先日に今年の一冊目として購入した坪内祐三さんの「玉電松原物語」を手にして
ページをめくっております。
タイトルにありますように、この本はかって存在した玉川電車の玉電松原駅から
赤堤にかけての地誌となります。このように記したのを目にして、あああのあたり
ねというのはよほどの世田谷通でありまして、ほとんどの人は、このあたりになじ
みがないのではないかな。
まるで名所のようなところがないので、この地を訪れるのは坪内さんのファン
くらいしかいないのかもしれません。当方はといえば、今から30数年前に東京
に住んでいたときに、子どもの東急駅のスタンプラリーに付き合って松原駅に
降り立ったくらいで、スタンプは押しましたが、まったく記憶には残っておりま
せんです。
冒頭のところで坪内さんは、次のように書いています。
「昭和36(1961)年に赤堤に移り住んだ私が三軒茶屋に住むようになった
のは平成元(1989)年の秋頃だった。」
当方が東京に暮らしていたのは1989年3月まででありましたので、スタンプ
ラリーで松原駅に立ち寄った時は、まだ坪内さんは松原駅利用者であったのですね。
この本の書き出しは、「東京で生まれ東京で育った私であるが、自分のことを
『東京っ子』とは言い切れぬ思いがある。」となっています。
東京というエリアはどんどんと拡大していくのですが、やはりかっての東京市内
くらいのエリアにとどめておくほうがよろしいように思います。
大岡昇平さんは、子どもの頃に渋谷へと引っ越したのですが、その時代には町外れ
という印象をもったような書きっぷりであったように思います。
今からほんの百年前くらいの話でありますからね。