訃報あり

 今年の10月に詩人の飯島耕一さんが亡くなったと思ったら、それから二ヶ月後となる
12月25日に、飯島さんの文学仲間であった金本太中さんが亡くなられました。
北海道室蘭市で会社を経営していた金本さんは、学生時代から飯島さんの詩友であり
まして、飯島さんのファンにはなじみの人と思われます。
 以前にも拙ブログで引用をしていますが、飯島さんの自筆年譜に金本さんは、次の
ように登場します。
「昭和28年 この夏、『他人の空』の一連の詩を書き、十二月に書肆ユリイカ
伊達得夫という三十歳を越えたばかりの人が、社長兼編集者で、ほとんど一人で
やっていた小出版社)から自費出版した。自費出版はこの時だけで、本が出来た時は、
嬉しかった。金太中と二人で印刷屋に受け取りに行き、祝盃をあげた。二百五十部、
費用は作曲家の三木稔(六高で、一級下)が、シンフォニーで尾高賞をとり、その賞金
の一部をまわしてくれたのだった。」
 飯島さんの「港町」という本には、金本さんを訪ねて室蘭へといったときのことが
一章となっています。

 これには、どのようなことが書かれていたかと思って、ちょっとさがしてみましたが、
本日は見つけるのをあきらめました。
 一方の金本さんには、次の著書があり、これは飯島耕一ファンにおすすめの一冊で
あります。
脱 私の経営私の人生

脱 私の経営私の人生

 当方は、この本を手にしたときに、以下から数日間、話題としたことがありました。
http://d.hatena.ne.jp/vzf12576/20081030
 こういう人がいたということは、もっと知られていいと思います。最近はヘイト
スピーチということが話題となっていますが、こうした人たちが日本文化を豊かなもの
としていることは間違いありません。