お盆休みであったか

 お盆のど真ん中で、本日は近所のスーパーへと買い物に行きましたが、これま

での家族がたくさん集まってお盆を過ごすことを期待したお店は、けっこう力を

いれて商品をならべていたようですが、そのわりにそうしたお客さんは見かけ

ないことです。

 それこそ盆と正月でありまして、コロナ前でありましたら、この時期は一見し

て帰省の人とわかるような雰囲気のお客さんが買い物に同行して賑わっていたの

にです。

 当方のところもいつも通りの日曜日という感じで、過ごすことになりました。

午後になってから、そうだ髪の毛(少ない髪ではありますが)がうるさくなって

きたので、床屋へでも行こうかと思いたちました。

 8月15日に床屋であるかと思いながら歩いて床屋へむかっているときに、その

昔に安田武さん、鶴見俊輔さん、山田宗睦さんがこの日に頭をまるめて坊主になる

という会を作っていたのを思いだしました。鶴見さんは、いまでも話題になること

がありますが、安田武さんとか山田宗睦さんは、ほとんど忘れ去られた存在であり

ましょうか。

 当方もそれでは8月15日に坊主になりましょうと思ったわけではないのですが、

床屋が見えるところまできましたら、くるくるサインがまわっていないではないで

すか。そうでありました、こちらの床屋はお盆でお休みでありました。

 8月15日ということを意識したわけではないのですが、ずっと前からほとんど

読むことができなかった坪内祐三さんの「靖国」を手にすることとなりました。

 これの元版が刊行となったのは、「靖国神社の国家護持」が話題となっていた

1999年でありまして、当方は坪内さんのシブイ本などは買っていたのですが、こ

の「靖国」には偏見を持っていたこともあって、文庫になるまで手にすることも

なしでした。

 「靖国」というのは、その場所にかかわることを書いたものでありまして、

「みんなで靖国神社へ参拝しましょう」ということを訴える本ではありません

です。(あたりまえですね。坪内さんはみんなで一緒になんてのを好まない人で

ありますから。)

 本日が読み始めでありますので、まだ100ページほどですが、明治期の靖国神社

はそのあとで、どのように位置づけられていくのかというところに興味がありで

す。

 本日のところで坪内さんが記していて印象に残ったところの引用です。

「ここで(靖国神社)記念されている出来事は皆、当時にあってはつい昨日の出来

事である。近代的な出来事である。それが毎年四回、巡る四季と共に、記念され

続けて行くことによって、一つの歴史性を帶びて行く。そしていつの間にか、その

起源があいまいになり、神話的世界と結び付く。伝統的と思われている物の多くが、

実は近代になって新たに人工的に創り出された物であると語ったのはイギリスの

歴史家エリック・ホブズボウムであるが・・」

 ここでの記念といっているのは、靖国で四回ある大祭とその起源のことですが、

もちろん靖国神社の8月15日は大祭でもなんでもなくて、この日を意味ある日とし

ようとしているのは、それこそ最近の話であります。

 坊主の会はメンバーの高齢化により姿を消して、8月15日に公式参拝は若い閣僚

たちがこぞって行くようであります。