これも何かの縁であるか

 お盆ということで、数年前まででありましたら、帰省が話題になるので

ありますが、昨年に引き続きで、このお盆は特に来客もなしで過ごすことに

なりです。 

 とはいってもお墓と仏壇を預かっておりますので、これのお守りはいつも

とおりでありまして、昨日は盆提灯をだして仏壇に手をあわせ、本日はお寺

へといって手を合わせてきました。来たくとも来れない人の分までもお参り

であります。(スマホで仏壇の写真をとって、それを関係者には送ることに

なりで、それにむかって手を合わせてくださいです。)

 お盆のお参りが終わったところで、久しぶりに本屋へと足を運ぶことにな

りです。本日は、先日の新聞広告にあったマイナーな新書の新刊がはいって

いないかと思っていってみたのですが、これは残念でありました。本当に

最近は新書新刊を入手するのに苦労することです。

 ということで、文庫新刊などをチェックしていたのですが、ちくま文庫

新刊にガケ書房のものがあって、これはどうしようかなとパラパラとページを

めくりましたが、そのすぐ近くにあった新しい文庫シリーズの一冊に目がいっ

てしまいました。

 へぇーこんなところから文庫本がでていたのかと思うものです。今回の本の

帯には第10弾とありますので、仮に毎月でているとすれば、昨年から刊行と

なっているようでありまして、まさかこの版元から文庫がでているとは、思っ

てもみませんでした。

 本日はお盆ということで、これも何かのお導きとばかりに、この文庫の一冊

を買うことになりました。 

  仏教書の法蔵館が文庫を出していたのですね。まさかまさかでありまして、

ラインアップの主流は宗教系でありますが、なかにはこのような歴史家のもの

などもあって、岩波現代文庫の硬めのラインのようにも思えます。

 当方は安丸良夫さんは名前を知るだけでしたが、思いがけない出会いで、こ

れを買ってみようと思いました。どれだけ読むことができるかわかりませんが、

本日は一番最後に置かれた「近世思想史研究と教科書裁判 原告側保佐人として

出廷して」という文章に目を通しました。

 教科書裁判というのは、1972年頃に東京地裁で行われたもので、原告は検定

不合格となった家永三郎さんでありました。現代の教科書にも引き継がれている

「検定史観」というものを安丸さんは批判しているのですが、歴史家ではなく

政治家に忖度する役人に教科書をコントロールさせていいのかというのが、この

文章の趣旨のようです。

「現行の検定制度のもとでは、そのような無学(被告側の保佐人である元検定官)

な人物が検定を行っても、国家権力の行った検定としてまかり通ってしまい、検

定者の無学ぶりや無責任ぶりは、誰からも追求されずに権力の砦のうしろにかく

れてしまうということである。」

 これは昨日今日の話ではなくて半世紀も前に書かれたものです。それでもこの

時代には、これを争点としての裁判が提起されたのでありますが、最近は何を

言ってもだめというようにはなっていないかと反省することです。