- 作者: 金本太中
- 出版社/メーカー: 北海道新聞社
- 発売日: 2002/09
- メディア: 単行本
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します。
金本太中さんは、詩人 飯島耕一さんと大学からの友人でありまして、これまでは
飯島耕一さんの著書にあった金本さんに言及しているところを記したことがありました。
この本は、300ページほどのものですが、第1部は「私の経営哲学」として会社
経営についての文章が150ページくらい続きます。
この第1部は、次のような文章があります。
「勝つためには経営戦略があり、あきらかな目標がある。それらすべては、企業の
持続的な成長のためであり、そのために変革が必要である。変革に傷みをともなうのは
自明のことである。」
第2部は「在日をとして生きる」という表題で、「生い立ち、そして室蘭・東京時代」
「日本に生まれて思うこと」「忘れ得ぬ人たちとの出会い」という三章からなります。
東大文学部を卒業した金太中さんは、在日ということもあって就職することができず、
伝をたよりに「小山書店」に採用されることになります。
「 小山書店はチャタレー裁判がもとで倒産し、別名の新社の形をとっていた。小山
書店の社主は岩波書店の出身で、ユニークで、知識人好みの、どちらかというとハイ
ブラウな人であった。
入社の条件のひとつに、渡辺一夫教授を保証人にというのがつけられて、やむなく、
先生宅に伺ってお願いした。
用件をきいた先生はすこし顔を斜めにして、
『 止むを得ますまい。なりましょう。でも、金君、悪いことだけはしないでください。
生活に困ったら、米の1升ぐらいは、いつでもあげますから』と真顔で、おっしゃった。
われわれの世代では、渡辺先生に私淑して入学した学生が多い時いているが、心から
尊敬に値する人間味にとんだ大学者であり、先生であった。」
小山書店を辞してから、1956年横浜の小高い丘の上にある、北朝鮮を熱心に指示す
る人たちでつくられた民族学校に勤めることになったのでした。
「 わたしにとってのあの6年間は何だったのだろうかと、40年たってなお、時として
自問することがある。
しかし、6年間がまったく無駄だったわけではない。
方向性は別にしても、組織を維持、強化することの基本や、戦略、戦術の大切なことを
学んだ。」