四方田さんの若書きの小説「夏の速度」を読みながら、すぐ近くには
1987年に刊行となった「われらが<他者>なる韓国」を置いて、すぐに
なかを見られるようにしておりました。
「われらが<他者>なる韓国」は、最後には平凡社ライブラリーに入っ
たようですが、当方もっているのは、最初の刊本となる「パルコ出版」の
ものです。
この本の冒頭におかれた「狂女」という文章が、韓国から戻った四方田
さんが「文藝」よりの求めで寄稿したものとなりです。そして、この
エピソードは、その後に書かれた小説「夏の速度」にも取り入れられるこ
とになりです。
ということで四方田さんの「われらが<他者>なる韓国」のページを
ぱらぱらとめくっていましたら、梶山季之さんの小説が韓国で映画化され
たとあって、この文章の追記に次のようにありました。
「梶山季之についての筆者の関心は、時を経るにつれますます大きくなり
つつある。朝鮮総督府の下級役人とハワイ移民の間に生を受け、被爆直後
の広島で青春をすごし、韓国や台湾の文学者を日本に招待しながら、香港
で客死するという梶山の奇跡は、こう書き出して見るだけでも大きなアジ
ア的拡がりをもち、どこまでも日本を境界線のうえに立って眺めようと
する意思に貫かれたものであるように思えてくる。・・
わたしはいつの日か本格的な梶山季之論を執筆したいと考えている。
戦後日本の風俗をセックスと経済という<普遍性>の審級から分析した
ふたりの文学者、梶山季之と川上宗薫が、いずれも敗戦直後の広島、長崎
に住まい、その風景を眼のあたりにすることで文学的出発をとげたこと
は、誰かがきちんと論じておかなければいけないことのように思える。」
ここに記されている四方田さんの梶山論はできあがったのでしょうか。