んだことのない小説で、韓

国時代のことを話題にしているようですから、これは借りて読まなくてはです。

 本日は、まずこれのあとがきから読むことになりです。

「1979年3月、わたしは大韓民国ソウル特別市城東区にある建国大学校師範大

学に客員教授として招かれ、日本語教師として一年間をこの異国の首都で過ご

した。これは日本風にいい直すならば、建国大学教育学部ということになる。」

 上に続いては、「79年は韓国は大きな歴史の転換点に立った年」とあります。

40年ほど前のことになるのですが、この時代は軍事政権が韓国を支配していま

して、それよりちょっと前の1975年には「学園浸透スパイ団事件」というのが

あって軍事政権は、何をするかわからないという感じを受けたものです、

 そんな軍事政権の韓国に、なにを物好きにというのが、四方田さんがかって

韓国へと行っていたと知った当方の印象です。

 その時のことを小説にしていたのだそうですが、ほとんど40年の時を経て、

これが日の目を見ることになりです。この40年で韓国は大きく変わっています

が、四方田さんの若書きの小説は、その時代の韓国と人たちをどのように描い

ていますでしょう。

 この小説は、当時河出書房「文藝」編集部 高木有さんを紹介され、高木さん

の求めで短いエッセイを「文藝」に掲載したあと、小説を書きませんかと言われ

て、書き始めたものだそうです。

最初のエッセイは「ソウルの迷宮で」というタイトルで「文藝」80年3月号に掲

載され、今では次の単行本に収録されています。

われらが「他者」なる韓国 (平凡社ライブラリー)

われらが「他者」なる韓国 (平凡社ライブラリー)