ついでだが

 本日も中村稔さんの「回想の伊達得夫」から話題をいただきです。

 この本では、とにかくどのような人の書いたものであっても、どこか自分に

都合の良いように書かれている(事実をまげて)のではと疑って読むようにと

いうことを言われているように思います。

 それは伊達得夫さんと中村稔さんの関係においてもそうであります。

「前田出版社が倒産していないのに『ユリイカ版・エチュード』を出版すること

は、法律問題は別として、道義的に問題がある、とすでに記した。

ユリイカ版・エチュード』の出版は法律的にも違法であった。敵失によって救わ

れる、ということがある。相手チームのエラーによってセーフになる、ということで

ある。 

 書肆ユリイカは、そういう危ない出版によって出発したのであった。」

 これまでの当方の認識には、書肆ユリイカが「危ない出版によって出発」という

のはありませんでしたので、これが一番の収穫でしょうか。

 本日の件名の「ついでだが」は、次のように続くのでありました。

「ついでだが、朝日新聞は数年前から科学欄に『ユリイカ』というコラムを設けて

いる。伊達が詩誌『ユリイカ』を創刊したの1956(昭和31)年10月であった。清水

康雄が第二次『ユリイカ』を創刊してからだけでも50年経っている。この雑誌の

題名はかなりひろく知識人の間に知られている。いかに専門分野が違うからと

いって、こうした題名をそのまま用いている朝日新聞の見識に私はつよい疑問を

もっている。もしアルキメデス歓喜の叫びをコラムの題名にするなら、ギリシャ

読みにする、という方法もありえたのではないか。」

 朝日新聞科学欄のコラムがいまでもあるのかどうか、確認をしてみなくてはで

すが、ほとんどこのことには気づいていませんでした。そういえばNHK教育TVで

やっている番組は「ヘウレーカ」になっていましたです。

回想の伊達得夫

回想の伊達得夫