訃報に言葉を失う

 野暮用から帰宅してノートパソコンを起動しようと思ったら、これがうまく

立ち上がらずでした。これはどうした、先日から起動モーレツ遅くなって気に

していたのだが、こうなったら再インストールするしかないと、Linux Mint19

のディスクをひっぱりだしてきて、クリーンインストールすることになり、無事に

終了し、ホームページに設定したYahooニュースを見たら、坪内祐三さんが

急逝されたと出ていました。

 なんと、まだ60歳をでたばかりのところで、亡くなりましたか。当方が坪内

さんのファン(?)であることを知っている人たちから驚いたねとの連絡が入

ることになりです。

 それにしても、年少ではありましたが坪内さんは当方の先行者でありまし

たので、ほんとそのあとをついて行こう(わがままで、いばりんぼうでついて

行けないところもありましたが)と思っていた当方には、本当にショックなこと

です。

 そうとは知らずに坪内さんの仕事に触れていたのは、、1994年に文芸春

秋社からでた「ノーサイド8月号総特集 明治大正昭和 異色の父と子100組」

からでしょうか。

 そのあと、1996年に「本の雑誌」がロングインタビューで異例の特集を

することになりです。

 当方にとっての坪内さんは、山口昌男さんを囲む外骨語大学メンバーで、

「東京人」つながりで小沢信男さんと親しく、「本の雑誌」と「文庫本を狙え」

で当方は自分の先行者だと思ったわけです。

 良くも悪くも東京山の手の良家の子どもという感じでありましたが、当方の

ような田舎者にも話を合わせてくれるようなところがありました。(ご本人の尊

顔を拝することはなしでしたが。)

 拙ブログにひんぱんに話題を提供してくださって、感謝にたえないことです。

坪内さんのもので、当方が偏愛するのは「古くさいぞ私は」に収録されている

「スタンレースズキのニッポン文学知ったかぶり」のうち「カルトを超えたウルト

ラ・マイナーは偉大なニッポン文学」の作家リストであります。

 これの初出は「クレア」1993年11月号とあります。この頃に、このようなこと

を書く若いライターさんは、ほとんどいなかったはずです。

古くさいぞ私は

古くさいぞ私は

 

  なんとなく坪内さんは、これで終わることはできないと思っていたはずで、

それもあって、若すぎる死を非常に残念に思うことです。