このところ坪内祐三さんの「靖国」を手にしたり、幸田露伴「一国の首都」を
のぞいたりしてます。どちらも明治のはじめの頃の東京を話題としているのです
が、明治の初めといえば、当地は蝦夷地からやっとこさ開拓使ができたところで
ありまして、ほとんど先住の人と季節になったら出稼ぎの漁民しかいなかったわ
けでありますね。
そんな時代の当地にとっての一番インパクトがあった出来事は、天皇の行幸で
ありまして、それについて坪内さんは「靖国」でT・フジタニさんの「天皇の
ページェント」を引用しながら、次のように書いています。
「人びとの宗教心を『統制』するため明治新政府が利用した儀礼、それが天皇の
巡幸だった。明治5年初夏の近畿・中国・九州巡幸から明治18年夏の山陽道巡幸
に至るいわゆる六大巡幸によって、明治天皇は、北は北海道から南は九州鹿児島
まで全国をまわり、拝めば目がつぶれると言われた、その『天子様』の顔を多く
の人びとの前にさらした。」
ちなみに北海道を明治天皇が巡幸したのは明治14年のことで、これは全国に
遅れることはなかったのですが、そのほかの国の施策が当地の影響を及ぼすまで
にどのくらいの時差があったろうかと思うことです。
徴兵制度は最初のうちは北海道は猶予でありましたし、税金の徴収も順調に
いったとは思えないことで、国民国家としての体裁が整ったのは日露戦争の頃
になったと言われるのですが、これもほとんどわからないことであります。
明治時代のあれこれの本を読んでみて、そこに描かれていることが、当地に
伝わってくるまで、どのくらいの時間がかかったものか。ほとんど別世界の話
で終わったのかなと思ったりです。